921中国の三面記事を読む(319)“感冒”という言葉の由来
2008-02-18 10:51:25 你知道“感冒”一词的由来吗?
“感冒”という言葉は、役所から来たという。 どういうことだろう?
“感冒”って誰もが知っている医学の専門用語だが、最初は役所から出た言葉である。 一体どういうことか?
感冒は傷風(風邪)ともいい、現代人がよく知っている伝染性呼吸器系疾病のことであり、冬や春に多く発生する。 “感冒”というこの現代でもはやっている言葉が、役所言葉だったとは、あなたも知らなかったでしょう。
これを説明するには、宋代に遡らねばならない。 宋代の最高学府は、太学(たいがく)で国子監に属し、官民の優秀な者を入学させ経典を学ばせた。 太学には、厳しい試験、進級などの制度と管理規定があり、太学生が特別な事情で外泊する時には、休暇願い帖に記入しなければならなかった。 この休暇願い帖の表紙には、慣例的に“感風”という二字が書かれていた。 そのため“感風簿”と呼ばれた。
“感風”という言葉と医学理論とは関係がある。 宋代の医学理論家の陳無擇は、万病のもととなる原因は、“内因”、“外因”と“不内外因”(外因でも内因でもない原因)の三種類に分類した。 そのうちの“外因”を“六淫”に分けた。 “六淫”は“六邪”ともいい、“寒、風、暑、湿、燥、火”の六つの気候の変化が、身体に悪い影響を与えるということだ。 感風の意味は冷えを感じることで、“六淫”の最初の“寒”に襲われ、身体の具合が悪くなり、そのため外泊することになるのだ。
太学生は卒業後、普通、学者か役人になった。 そのため“感風”というこの休暇願いも当然のこととして役所に入った。 たとえば、宋時代の役所には、毎晩、宿直員を一人置く決まりがあった。 つまり夜勤である。 これは辛い仕事であるため、役人達は“腹の具合が悪い”を口実にしょっちゅう逃げた。 “感風”が導入されて以降、宿直をサボる理由はさまざま出された。 そのうち“感風”、“感冒”、“傷風”が多かった。
清代になっても“感冒”は役人達に気に入られ、休暇願いの時、よく口実に使われた。 そして、その後、“感冒”は一般の人々から“上部呼吸器”(鼻腔、咽喉及び気管)感染の俗称として広く認知されるようになった。
“感冒”一词出自官场,这是怎么回事?
“感冒”是一个众所周知的医学专用名词,可最早它却出自官场,这是怎么回事?
感冒也叫伤风,是现代人很熟悉的一种传染性呼吸道疾病,多发生在冬春季节。可你也许没想到,“感冒”这个现代流行词,最早却出自官场。
这事儿还得从宋代说起。宋代的最高学府是太学,隶属国子监,负责招收官民子弟学习经典。太学有严格的考核、升等制度和管理规定,凡是太学生有特殊情况需要外宿的,都要在请假簿上登记。这个请假簿的封皮上,常按惯例写上“感风”二字,因此被称为感风簿。
感风一词与医学理论有关。宋代医理学家陈无择首先把引致百病的原因分为“内因”、“外因”和“不内外因”三大类,其中“外因”又分为“六淫”。“六淫”也称“六邪”,即风、寒、暑、湿、燥、火,这六种反常的气候变化对人的身体会产生不利影响。感风的意思就是感受到了风寒,意思是说受到了六淫之首的“风”的侵袭,身体不适,故需要外宿。
太学生在毕业后通常会成为学者或者官员,因此“感风”这个请假的理由也顺理成章地进入了官场。例如,宋时馆阁有规定要求每天晚上安排一名官员值宿,也就是上夜班,这是个辛苦的差事,因此官员们常常以“肠肚不安”为借口逃避。经过“感风”的启发之后,不值宿的理由很快五花八门起来,其中尤以写“感风”、“感冒”、“伤风”的居多。
到了清代,“感冒”更受官员们青睐,是官员请假时最常用的托辞。再后来,“感冒”被大众广泛认可,成为上呼吸道感染的俗称。 (本文来源:网易历史综合 )
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