443 中国は見る(222)  日本料理の歴史

日本菜的历史 2006-09-23 13:01:08 

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日本料理は現在、世界でも有数の料理の流派の一つであり、その特徴は、料理の作り方と格調にある。 世界の多くの国と地域には、日本料理店があり、その影響は中国料理や西洋料理に次ぐものがある。

 

日本料理の様式が形作られたのは、平安時代の頃からで、当時の公家たち貴族が行った“宴会”からである。 食器は青銅で作った器、銀で作った器以外に、漆で作った器などがあった。 料理など食事以外には、酒の作り方もすでに習得していた。 料理が発展したのは、“室町”“豊臣”“江戸”の三つの時代、おおよそ500年の間である。

 

日本人は習慣的に“日本料理”と言っているが、字体の意味から言うと、「料」は物を量るという意味があり、「理」には器に盛ったり、材料を取りさばくという意味がある。 日本料理で一番早く、正当な料理として出来たものは“懐石料理”だった。 今から450年あまりの歴史を有する。 日本の古い言い伝えによると“懐石”という言葉は、禅僧の“温石”からついた名前である。 その頃、修行中の禅僧が守るべき戒律では、朝食と昼食のみで、午後は食べなかった。 しかし年の若い僧侶達は飢えと寒さに耐え切れず、加熱した石を布の切れ端で包んだものを“温石”と称し、懐に抱え込んで胃のあたりに当て、飢えと寒さに耐えたという。 その後、次第に少しは食べるようになり、温石で腹を温めるのと同じようになった。 

 

懐石料理は茶道と共に発展した。 “茶道”は言うならば、盛大に茶を味わう儀式であり、賓客を接待する形式の一つであった。 もし客を招待しお茶を飲んでもらう時、客が腹をすかしていたら、身体に良くないばかりか、茶を賞味するのにも影響する。 だから茶道の儀式を行う時には、客に茶を振舞う前にお菓子や簡単な食事をしてもらった後、お茶を飲んでもらうと、効果が上がった。 これが茶道の儀式の際“懐石料理”ができた理由だった。 数百年の間に変化してきた“懐石料理”は、その特徴として、昔の方式を踏襲し、できる限り材料自身の味を引き出すことにある。 材料である魚と野菜は、毎月の季節を代表する魚と野菜を用いるので、月によってメニューが異なる。 

 

時間の経過と共に、日本は世界各国との往来も盛んになり、特にここ数十年は外国料理の作り方が取り入れられ日本人の伝統的な味に加えて、現代日本料理となっている。 “和風料理”とは、日本化した西洋料理といえる。 鍋類や天ぷらがこの料理の代表といえる。 この30年来、日本人の生活水準は非常に良くなり、飲食方面の研究も以前より工夫が凝らされるようになり、ますますおいしくなっていった。 

 

日本料理は大きく分けると二つに分類される。 関東料理と関西料理である。 そのうち関西料理は、歴史的にも関東料理よりも歴史が長い。

関東料理は東京料理が中心で、関西料理は京都料理、大阪料理(浪花料理ともいう)が中心だ。 この料理の主な違いは、関東料理は濃い(重い)味だ。 これは江戸前(東京湾)で取れる小魚やエビを使うもので、天ぷらや寿司がおいしい。 関西料理の特徴はあっさりしたもので、旬のものが食べられる。 使用される材料は、瀬戸内の海のものがおいしく、また水質もよく野菜の味が良い。

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