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4215中国の三面記事を読む(1359)日本語と中国語を話すことで“性格に変化”があるか?(上)

讲日语和中文导致“人格改变”?
2017/05/22  来源:演播室by明子
 
それは10数年前の事なので、記憶もだいぶあいまいになっていますが、その頃、有名な新聞のコラムの記事で、“使う言語によって、性格まで変わる”と書いてありました。 そのコラムの中で、例としてある日本人女性を取り上げていました。 彼女は英語で話す時、とても積極的で、その上論理明晰、自分の感情を抑えることなく自己主張しました。 また、話をする時の動作も足を組んだり、ジェスチャーを交えたりして、楽観的で積極的な印象を与えるものでした。 でも彼女が言語を日本語に変えると、一変して態度が穏やかになり、言語表現があいまいになっただけでなく、その上話の内容も保守的に変わってしまったという。
 
このコラムを読んだ当時、私自身、中国語を話す時と日本語を話す時の情況を比べてみて、自分の“性格の違い”について、戸惑いを感じました。 それで、大きな興味を持ち、当時、司会をしていたラジオ番組の中で、この問題を紹介しました。 番組の聴取者の反応はとても積極的で、中国人はもちろん、日本人からも手紙を受け取りました。 読んだ後、英語を話す時は、“英語の性格”が現れ、中国語を話す時は、“中国語の性格”が現れ、日本語を話す時は“日本語の性格”が現れることわかりました。 これら“言語の性格”は、それぞれ違う特徴があり、とてもおもしろいと思いました。
 
ある聴取者(日本人)は米国から戻って来た海外子女で、英語と日本語を話すバイリンガルです。 この人は日本語を話す時は、声は低く、話の速度もゆっくりで、とても上品に見えます。 でも、言語を英語に切り替えると、驚いたことに、話も速くなり、論理的で、その上はっきり自己主張し、ずばりと問題点を分析するなど、まったく日本語を話す時とは、まるで別人のようでした。
 
別の聴取者は中国人で、英語、ドイツ語、日本語を話します。 話す言葉が違うと、“性格が二転三転する”ことも普通のことです。 日本語を使う時は、相手との上下関係や年齢を考え、丁寧語や尊敬語を使い分けたり、同時に“日本風”に会話や会議を進めます。 でも、ドイツ語や英語で話する際は、直接的表現方式で、相手が誰だろうと、“友好的に”会話を行うことができるという。
 
使う言語により、声の声調も変わるという人もたくさんいます。 私は以前から理解できなかったのは、日本語を話す時、語調はやさしいのに、声調がとても高いことでした。 でも、中国語に切り替えると、はっきりした語調に変わり、声調が低く、口を大きく開け、舌が頻繁に動きます。 腹式呼吸に変えないと、正確に中国語の発音を出すことができません。
 
当然、これは同時に言語自体に備わっている特徴があります。 日本語は“省エネ”言語で、口を大きく動かす必要はありません。 しかし中国語では、声調の違いで意味が違ってきます。 また、別の理由もあります。 外国人であっても、私がもし大声ではっきりと発音しないと、相手にわかってもらえません。
 
言うまでもないことですが、言語は文化です。 ある国家の言語を使うには、当然、その国家の文化と習慣と関係ないというわけにはいきません。 英語を話す時、英語式の考えに変える必要があります。 中国語を話す時には、中国式の考えに変える必要があります。 日本語を使う時には、日本の習慣によってを話をする必要があります。
 
例えば、世界の誰もが知っている“日本人のお辞儀”、“サンキュー”と言いながら、お辞儀をすつのはとても不自然に見えます。 “シエシエ(謝謝)!”と言う時も同様です。しかし日本語で“ありがとうございます”と言えば、当然頭が下がり、お辞儀をします。 最低限度一回下げる必要があります。
 
このように、言語を使うことによって“性格が変わる”ことは、事実のようです。 それでは、具体的に、どのように変化するのでしょう? 多くの人の言うことを聞いてみると、ほぼ次のような情況であることがわかりました。
 
讲日语和中文导致“人格改变”?
2017/05/22  来源:演播室by明子
 
日经中文网特约撰稿人 青树明子:那是十多年前的事情,所以记忆也明显变得模糊不清,当时一家著名报纸的专栏文章写道,由于使用的语言不同,人格将有所改变。在那篇专栏文章中,作为例子列举的是一位日本女性。她在用英语讲话时,非常积极主动,而且逻辑清晰,不克制自己主张。此外,讲话时的举止也是跷起二郎腿,夹杂着指手画脚,给人以乐观积极的印象。但她在将语言改为日语之后,一下子变得非常温文尔雅,不但语言表达变得模棱两可,而且讲话的内容也变为保守。
 
在阅读这个专栏的当时,我本人对比了讲中文时和讲日语时的情况,经常对自己的“性格差异”感到困惑。因此,产生了巨大兴趣,在当时担任主持人的广播节目中也提到过这个问题。节目听众的反应很积极,中国人自不必讲,还收到了日本人的来信。阅读之后发现,在讲英语时,会出现“英语人格”,讲中文时出现“中文人格”,而讲日语时出现“日语人格”。这些“语言人格”分别具有不同的特征,非常有意思。
 
一位听众的朋友(是日本人)是从美国回来的海归人士子女,是一个会讲英语和日语的双语者(bilingual)。这个人在讲日语的时候,声音很低,说话的速度也很缓慢,显得很文雅。但在将语言切换为英语之后,令人吃惊的是,说话速度很快,富有逻辑,而且清楚表达自己的主张,一针见血地剖析问题点,简直与之前判若两人。
 
另外一位听众是中国人,但会讲英语、德国语和日语。由于讲的语言不同,“人格变来变去”是家常便饭。在使用日语时,考虑到与对方的上下级关系和年龄等,区别使用礼貌语和尊敬语,同时“按日本风格”推进对话和会议。但在用德国语和英语讲话之际,直接的表达方式很多,不管对方是谁,都是“友好地”展开对话。
 
由于使用的语言不同,声音的声调也会改变,这样的人很多。我从以前就感到难以理解的是,讲日语时语调很柔和,声音的声调很高。但切换为中文之后,将变为清楚的语调,声调很低,嘴充分张开,而且舌头也频繁活动。只要不改为腹式呼吸,就无法准确发出中文的发音。
 
当然,这同时还是语言本身具备的特征。日语是“节能”的语言,无需让嘴大幅活动,但在中文中,声调不同会导致含义不同。此外,还存在另一个因素,即作为外国人,我如果不大声清楚地发出声音,就无法让对方听明白。
 
不言而喻的是,语言就是文化。使用一个国家的语言,当然不会和那个国家的文化和习惯无关。在讲英语时,将变为英语式的思维,在讲中文时,将变为中国式的思维。而使用日语之际,将根据日本的习惯说话。
 
例如,在全世界广为人知的是“日本人的鞠躬”,但一边说“thank you ”一边鞠躬就显得很不自然。说“谢谢!”时也如出一辙。但如果用日语说“Arigatou gozaimasu(谢谢)”,会自然而然低下头鞠躬,最低限度也要点一下头。
 
就像这样,使用语言导致“人格改变”,似乎属于事实,那么,具体来说,不同的人都会如何变化呢?倾听很多人的说法之后发现,基本上是下面的情况。

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