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4188中国の三面記事を読む(1345)あなたも日本でスターになれる?(上)

你也能在日本当明星?
2017/02/20  来源:演播室by明子
                                                                                                                           
テレビ、新聞、雑誌などの日本のメディアで、ある人達が、必要不可欠な存在になっている。 それは外国人です。 日本で有名なスター、キャスター、モデル達だ。 ファッション雑誌は言うまでもない。 流行ファッション雑誌で、ページを飾っているのは、ほとんど全部外国のモデル達です。 テレビ番組もまるで同じです。 今や、外国籍のタレントはもはや不可欠な存在になっています。 政治経済のニュース番組から“お笑い”の娯楽番組まで、外国籍のタレント抜きでは、にっちもさっちもいかない状況です。
 
それでは、日本で成功を勝ち取った外国籍のタレントは一体どんな経歴を持っているのでしょうか? もともと日本へはどうして来たのでしょう? また、どんなきっかけでタレント活動を始めたのでしょう? 日本国籍があり、小さいときから日本で暮らしている人は論外です。 その他の人達はどうして外国である日本で、スターになれたのでしょう? 日本でとても活躍されている外国籍のタレントさんたちの経歴を見ていたら、留学や旅行といった、きわめて普通の目的で日本に来たことを知り、私はとてもびっくりしました。 言葉を変えていいますと、彼らの出発点はみなさんと何の違いもないということです。
 
アメリカ人のパトリック・ハーラン、通称パックン、流暢な日本語を話し、お笑いコンビや司会(特にニュース番組の司会)など広範囲な分野で活躍しています。 パックンが日本に来たきっかけは、ハーバード大学卒業後、今後、何をしたらいいか迷っていた。 その時、少年時代の友達が彼に、“一緒に日本に行かないか?”と声をかけた。
 
彼は雑誌の取材に対し、“本当のこと言うと、最初は、日本への興味は全くありませんでした。 もちろん地図では見たことはありましたが、でも自分が日本に行くとは、夢にも思いませんでした”と語った。 また、初めて日本に行った場所は子供時代の親しい友人が赴任した福井県でした。 パックンは福井で、英会話学校の教師になりました。 そして同時に、日本語を学び始めました。 当時は、単純な考えで、日本語をマスターすれば、米国での求職活動に役立つというものでした。
 
パックンはハーバード大学を卒業していますが、でも、1年学んでも、日本語はマスターできませんでした(これは当然です)。 でも、“初めて見た日本はたいへん魅力的に見え、もっとこの国を知りたいと思うようになりました” それで、その後一生懸命に学び始めました。 その結果、日本語検定の1級の資格に合格し、“よし! この国で暮らして行こう”という考えを固めました。
 
以上のことは決して珍しいことではありません。 日本語をマスターし、その後、外国の土地(日本)で仕事を見つけようとしても容易なことではありません。 しかしパックンを助けたのは、以前から彼がずっと抱いていた夢でした。 “小さい時から、役者になりたい”というものでした。 パックンは日本に来た後、同地の劇団で役者になったり、あるいは司会者をしていました。 こうした過程で、“日本でタレントになる!”という考えを固めました。
 
日本に来てから、3年経った26歳の時、芸能界に入るため、東京に向かった。 当時、人気のあった“お笑い”の世界に身を投じた。 今や、17年経った。 現在はバラエテイ番組だけでなく、政治経済の情報番組の解説者や大学教授として、分野を越えた文化活動を行っている。
 
2014年、米国の代表的新聞《ニューヨーク・タイムズ》に《デーブ・スペクターとは誰?)という見出しの記事が掲載された。 デーブ・スペクターについては、アメリカ人だって知らないし、中国のみなさんだって知らないだろう。 しかし、日本人の7割以上は彼の名前を知っている。 彼はほとんど毎日、テレビ出て来るとても有名な外国人です。日本人並みの日本語を話し、日本語で笑い話やけなし言葉を話すと同時に、世界のニュース情報を言葉鋭く分析してみせる。
 
デーブ・スペクターが最初に日本を訪れたのは1983年。当時、ABCのテレビプロデューサーで、数週間という短い時間、逗留予定だった。 その期間に、“日本で見たメチャ面白いテレビ番組”に興味を持った。 そこで、このまま日本に留まることを決めた。 当時、日本には外国籍のタレントはまだ少なかった。 その上、ほとんどがすべて英語教師か宣教師だった。 その時代、デーブ・スペクターの性格は歓迎され、外国籍のタレントとして、一躍人気者となった。
 
 
你也能在日本当明星?
2017/02/20  来源:演播室by明子
 
日经中文网特约撰稿人 青树明子:在电视、报纸和杂志等日本的媒体上,有一群人已经成为不可或缺的存在。那就是外国人。在日本出名的明星、评论员以及模特。时尚杂志自不必说。在流行的时尚杂志上,点缀页面的几乎都是外国模特。而电视节目也如出一辙。如今,外籍艺人已经成为不可或缺的存在。政治经济新闻节目、以及被称为“搞笑”的娱乐节目,离开了外籍艺人,都日益寸步难行。
 
那么,在日本取得成功的外籍艺人到底有着什么样的经历呢?原本是为何来到日本、以何种契机开始参加演艺活动呢?具有日本国籍、从小就在日本生活的人另当别论,其它人为何能在作为外国的日本成为明星呢?观察这些人的简历,会发现在日本非常活跃的外籍艺人都是以留学和旅行等极为普通的目的来到日本,我对此感到吃惊。也就是说,他们的起点与各位读者没有什么不同。
 
美国人Patrick Harlan,通常称为pakkun,说一口流畅的日语,活跃在相声和主持(尤其是广播节目主持人)等广泛领域。pakkun来到日本的契机是,从哈佛大学毕业后,对于接下来要做什么感到迷惑,此时童年时代的朋友劝他说,“一起去日本怎么样?”
 
他在接受杂志采访时如此回答道,“说实话,对日本的兴趣最初完全没有。当然在地图上看到过,但做梦也没想到自己会去日本”。同时,第一次来到日本的地点是童年好友赴任的福井县。pakkun在福井当英语会话学校的教师,同时开始学习日语。当时有一种非常简单的想法,就是掌握日语技能,可以用于在美国的求职活动。
 
pakkun虽然毕业于哈佛大学,但学习1年之后,仍未掌握日语(这是理所当然的)。不过,“第一次看到的日本显得非常有吸引力。开始想进一步了解这个国家”,因此之后开始拼命学习。结果在考取日语检定1级资格时,坚定了“好了!就在这个国家生活下去”这一想法。
 
以上情况并不特别稀奇。学会日语、然后在外国的土地上找工作并非易事,但帮助pakkun的是此前他一直抱有的梦想。“小时候就想当演员的”他在来到日本后,也在当地的剧团当演员,或担任主持人,在这个过程中,确定了“在日本成为艺人!”这一想法。
 
在来日本后,在过去3年的26岁的时候,为了进入演艺圈而前往东京。投身于当时受关注的“搞笑”的世界,如今已有17年。目前不仅是综艺节目,还充当政治经济信息节目的解说员和大学教师,是一个跨领域的文化人。
 
2014年,美国有代表性的报纸《纽约时报》刊登了一篇题为《戴夫·斯佩克特(Dave Spector)是谁?》的报道。关于戴夫·斯佩克特,就算美国人不知道,中国各位读者也不了解,但大约日本人的7成以上都知道他的名字。他是几乎每天都在电视中出现的超有名的外国人。说一口接近本地人的日语,在讲日语冷笑话的同时,言辞犀利地分析全球的新闻资讯。
 
戴夫·斯佩克特最初来到日本是在1983年。当时是美国广播公司(ABC)的制作人,预定逗留数周这一短暂的时间。在那一期间,对于“在日本发现的疯狂的电视节目”产生了兴趣,于是决定直接留在日本。当时日本的外籍艺人人数很少,而且大部分都是英语教师或传教士,在那个时代,戴夫·斯佩克特的性格受到欢迎,作为外籍艺人一跃走红。

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