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4166中国は見る(2623)森鴎外の高瀬舟と安楽死(下)

森鸥外的高瀬川以及安乐死   
2017-03-19 19:37:24  来源:辛子IN日本
                                                                                                                           
森鴎外のこの《高瀬舟》は、1916年1月に、江戸後期の神沢杜口の随筆《翁草》を基に書いたものです。 当時、小説家であり医学博士であった森鴎外は、《翁草》で弟殺しの関連記録を読んだ後、《高瀬舟縁記》という一文で、“死に瀕している患者の治療で、従来の道徳は苦ませて置けと命じている。 しかし医学社会には、これを非とする論がある。 即ち死に瀕して苦むものがあったら、楽に死なせて、その苦を救って遣るが好いと云うのである。 これを安楽死と言う”と書いている。
 
《高瀬舟》の話は200年余り前の江戸時代に起こった。 200年あまり後の2006年に、高瀬川の水脈と繋がっている京都伏見区の桂川で、《高瀬舟》と同じような母親殺しの事件が起こった。 54歳の片桐康晴が、認知症を患っていた86歳の母を殺して、そのあと自殺未遂で逮捕された。 裁判の際、片桐康晴の法廷陳述は、裁判官さえ危うく落涙させるものだった。
 
“私はたいへん母が好きです。 でも母は私がわかりません。 母はよく子供のように、私のそばに這ってきます。 私はいつも這ってきた母を、小さい時、母が私を抱いてくれたように抱いてあげました” 認知症の母は、一日中見ていなければなりません。 そのため片桐康晴は仕事を辞めざるを得ず、そのため経済的来源を失いました。 また失業保険の受給基準に達していないため、失業保険の援助も受けることが出来ませんでした。 片桐康晴は自分の食事を2日に1回にし、母親の食事を優先にしました。 しかしそうしても、母子二人はもう生活を支えていくことができなくなり、我慢の限界に達してしまった。 早くに亡くなった父が臨終の時、片桐康晴に対して“他人に迷惑をかけたらあかん”と言い残した。 片桐康晴は、“自分と母がこのままこの世にいたら、きっと人に迷惑をかけるだけ”と思った。
 
“もうお金もないし、生きては行けない。 ここで終わりにしよう” 2月の厳冬の夜、片桐康晴は車椅子に座った母を桂川の散歩道まで押して行き、涙を流しながら母にこう言った。 突然、意識が戻った母は、片桐康晴の頭をなでながら、
 
“すまんな! ごめんよ! 泣くな! 泣くな! 泣くことはない”と言った。
 
“そうか、もうアカンか、康晴。一緒やで。お前と一緒やで! 私と一緒に死のう”
 
片桐康晴は、懲役2年6月、執行猶予3年 が言い渡された。  “母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください”と裁判官が片桐康晴にこう語りかけた。 この判決は、日本のメディアから涙の“温情判決”と呼ばれ、人々も片桐康晴に対して善意の理解と寛容を寄せた。 しかし片桐康晴が、その後、幸せに生きていくことができたか、それは知るよしもありません。 
 
現在、超高齢化社会に入った日本は、高齢者介護制度や社会福祉を見直したり、森鴎外が百年前に提起した安楽死を改めて見直しています。 安楽死は、医学の道徳です。 その論理は人として受け入れることができます。 しかし、問題は、これが世界の多くの事のなかで、論理的に容認されないことです。 たとえば絆、たとえば感情のようなもののように。
 
森鸥外的高瀬川以及安乐死   
2017-03-19 19:37:24  来源:辛子IN日本
 
森鸥外的这部《高濑舟》,于1916年1月改编自江户后期神泽杜口的随笔集《翁草》。当时,既是小说家也是医学博士的森鸥外,在阅读完《翁草》中杀弟的相关记录之后,在《高濑舟缘起》一文中写道:“对于无法医治濒临死亡的病人,从来的道德,是命令要任其痛苦的。但在医学社会,对此则持批判论调。也即对于濒临死亡者,认为令其轻松地死去,方可解救其痛苦。这叫安乐死。”
 
《高濑舟》的故事发生在二百多年的江户时代,二百多年后的2006年,在与高濑川水脉相连的京都伏见区桂川,发生了一起与《高濑舟》类似的弑母案:54岁的片桐康晴,杀死了患老年痴呆症的86岁母亲,随后因自杀未遂而被捕。在接受审判时,片桐康晴的当庭陈述令法官都差点落泪。
 
“我非常爱母亲。可母亲不认识我了。母亲经常像个孩子一样,在我身边爬来爬去。而我总是将爬到身边的母亲抱起来,就像小时候母亲抱起我一样。”患上痴呆症的母亲需要全天候照顾,为此片桐康晴不得不辞去工作,因此失去了经济来源,但又因为没有达到领取失业保险的基准,而无法获得失业保险援助。片桐康晴每二天只吃一顿饭,其余都节省下来优先母亲。可是即便如此,母子二人也无法再支撑下去了,一切都达到了忍耐的最高极限。早逝的父亲在临终前对片桐康晴说“不要给别人添麻烦。”片桐康晴想:自己与母亲继续活在这个世界上,无非就是继续给人添麻烦。
 
“已经没有钱了,活不下去了,就在这里结束吧。”2月严冬的深夜,片桐康晴推着坐在轮椅上的母亲走在桂川边的散步道上,流着泪这样对母亲说。突然神智清醒过来的母亲,抚摸着片桐康晴的头,说:
 
“对不起啊!不哭!不哭啊!不用哭。”
 
“是么?已经不行了么?康晴是我的孩子,我的孩子由我来。一起吧!我和你一起死。”
 
片桐康晴最后被判处二年半徒刑缓期三年执行。“请为母亲祈祷,为了母亲而幸福地活下去吧”审判官对片桐康晴说。尽管这次判决被日本媒体称为令人号哭的“温情判决”,人们也对片桐康晴寄予了最善意的理解与宽容,但片桐康晴此后能否幸福地活下去呢?这不得而知。
 
现在,步入超高龄化社会的日本,一直在反省现有的高龄者看护制度与社会福祉,甚至重新审视森鸥外在一百年前便提及的安乐死。而安乐死,作为一种医学道德,它的逻辑是可以为人接受的。但问题是,这个世界上有许多事,是无法用逻辑疏通的。比如羁绊,比如情感。

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