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4116中国は見る(2590)「人生は一本の線」(上)

人生就是一根线   
2017-01-05 21:24:37  来源:辛子IN日本
 
 
Photo 秋の土曜日、天気のいい日。 大阪駅近くの阪急百貨店9階の画廊で開催されている“篠田桃紅展―――人生は一本の線”を見てきた。 抽象芸術家の篠田桃紅さんが90歳を越えてから発表した作品約50点が展示されていた。 9階まで上がって、入場券を買って会場に入ると、中はすでに多くの人で一杯だった。 見学者の多くは、身なりの整った年配の女性が多かった。 三々五々、作品の前に立ち、じっと見つめたり、あるいは深く考えていた。 話をしたり、ひそひそ声で話す人もいなかった。 会場全体が、静かで大きな抽象画のようだった。
 
6 今年103歳の篠田桃紅さんは、1913年に中国の大連で生まれた。 当時、大連は満州国に属していた。 だから父親は、彼女に“満州子”という名前を付けた。 満州子の祖先は、日本中部の岐阜県の大地主で、祖父は頼山陽に師事した家の三男で、代々儒学を尊重していた。 そのため満州子は5歳になった時、父親は彼女に漢字と書道を学ばせた。 満州子は桃の花が咲く3月に生まれたので、父親は《詩格》に収録され、春の景色を詠んだ一節、“桃紅李白蔷薇紫、問起春風総不知”の中から、“桃紅”の2字を取り、満州子が、書道を学ぶ時に、使用する雅号とした。 “篠田桃紅”は、これから誕生した。
 
桃紅は幼少の頃から、あまりみんなと仲よくできず、協調性がないと自分でもわかっていた。 女子学校に入学しても、同年齢の女子学生達と親密な関係となり溶け合うことができなかった。 当時の日本は、明治維新を経て、産業革命が始まったが、しかし人々の家庭生活は依然として旧来の伝統のままだった――――外では洋服に帽子だが、家に戻れば、依然として畳と和服だった。女の子も同様に義務教育を受けていたが、目的は将来の家庭のための良妻賢母(自分を犠牲にして、家族のために働く)を育てることだった。
 
自分が他人に迎合できない個性だということを思い、成長した桃紅は自分は良妻賢母にはなれないと考えた。 彼女は家庭のため、社会のために自分を殺すことはイヤだった。 自分の意向に従い、気ままに生きようと思った。 桃紅は母と相談し、一生結婚しないことを決め、独身主義者となった。 このことは儒学者の父親の猛烈な反対に遭った。 しかし母親の理解と支持を得ていた。 母親は、“あなたが、今後一生、一人で生活するというなら、それもいいでしょう”と言った。 桃紅の母親は15歳で結婚して子供を生んだ、伝統的な旧式な女性だったが、しかし娘のわがままについては、非常に理解があった。
 
母親は、桃紅の幼い頃の美意識を教え導く先生だった。 教養ある良家の女子で、美しさを内に秘め、決して口外することはなかった。 鮮やかな色をいつもグレーや茶色といった質素な上着の裏側の深い部分に隠していた。 3,4歳頃の桃紅は、ちょうど母親の着物の袖と同じくらいの高さだった。 母親の着物の袖から、幼い桃紅は初めて色彩の美を盗み見た。 空の色、草の色、花の色、四季の色彩が、母親の袖の中に集められていた。 “最初に、私の色彩感覚を目覚めさせたのは、母の袖でした”と桃紅は言う。
 
23歳の年、桃紅は家を離れ、一人で生活を始めた。 彼女は外で庭つきで、6部屋ある大きな屋敷を借り、自分の書道教室を始めた。 25歳の年には、東京の鳩居堂で人生初めての個展を開いた。 伝統と相容れない書法は、“才気煥発だが、根なし草のようだ”と日本書道界から悪評を浴びせられた。 
 
 
人生就是一根线   
2017-01-05 21:24:37  来源:辛子IN日本
 
 
入秋的一个周六,天气正好,路过大阪站附近的阪急百货,看到百货店9楼的画廊正在举办“篠田桃红展---人生是一根线”。展出抽象派艺术家篠田桃红90岁之后创作的约50幅抽象作品。上到9楼,购票进入展厅,里面已经有不少人,参观者多以衣着考究的年长女性为主,三三两两地伫立在作品前,或凝视,或沉思。没有人说话,甚至连窃窃私语也没有。整个展厅安静得像一幅巨大得抽象画。
 
今年103岁的篠田桃红,1913年出生于中国大连。当时大连属于满洲国,故父亲为其取名为“满洲子”。满洲子的祖上,是日本中部岐阜县的大地主,祖父曾师从頼山陽家的三男,世代尊重儒学,因此满洲子长到5岁时,父亲便教她学习汉字与书道,满洲子出生于桃花开放的三月,于是父亲从《诗格》所收录的诵咏春景的句子“桃红李白蔷薇紫,问起春风总不知”中提取“桃红”二字,作为满洲子学习书道时所使用的雅号。“篠田桃红”由此诞生。
 
桃红自幼性格不太合群,自认缺乏协调性,即使上女子学校,也无法跟同龄女生们关系亲密地打成一片。当时的日本,虽然经历了明治维新,开始了工业革命,但人们的家庭生活依旧遵循着旧式传统----在外是西装与礼帽,回家则依旧是榻榻米与和服。女孩子也一样接受义务教育,目的是为未来家庭培养可以忍辱负重的贤妻良母。
 
考虑到自己无法迎合他人的个性,长大成人的桃红认为自己不适合做一个贤妻良母。她也不想为了家庭为了社会扼杀自己。就想按自己的意愿任性地活着。桃红跟母亲商量,决定终身不嫁,做一名独身主义者。此事自然遭到儒学者父亲的强烈反对,但却得到了母亲的理解与支持。母亲说“如果你想从此一个人生活一辈子,那也很好啊。”桃红的母亲虽然15岁便结婚生子,是传统的旧式女子,但对于女儿的任性却十分包容。
 
母亲也是桃红幼年美意识的启蒙导师。有教养的良家女子,美而内敛,是决不张扬的。艳丽的色彩总是隐藏在灰色或茶色这些朴素外套的里层深处。3、4岁左右的桃红,正好与母亲和服衣袖一样高,从母亲的和服衣袖,幼年的桃红首次窥视到色彩之美:天空的颜色、草木的颜色、鲜花的颜色,四季的色彩被收拢在母亲的衣袖里。“最初始唤醒我的色彩感觉的,是母亲的衣袖。”桃红说。
 
23岁那年,桃红离开家开始独自一人生活:她在外租借了一个带院子、有六间房的大宅门,创办了自己的书道教室,并在25岁那年首次在东京的鳩居堂举办人生第一次个展。与传统格格不入的书法,令她得到日本书道界的恶评:虽然才气焕发,但就像无根的草。

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