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4133中国の三面記事を読む(1333)村上春樹の中の“南京事件”――新作「騎士団長殺し」における中国(下)

村上春树中的“南京大虐杀”——新作《刺死骑士团长》中的中国
2017/03/20  来源:日经中文网
 
 
0 日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。 〔中略〕正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。 中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?
 
南京事件における中国側被害者数は、日本の歴史学者である秦郁彦の推定によれば、不法殺害が兵士三万と一般人八〇〇〇~一万二〇〇〇をあわせて合計三万八〇〇〇~四万二〇〇〇、強姦二万である(『南京事件』中公新書、中央公論新社)。 また笠原十九司の推計によれば“二〇万人近いかあるいはそれ以上”となる(『南京事件』岩波新書)。 免色の言葉を読みながら、私は数年前に東京で開かれた南京事件関係の日本製作ドキュメント映画上映会での、ゲストの右翼思想家の発言を思い出した――殺されたのがたとえ一万人であっても大問題なのです。 村上春樹は免色の言葉を通じて、現代日本人の良識を描いたのであろう。
 
しかし日中戦争期の日本では弟の継彦の自殺は“徹底した軍国主義社会だから”、継彦の遺書も“焼き捨てられ”てしまう。 それでも雨田画伯は後年、彼の息子の政彦に継彦の遺書の中味を漏らしたことがある。 政彦は父から聞いた叔父継彦の遺書の凄惨な内容を、親友の“私”に次のように語っている。
 
叔父は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。 〔中略〕帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな。 叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。 人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわけがない。 うまくとどめは刺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたうちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった。
 
継彦叔父はこの虐殺体験により“神経をずたずたに破壊され”、“髭剃り用の剃刃をきれいに研いで、それで手首を切”って自殺し、“自分なりの決着”をつけたのだ。 日中戦争期の日本軍による残虐な行為に関しては、戦時中には石川達三(1905~1985)がルポルタージュ小説「生きてゐる兵隊」(1938)で克明に描いている。 戦後生まれで戦争体験を持たない村上春樹が、「騎士団長殺し」で南京事件をここまで克明に描いた点は注目すべきことである。
 
実は村上はデビュー作の「風の歌を聴け」(1979)の中で、主人公の“僕”に“〔叔父の〕一人は上海の郊外で死んだ。終戦の二日後に自分の埋めた地雷を踏んだのだ。”と語らせている。 “満州国”やノモンハン事件をテーマにした村上の長篇小説には、「羊をめぐる冒険」(1982)と「ねじまき鳥クロニクル」(1992~1997)とがある。 日中戦争が村上文学の原点の一つであることは、私は拙著「村上春樹のなかの中国」で詳しく述べた。 「騎士団長殺し」とはこのような村上自身のデビュー以来の中国のテーマを新たに展開したものなのである。
 
 
村上春树中的“南京大虐杀”——新作《刺死骑士团长》中的中国
2017/03/20  来源:日经中文网
 
日军在经历一番激战后占领了南京,在那里杀害了很多人。(中略)关于确切的遇害人数,虽说史学家之间还是有不同见解,但总之无数市民被卷入战争被杀害是不可否认的事实。有说中国人死者超过40万的,有说10万的,但是,40万与10万的区别究竟在哪里呢?
 
关于南京大虐杀的中国遇难者人数,日本历史学家秦郁彦的推断是,南京大虐杀所涉中国受害者中,非法被害的有士兵3万人,普通百姓为8千~1万2千人,合计3万8千至4万2千人,强奸人数达2万。(《南京事件》中公新书、中央公论新社)另外,据笠原十九司的推测,“人数近20万或者更多”(《南京事件》岩波新书)。咀嚼免色的话,让我想起几年前在东京举办的以南京大虐杀事件为题材的日本制作纪录片电影上映会上,一位右翼思想家的发言——被杀害的即使只有一万人也是重大的问题。村上春树通过免色叙述,表现出了现代日本人的良知吧。
 
在日中战争期间,弟弟继彦选择自杀,应是“源于彻底的战时日本军国主义道路”,继彦的遗书已被烧毁。尽管如此,多年以后,画家雨田还是将遗书的内容告诉了儿子政彦。政彦从父亲那里听到的叔父遗书中的悲惨内容,对好友的“我”如下说道:
 
上级军官将军刀交给叔叔,让他砍下了俘虏的头。(中略)在帝国陆军,长官的命令相当于天皇的命令,叔父颤抖双手好不容易挥动了军刀,但是他本身力气并不大,加上军刀又是批量生产的便宜货,并不是那么容易可以把人的脑袋一刀砍下来的。未能直接刺死,俘虏鲜血横流,痛苦不堪地上打滚,那景象悲惨万分。
 
继彦的叔父因为这段虐杀经历“精神受严重刺激而崩溃”,“把剃须用的刀刃磨得锋快,用此割腕”自杀,以“自己的方式做了了断”。关于中日战争时候日军的虐杀暴行,战争时期,石川达三的(1905~1985)纪实小说《活着的士兵》(1938)有过生动描写。战后出生,没经历过战争的村上春树能将如此鲜明地描写南京大虐杀,是应该注目的。
 
其实,村上在处女作《且听风吟》(1979年)中,既已让主人公的“我”说道:“(叔父)一个人死在上海的郊外,是战争结束的两天后踩了自己埋的地雷”。村上的以“满洲国”、诺门罕事件为题的长篇小说中有《寻羊冒险记》(1982)和《奇鸟行状录》(1992-1997)。我在拙著《村上春树心底的中国》中,已经详细阐述日中战争是村上文学的原点之一。《刺杀骑士团长》正是村上自登文坛以来再次以中国主题展开的作品。

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