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4005中国は見る(2543)飛騨という場所(上)


那个叫飛騨的地方
October 04, 2016  来源:辛子IN日本

わが家の中学生が私に、       
“いっしょに《君の名は。》を見に行こう!”と言った。
 
《君の名は。》は中国で《你的名字》と訳される。 “一起去看《君の名は。》(いっしょに《君の名は。》を見に行こう” この中日混合の言葉は、私達の家で日常、使われる言葉です。 この混合の言葉は、自分の家族以外は、私達が何を喋っているのかわからないことになる。
 
 
ポップコーンと飲み物を買い、多くの学生や若いカップル達に混じって、新海誠監督のこの最新映画を見た。 岐阜県の飛騨の山奥に住む女子高生の三葉は、ある朝、目が覚めた時、自分が東京に住む高校の男子学生・立花瀧に変わっているのに気付く。 一方、立花瀧も目が覚めると、自分が飛騨の山奥の女子高生の三葉になっているのに気付く……。
 
 
この映画の内容については、詳しく述べません。 ネット上でたくさん探すことができます。 私がここで書きたいのは、映画の中に現れるその山岳地帯です。 そこは飛騨という場所です。
 
 
日本について、私は愛していると言っていいでしょう。 というのは、私は日本のどんな場所でも、その場所のいろんなものに引きつけられてしまい、そして知らず知らずにそこを好きになってしまうからです。 飛騨は、私が何度も愛した場所―――こんな言い方は、おかしいかもしれません。 言い換えれば、私は飛騨へ何度も行ったことがあります。 行く度に興味が湧き、飛騨を愛する気持ちが深まるのです。
 
 
Photo
白川郷の合掌村 2011年6月7日作者撮影
 
飛騨で最も代表的な場所が、飛騨高山です。 初めて高山市に行ったのは、18年前で、私がちょうど日本に来て間もない頃でした。 ゴールデンウィークの時で、私達は早朝、名古屋から車で出発しました。 途中、渋滞が続き、やっと午後2時過ぎ頃、高山市に到着しました。
 
 
初めて高山の古い町並みを見た時は、私はとてもビックリしました。 黒い格子の家だけではなく、高山の古い町並みに沿って用水路が流れている。 その水の流れは澄みきっていて泉のようだった。 これはとても気に入った。 高山の空気も、澄みきって底が見える用水路を、清々しく透明にさせるのだろう。
 
 
高山の古い町並みの両側の商店も、とてもいい。 どの手工芸品も上等の品物ということができます。 今なお我が家の食卓には、唐辛子の箸置きが置かれています。 それこそ高山の店から買ってきたものです。 またその時、唐辛子の箸置きを買った時(日本での初の買い物)、店の主人に、つい“安くしてもらえますか”と言ったことを思い出します。
店の主人は笑いながら、“あなたは台湾か中国から来たんでしょう?”と訊きました。
 
 
私はびっくりして、店主がどうしてこう聞いたのか訊ねました。店の主人は、“中国語を話す人だけがこのように値引き要求します”と言った。 とても恥ずかしい思いをしました。 
10数年前、ちょうど日本に来たばかりの私にとって、日本での買い物の際、値切る等といった習慣がないことをまったく知りませんでした。 その気のいい店主は、その後、もっと安い価格の唐辛子の箸置きを私に売ってくれました。 それ以降、私は日本で買い物をする際、もう二度と値切ることはしていません。

 
唐辛子を持ち出したら、どうしても高山の宮川の朝市に触れなければなりません。 私はなんと宮川の朝市で郷里・湖南の唐辛子とほとんど同じ、純粋で辛い風味の青唐辛子を買いました。 日本のスーパーマーケットで買う唐辛子は、どれも辛味がありません。 宮川の朝市の唐辛子はそれとまったく違い、私の故郷の唐辛子の辛さ願望を満足させてくれます。 それに宮川の沿道に設けられた朝市の出店はなおさらいいです。 私が小さい頃、母方の祖父の家に行った時、必ず通る野菜市場を思い出します。 祖父の家は湘江の河辺にありました。 宮川の朝市と同じように、市場も川沿いに設けられていました。 
宮川は湘江ではありませんが、しかしなんとなく、他郷を故郷のように間違えて思うことがあります。 日本の多くの場所の風情は、中国の南方とよく似ているところがあります。
 
 
那个叫飛騨的地方(上)
October 04, 2016  来源:辛子IN日本
 
 
我家的中学生对我说:       
“一起去看《君の名は。》吧。”
 
 
《君の名は。》在中国被翻译成《你的名字》。“一起去看《君の名は。》吧。”这一类中日混合语,是我们家常用的语言。这种混合语导致的一个结果,是除了自己家里人,其他人都不知道我们在说什么。
 
 
买了爆米花和饮料,混在一大群学生和年轻情侣当中,我看完了导演新海诚的这部新电影。居住在岐阜县飛騨山区的高中女生三叶,某天早晨醒来时,发现自己变成了居住在东京的高中男生立花泷。而立花泷一觉醒来,则发现自己变成了飛騨山区的高中女生三叶……
 
 
关于这部电影的内容,我就不详细描述了,网络上可以找得到很多。我这里要写的,是电影中出现的那个山区,那个叫做飛騨的地方。
 
 
对于日本,我想我算得上是个博爱的人。因为我每到日本的任何一处,都会被当地的一些事物所吸引,然后不由自主地爱上那儿。而飛騨,则是我爱过很多次的地方---这样说可能有些奇怪,换句话说,就是我去过飛騨许多次,每一次去都兴致勃勃,内心充满爱意。
 
 
摄于白川乡合掌村 2011年6月7日作者
 
 
飛騨最具代表性的存在,是飛騨高山。第一次去高山市时,是18年前我刚到日本不久的时候。黄金周的时候,我们从名古屋开车过去,大早出门,一路塞塞停停,一直到下午2点过后,才终于到达了高山市。
 
 
头一眼看到高山的江户古街,我很惊叹。不仅仅因为那些黑色的屋身,还惊叹高山古街沿途的那些下水道,水流居然清澈得像山泉一样。这令人感到满意。高山的空气,也因为清澈见底的下水道,而变得清凉透明起来。
 
 
高山古街两边的小店,也是极佳的。每一样手工品都堪称上流佳作。至今我家的餐桌在开饭时,都会摆上几只红辣椒造型的筷架,那就是在高山的小店里买回家的。还记得当初在购买那几只辣椒时,我想也没想就开口问店主:
 
 
“可以便宜些吗?”
 
 
店主便笑起来,问:“你从台湾来,还是从中国来?”
 
 
我很惊讶店主为什么这么问。店主回答说:只有说着汉语的人才会这么讨价还价呢。这让我很不好意思,十多年前对于刚刚来到日本的我而言,还根本不知道在日本购物是没有还价之类的习惯的。尽管那位好心的店主,后来真的以更便宜些的价格将辣椒筷架卖给了我,但那之后,我在日本购物,再也没有还过价了。
 
 
说起辣椒,就不得不提及高山的宫川早市。因为我居然在宫川早市买到过与家乡湖南的辣椒几乎一模一样的、拥有纯辣气质的青辣椒。在日本超市买到的辣椒,都是没有辣味的,唯有宫川早市的辣椒不同,能够满足我对故乡辣椒之辛辣的渴望。更何况宫川沿途设置的早市摊位,也让我想起小时候去外公家时,必须经过的菜市场。外公家在湘江河边,和宫川早市一样,集市也是沿河而设。虽然宫川非湘江,但恍惚之中,却错将他乡当故乡。日本的许多地方风情,总是与中国的南方有些许相像。

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