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3790中国は見る(2339)桜の革命と国家主義 (下)

樱花革命与国家主义   
2016-03-17 11:16:46  来源:辛子IN日本
 
“染井吉野”が誕生したのは、日本が鎖国していた江戸時代の終わり、明治維新が始まろうとした頃。 “染井吉野”は接木もしくは挿し木などの方法で繁殖し、絶えずクローン複製し、栽培数量を年々増加していった。 この時期、明治政府も日本史上最大規模の維新改革を実施した。 1889年(明治22年)には“大日本帝国憲法”を公布。 1890年(明治23年)には、国に忠誠を尽くすを主旨とした“教育勑語”を発布した。 同年7月、日本は第一回目の衆議院議員総選挙を実施し、同時に、民法、商法などの法制度も実施されるようになった……明治維新は日本の体制を過去の“旧日本”から徹底的に切り離し、“新しい日本”に踏み出した。 長期にわたり鎖国していた普通の日本人にとって、“日本”というぼんやりしていた国家概念が、はっきりと見えてきた。 また日本という国が開放されたことにより、「国家至上」を強調する“国家主義時代”がやって来た。
 
 
“染井吉野”は正にこういう時代に、図らずも現われたのである。その成長のリズムは、明治から始まった日本の近現代工業社会の発展のリズムと軌を一にしているだけでなく、その生長の特徴も、正に明治時代に興った“国家主義”の理念ときわめて一致している。  人工育成された桜・“染井吉野”は自然的な桜の生長を覆し、“個”の脆弱性と“衆”の圧迫感を有し、“共同性”と“同一性”といった前提の下、団体精神の集団美を印象づけている。
桜の花一つ一つは小さく感じられるが、しかしいったん桜が一気に咲き出し満開となり、またそれらが一気に花を散らすさまは、人々に深い感銘を与えるのである。
 
 
1869年(明治2年)明治初期、戊辰戦争中、倒幕のため命を犠牲にした3500余名の慰霊を祀るため、明治政府は東京に“東京招魂社”を建造した。 翌年から、招魂社の境内に桜が植えられ、年々増加していった。 明治の中頃までに、“東京招魂社”は、春の桜の新名所となっていた――これが後に、中国で誰もが知っている靖国神社なのである。 現在、靖国神社の境内には、およそ約600本の桜の木があるという。 そのうちの大部分は“染井吉野”である。
 
 
貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため
 
 
これは昔、太平洋戦争当時に、日本の兵学校で一番歌われた軍歌です。 祖国と天皇のために、桜のように潔く散ろうという歌です――“染井吉野”を主とした桜が、自然に咲く山桜の記憶に取って代わり、桜の短い満開の華々しさと悲壮な生命の荘厳さが、人々にそれぞれ別個の深い意味を与えたのです。 そして太平洋戦争の末期の神風特攻隊の象徴となりました。
 
 
しかし、新渡戸稲造氏は《武士道》の中で、こう書いています。
“大和魂とは、ひ弱な人工栽培植物ではない自然に生じた、という意味では野生のものであります”
 
 
国家主義と集団精神、現代の世界では、日本を認識する上での2つのシンボルになっています。 でも、“染井吉野”というこの人工の桜のように、それらは大和民族固有のものではなく、人為的に作られ、教育されたものです。
 
樱花革命与国家主义   
2016-03-17 11:16:46  来源:辛子IN日本
 
 
“染井吉野”诞生的时候,正是日本闭关锁国的江户时代结束、明治维新刚刚开始的时候。在“染井吉野”以杂交培植方法,开始被不断克隆复制、种植数量逐年增多时,明治政府也正竭尽全力实施着日本史上最大规模的维新改革:1889年(明治22年)颁布了“大日本帝国宪法”;1890年(明治23年)又发布了以效忠皇国为主旨的“教育勑语”;同年7月,日本开始实施第一次众议院议员总选举,与此同时,民法、商法、集会及社政法等各种法律制度也开始健全并实施……明治维新令日本从体制上开始彻底告别过去的“旧日本”,步入近现代的“新日本”。 对经历长期闭关锁国的普通日本人而言,“日本”这个原本模糊的国家概念,开始变得清晰可见。随着日本的国门开放,一个强调国家至上的“国家主义时代”开始来临。
 
而“染井吉野”恰逢此时毫无预谋地出现了。不仅其成长节奏与自明治开始的日本近现代工业社会的发展节奏十分合拍,就连其生长特性,也正好与明治时代兴起的“国家主义”理念极为吻合。作为人工培植的樱花,“染井吉野”颠覆了自然樱花的生长个性,充满诠释了“个”的孱弱感与“众”的压迫力,在“共同性”与“一致性”的前提下,强调着团队精神的集体美感:单独的、一小朵一小朵的樱花,令人感觉如此渺小,但一旦它们排山倒海地同时绽放,又排山倒海地同时坠落,却能带给人们惊心动魄的震撼。
 
1869年(明治2年)明治初期,为供奉日本戊辰战争中所牺牲的三千五百多名反幕府武士的灵位,明治政府在东京建造了“东京招魂社”。翌年开始,招魂社境内开始种植樱花,并逐年增加。到了明治中期,“东京招魂社”已经成为人们春季赏樱的新名胜地——这就是后来在中国家喻户晓的靖国神社。如今,在靖国神社境内,种植有大约600棵樱花树,其中大部分为“染井吉野”。
 
你和我是同期的樱花
在同一军校的校园里开花
开放的花朵早有飘零的觉悟
绚丽地散落吧为了国家
 
这是当年太平洋战争期间,日本军校中最具代表性的一首军歌。为了祖国和天皇而洁净地飘零吧,就像樱花那样——以“染井吉野”为主流的人工樱花,取代了自然山樱在人们心目中的记忆,樱花短暂的灿烂与悲壮的生命之美,被人为赋予了另外的深刻含义,并一度成为太平洋战争末期神风特攻队的象征。
 
但是,新渡户稻造在《武士道》一书中却这样写:
“作为大和魂的樱花,它不是人工培养的,也不是驯服的和柔弱的,它是野生自然生长的。”
 
国家主义与集体精神,在近现代似乎已经成为世界认识日本的两个符号。但就像“染井吉野”这种人工樱花一样,它们并不是大和民族原有的,而是被人为赋予和教化出来的。

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