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3787中国は見る(2336)日本人の「いじめ」について(上)

日本人は「いじめ」が好きか?
 
日本人喜欢欺负谁?   
2016-03-02 10:15:12  来源:辛子IN日本
通常、中国人は日本というと、“日本人は強いものを崇拝する”という。 私の知っている中国の友人も、日本社会は“強い者を認める社会だ”と見ている。 なぜかというと、“文芸作品やアニメ・マンガ、子供の間でのいじめなどから、自然法則が日本人にとても深く影響していることがわかる”という。
 
 
まず、“日本人は強いものを崇拝する”という言い方については、中国人の日本人についての定説となっているようです。 もう評価が決まっており、覆すのは難しい状況です。 私も覆すつもりはありません。 日本人は確かに強者を崇拝しているからです。 日本人の意識の中の“強者”には、金がある、車がある、家がある、顔がきくなど、何でもあって大きな力を持つ“成功者”とは限らない。 学ぶべきものがあれば、強者とされる可能性があります。 例えばラーメンが他の人よりうまく作れたり、豆腐が作れれば、西施より美人だとなる。 たとえ本人に高い腕がなくても、崇拝を受け、業界の中の“強者・達人”となる。
 
一方、日本社会は“強い者を認める社会だ”と言うことについては、日本社会に対する誤解がある。 日本は決して、強者の社会ではない。 日本の法律は弱者を保護している。 また、ほかのことはさておき、公共の場所では老人や子供、身体障害者に特別な各種血の通った設備を設けており、この社会の弱者について思いやりがあると見ることができる。 更に知的障害の子供も、普通の子供と同じく義務教育を受けられることは言うまでもない。 駅員が車椅子利用者の送迎をすることもある――弱者はこの社会で差別や排斥を受けておらず、各種の援助や扶助も受けている。
 
 
とはいえ、日本社会には依然として侮辱や差別が存在する――侮辱され、差別される人々は、必ずしも弱者ではない。 多くは、“異分子”というべきものだ。 例えばあるグループで、いつも他の人とうまくいかない人が、冷遇されたり、排斥にあったりする。 このような人は“KY”と言われ、日本人がよく言う“空気が読めない奴”だ。 しかしこの空気が読めない奴は弱者とは限らない。 例えばみんなが知っている日本の80年代生まれの作家・加藤嘉一さん(中国で一番有名な日本人)、彼は決して弱者ではない。 しかし彼は、“あいつは空気が読めない奴だ”として日本のメディアや先輩から袋だたきにあった。
 
 
日本の教科書で金子みすゞの童謡が使われています。 子供達に“みんなちがって みんないい”と言っています。 でも私は、現実の中で、もしもあなたが不用意に自分の“違い”を語り、自分が“とてもすばらしい”なんて言ったら、それは完全に自殺行為です――いつも自分はみんなと違うなんて強調したら、普通は“自己中心”的人間と思われます。 このような人は、日本社会では嫌われ、みんなから敬遠されます。
 
 
ですから、現実の日本社会では、実際には“平均主義”を主流とし、――“みんな同じで、みんないい”なのです。 みんなグループの中で、お互い同じだということを表明し、他人の目の前ではそれぞれの“違い”を慎みます。 自分の“違い”によって、回りに面倒をかけたり、非難を招かないようにするためです。 誰もがグループの中では、各種の規則や暗黙の規則を黙って守っています――この“大衆ブランド”の日本人は、日本社会の通常のグループの一員です。 彼らは懸命に“平均”グループを作りだし、自分は感情を表に出さず、グループの中に隠れるのです。 換言すれば、このような“平均”グループは、典型的な“おにぎり志向”です。
 
“おにぎり志向”――これは日本の有名な漫画シリーズ《島耕作》の作者、漫画家・弘兼憲史氏の作った造語です。 意味するところは、日本人のグループ主義は、丈夫なおにぎりのように、とても強い粘着性があるということです。 確かに、同じおにぎりの中のご飯粒達は、お互いに殴りあうことはできません。 お互いにかばいあい、おにぎりの安全と完璧な造型を見せ、おにぎりの緊密な団結精神を表しています。
では、どんな人がいじめにあい袋だたきにされるのか?
 
 
もちろんそれは、おにぎりの外に落ちて、決まりがわからない米粒達です。 最初の文章で言及した“KY”です――空気の読めない奴です。 重大な話の場合、これらの可哀相な奴らは“村八分”の悪運に遭うことになります。
 
日本人喜欢欺负谁?   
2016-03-02 10:15:12  来源:辛子IN日本
 
通常,中国人说起日本,就会说“日本人崇拜强者”。而我认识的国内友人,也认为日本社会是个“认同强者通吃的社会”。因为“从接触到的一些文艺作品包括动漫日剧小说看,自然法则对日本人影响很深,包括小孩子中对弱者欺凌常常发生。”
首先,关于“日本人崇拜强者”的说法,似乎已经成为国人对于日本人的一种定论。已经盖棺定论的观点,很难推翻,我也不打算推翻。因为日本人的确是崇拜强者的。当然日本人思维意识里的“强者”,并不一定是有钱有车有房有头有脸要什么有什么能够呼风唤雨的“成功人士”。只要你有值得学习的地方,你就很可能被奉为强者。例如说你拉面煮得比别人的好,豆腐做得比西施还美,即使你本人其实并不够高大帅,但你一样会受崇拜,成为行业里的“强者达人”。
而至于说日本社会是个“认同强者通吃的社会”,则是对日本社会的一种误解。日本并不是一个强者通吃的社会。首先,日本的法律是保护弱者的。其次,不说别的,只要留意各个公共空间为老人儿童、身体不便者特设的各种人性化设施,也能看出这个社会对于弱者是有关爱的。更不用说那些与普通孩子一样享受义务教育的智障儿童,还有在车站由工作人员迎来送往的轮椅者——弱者在这个社会并不会受到歧视与排斥,而是可以得到各种帮助与扶持。
但尽管如此,日本社会依旧存在凌辱与歧视——被凌辱或被歧视者,不一定必须是弱者,而更多的可能是“异己”。例如在某一个群体中,总是与他人格格不入的人,会比较容易遭到冷遇或排斥。这样的人被称为“KY”,也就是日本人常说的“空気が読めない奴”(不会阅读空气的家伙)。但这类不会阅读空气的家伙,不一定是弱者。例如大家都知道的日本80后作家加藤嘉一,他绝不是弱者,但他曾经几乎遭到日本媒体和前辈的群殴,因为“あいつは空気が読めない奴だ”(那家伙是个不会阅读空气的家伙)。
因此,虽然日本的教科书使用金子美玲的童谣,试图告诉孩子们说“大家都不同,大家都很棒”,但我觉得在现实中,如果你真的傻呼呼地刻意表现自己的“不同”以示自己“很棒”的话,那完全是在自寻短见——因为一个总是刻意强调自己不同的人,通常会被认为是“自我中心”的人。这样的人,在日本社会是令人讨厌的,大家都会敬而远之。
所以,现实的日本社会,实际上是以“均质主义”为主流的——“大家都一样,大家才很棒”。大家都在群体之中互相表现出种种相同之处,并小心翼翼地在他人面前收敛起各自的“不同”,以免因为自己的“不同”而给周边增添了麻烦,引来了非议。每个人都尽可能和谐默契地遵守着群体中的各种规则与潜规则——这类“大众品牌”的日本人,属于日本社会的常态人群。他们努力营造出一种“均质”的群体个性,以方便自己不动声色地隐藏其中。换言之,这种“均质”的群体个性,便是一种典型的“饭团志向”。
“饭团志向”——这是日本的著名漫画系列《岛耕作》的作者、漫画家弘兼宪史所制造的一个词。意指日本人的集团主义,就像一个结实的饭团一样,有很强的黏着性。的确,处于同一饭团空间的饭粒们,是不会互相群殴的,他们互相庇护,以保证饭团的安全布局和完美造型,并呈现出饭团般紧密的团结精神。
那么,什么样的人会被欺凌被群殴呢?
当然是那些散落在饭团之外不懂规矩的米粒们。也就是文章前面所提到的“KY”——不会阅读空气的那些家伙。情节严重的话,这些可怜的家伙,甚至会遭到“村八分”般的噩运。

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