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3760中国は見る(2310)3.11から満5年 崩れた家で見つけたカップルの写真、奇跡の出会い生む

311满5年 废墟中的合照谱写温暖奇迹
March 12, 2016  来源:朝日新闻中文网
東日本大震災で崩れた家に、津波をかぶった1枚の写真があった。 肩を寄せ合う笑顔の若いカップル。
 
偶然見つけたボランティアの男性は、2人の無事を願い、写真を回収した。 その翌年、写真の女性が目の前に現れた。
 
川谷清一さん(59歳)は、大阪府立長野北高校の事務長だった。 震災から1カ月後、休暇を取って東北に向かい、宮城県南三陸町に着いた。 カメラが趣味だった川谷さんは、写真などを拾い集めて洗浄するボランティアに登録した。 乗ってきた自家用車の中で寝泊まりをしながら、3日間にわたり、持ち主が特定できそうな写真や腕時計、表彰状などを集めた。
 
JR気仙沼線の清水浜駅の近くに来たときだった。 倒壊した家のあたりで1枚の写真に目がとまった。 ピースサインを重ね合わせ、ほほえむ若い2人。 そばに落ちていた携帯電話と並べて、何げなく一眼レフカメラのシャッターを切った。“生きててくれへんかな”と願いながら、写真と携帯を回収した。
 
川谷さんは、その後も休日や休暇を使い、1年間で計10回、宮城県を訪ねた。“また来なあかんな” 新たな出会いがもう一回、もう一回と足を運ばせた。
 
もっと被災者に寄り添いたい。 そう思い、2012年4月に35年間勤めた大阪府を退職し、南三陸町から西に20キロ余りの宮城県登米市に移住した。
 
その年の秋、震災から1年半の間に撮影した被災者や被災地の写真約50枚を選び、借りていた古民家の土間に掲げて展示会を開いた。 あのとき撮ったカップルの写真も壁に飾った。
 
初日のことだ。 古民家を訪れた女性から、思いがけない言葉をかけられた。
 
“この写真に写っているの、私です”
 
小坂翔子さん(29歳)だった。 当時、南三陸町の自宅が津波で壊され、その後、古民家から1キロも離れていない登米市内の職場で働いていた。 同僚から、自分の写真が展示されていると聞いて見に訪れた。
 
川谷さんは、一緒に写っていた男性のことが気になった。 亡くなっていたらどうしよう。 軽々しくは聞けない。 恐る恐る“隣のこの男性は”と口にした。
 
“彼です。 いまも付き合っています”
 
鳥肌の立つ思いだった。 よかった。  生きていた。
 
芳賀健爾さん(29歳)は、地元で働くため、震災前日の3月10日に関東地方から南三陸町に戻ってきたばかりだった。 しかし、翌日、自宅が津波で流され、自身ものみ込まれた。 水中で必死に泳ぎ、水面上に顔を出したところで運よく山肌にぶつかり、助かった。
川谷さんが写真を見つけたのは、健爾さんの自宅の近くだった。  引っ越し用の段ボール箱30個はすべて流され、川谷さんが拾った写真だけが残った。 携帯も健爾さんのものだった。
 
2人は震災前に結婚の約束をしていた。 しかし、2人とも津波で自宅を壊された。  小坂さんの家族は無事だったが、健爾さんの祖父はいまも行方不明だ。 
 
2013年7月、海に臨む南三陸町のホテルで2人は結婚式を挙げた。 川谷さんも招かれた。 披露宴のスクリーンには2人を紹介する写真が映し出され、あの1枚も披露された。 唯一残った震災前の2人の写真だ。
 
約1万7千人が暮らしていた南三陸町では620人が亡くなり、212人が行方不明のままだ(今年2月末現在) 南三陸町ボランティアセンターでは約15万枚の写真をデータ化して保管し、これまでに約4万枚が持ち主に戻ったという。
 
健爾さんは、“まさか写真を拾ってくれたご本人にお会いできるとは思いもしなかった。 何かの縁。 奇跡ですよね”と話す。
 
初めて会った時の川谷さんの言葉を、いまも覚えているという。
 
“2人とも生きててくれて、ほんまによかった”
 
311满5年 废墟中的合照谱写温暖奇迹
March 12, 2016  来源:朝日新闻中文网
 
海啸席卷过毁于东日本大地震的房屋,留下了1张照片。照片里是1对并肩微笑的年轻情侣。
 
偶然发现这张照片的男性志愿者,一边祈祷着2人的平安,一边将它回收保管。第二年,照片中的女子竟然出现在他的眼前。
 
川谷清一(59岁),此前是大阪府立长野北高中的事务长。地震发生1个月后,川谷请假前往宫城县南三陆町。由于喜欢拍照,于是经申请他成为了一名捡拾收集照片等物、并进行清理的志愿者。整整3天时间,白天寻找那些可分辨主人的照片、手表、奖状等物品,晚上就在自己开来的私家车内过夜。
 
那是当他来到JR气仙沼线、清水滨车站附近时发生的事。坍塌房屋旁的1张照片,吸引了川谷的目光。双双举着Peace手势,微笑的2人。他捡起掉落在一旁的手机,将它们摆在一起,没多想,随手按下了单反相机的快门。“若还活着就好了”,他一边许愿,一边回收了照片和手机。
 
在那之后1年内的时间里,他曾10次造访宫城县。“下次还得来呐”。与新发现的遗失物品的相逢,促使他一次又一次地重返这片土地。
 
想更加靠近灾民们。2012年4月,他打定主意要辞职,离开了工作了35年的大阪府,搬到了距离南三陆町往西20多公里开外的宫城县登米市居住。
 
那年秋天,他从地震发生1年半内拍摄到的灾民、灾区照片中,精心挑选出大约50张,陈列在临时租借的农家老宅泥地房内,举办了一场展示会。当年拍下的情侣照片,也被挂在墙壁上。
 
展示会首日,1名走进宅子的女性说出的话,令人难以置信。
 
“照片上的人,就是我”。
 
来者名叫小坂翔子(29岁)。地震时,位于南三陆町的家被海啸冲垮,之后便在距离老宅不到1公里的登米市内某单位工作。听同事说,自己的照片也是展品之一,于是前来一探究竟。
 
川谷很想知道与她合照的男性的下落。但又担心,万一不在人世了该如何是好?无法用轻松的口吻随意询问。最终,忐忑不安地张口说道“旁边的这位男性是?”。
 
“我男朋友。现在还在交往”。
 
全身鸡皮疙瘩都立了起来。太好了!还活着。
 
男性名叫芳贺健尔(29岁),由于他在家乡找着了工作,地震发生前的3月10日,刚从关东地区搬回南三陆町。然而,就在第二天,他的家就被海啸冲走了,自己也被卷入浪潮之中。在水中拼命针扎的芳贺,把脑袋探出水面时,幸好撞上一片山地,这才获救。
 
川谷发现这张照片的地点,正在健尔家附近。30个装满搬家物品的纸箱子全被冲得无影无踪,只剩下川谷捡到的这张照片。手机主人也是芳贺。
 
2人在地震前就已定下婚约。然而海啸摧毁了2人的住家。虽然小坂的家人平安无事,但芳贺的祖父至今依旧下落不明。
 
2013年7月,2人在当地的宾馆举行了婚礼,川谷也受到了邀请。那张照片也被投影在会场的大屏幕上。那是2人拥有的唯一一张地震前的合影。
 
约有1万7000人生活于此的南三陆町,共有620人遇难,另有212人失踪(截至今年2月底阶段)。据悉,南三陆町志愿者中心将大约15万张照片转化为电子档,进行保管,到目前为止,共有约4万张照片已回到主人手中。
 
芳贺表示“真没想到能与捡到照片的人面对面相见。一定是某种缘分。简直是一场奇迹”。
 
至今,他都还清楚地记得第一次见到川谷时,对方说的话——“2个人都平安活着,真是太好了”。

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