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3772中国は見る(2321)日本各地の故郷の味(4)鯖街道(上)

乡味日本(4)一条路的味道
2016/03/03  来源:清绚
 
海産物の豊富な“御食国(みけつくに)”
 
 
 
今回私は、みなさんに“道”の物語をしたいと思います。 この道とは、海産物を遠く離れた京都まで運ぶ道のことです。 福井県西部の“嶺南地区”は昔“若狭の国”と呼ばれていました。 リアス式海岸(複雑に入り組んだ海岸線)の若狭湾海域は魚類の生息に絶好の場所です。 暖流と寒流がぶつかるため、昔から人々に豊富な海産物をもたらします。
 
歴史上の“鯖街道”
 
地理的に、この海は日本海側にあり、日本の古都・京都や奈良から近いところにあります。 このため、若狭の国は瀬戸内海の“淡路の国(今の兵庫県)”と伊勢湾の“志摩の国(今の三重県)”と共に、古代から平安時代にかけ、朝廷に海水産物や塩を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国とされていました。
 
“京は遠ても十八里”
 
若狭湾で獲られた海産物がいくつもの山を越え京都に送られました。 江戸時代には、若狭産の魚や貝などは京都で“若狭物”と呼ばれ、珍重されています。 そのうち、“若狭カレイ”と“若狭のアマダイ”などは高級食材として名高く、けちをつける京都人もこれには一目置いたといわれます。
 
若狭から京都へ海産物を送る道は何本かありましたが、これらの道は、昭和の中頃から“鯖街道”と呼び名が統一されました。 なぜ鯖の名が付けられたのか? 文字通り歴史上、大量の鯖がこのルートを通って若狭から京都まで運ばれたからです。 そのうち最も頻繁に往来されたのが福井県小浜市から熊川宿を通り、滋賀県山間の朽木を抜ける道で、最終地は京都出町柳でした。 この道は“若狭街道”と呼ばれました。
 
鯖は腐りやすく、“外見は新鮮でも、中は腐っている”と言われ、冷蔵技術がなかった古代には、新鮮な鯖を京都へ届けるのは難しいものでした。 船から下ろした後、腐るのを避けるため、魚の上に塩をまきかごに入れられました。 それからその夜のうちに馬や人力ですぐ京都に送られます。 出町柳に着いた頃、鯖は塩加減がちょうど熟れ頃になっています。
 
若狭と京都はとても遠いようですが、でも時間を切り詰めれば夜通し歩いて朝には到着することができたといいます。 ですから“京は遠ても十八里”ということわざが広まりました。
 
乡味日本(4)一条路的味道
2016/03/03  来源:清绚
 
 
海产品丰富的“御食国”
 
这次我要给大家讲讲“路”的故事,这是一条运送海产品到内陆地区的道路。福井县西部的“岭南地区”在过去被称为“若狭国”。由里亚式海岸构成的若狭湾海域适合鱼类栖息,由于暖流和寒流在此交汇,自古以来就给人们带来了丰富的海产品。
 
历史上的“鲭街道”
 
在地理上,这片海在日本海一侧中距离日本古都京都和奈良最近。基于此,若狭国与濑户内海的“淡路国(现在的兵库县)”和面向伊势湾的“志摩国(现在的三重县)”一起,从古代至平安时代,都是向朝廷进献海产品和盐等物产的“御食国”。
 
“京都虽远也只有十八里”
 
在若狭湾捕获的海产品将翻山越岭被运往京都。在江户时代,若狭产的鱼贝类在京都被称为“若狭物”,十分珍贵。其中,“若狭鲽鱼”和“若狭方头鱼”等是享有盛誉的高档食材,让讲究挑剔的京都人赞不绝口。
 
从若狭向京都运送海产品的道路有若干条,但这些道路在昭和中期以后开始被统一称为“鲭街道”。之所以被冠以鲭鱼之名,顾名思义是因为历史上曾有大量鲭鱼通过这些路线从若狭运往京都。其中往来最为频繁的是从现在的福井县小滨市经由熊川宿、穿过滋贺县山间的朽木(地名)、最后抵达京都出町柳,这条路被称为“若狭街道”。
 
鲭鱼容易腐烂,有人说“外表看着新鲜但内部已腐坏”,在缺乏冷藏技术的古代,无法运送新鲜的鲭鱼到京都。从船上卸下来之后,为了避免腐烂,在鱼身上撒上盐装进筐中,然后用马或人力连夜运往京都。在到达出町柳的时候,鲭鱼正好变得咸淡适中。
 
虽然若狭和京都似乎距离遥远,但抓紧时间的话一晩即可到达。所以“京都虽远也只有十八里”的谚语被流传下来。

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