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3736中国は見る(2287)東京の行政区分について(下)

看得见的旧界线:谈东京的区域划分
January 06, 2016  来源:乔纳斯的东京浮世绘
 
 
港区=麻布区+赤坂区+芝区
 
港区は赤坂区、麻布区、芝区の3区が合併した町で、この3か所の地名は今もすべて残っている。 江戸時代の大名屋敷、明治時代の皇族や侯爵、財閥の邸は多くこの3区にあった。 これが港区の社会的地位を高める場所となった所以である。  旧3区はもともと雰囲気が似通っていたけれど、しかし再編後の発展に伴い、3つの地域の相違もはっきりしてきた。 まず昔から日本の行政の中枢の隣にあった赤坂は、伝統の料亭や接待文化として発展した。 芝区は東京湾の海岸が間近なため、交通の要衝にあり、しかも海辺の土地の再開発計画に伴い、この辺りは近来、人口の密集する新興住宅地区となった。 大使館や外資企業が林立する麻布一帯は、まるで日本の一番国際化が進んだ場所となった。 再編から70年が経っているが、麻布住民の私としては、この町の商店街のイベントやお祭りに際しての、同地の住民の“麻布”というこの地名への執着や保護を感じることができる。よくこの町の縁日などで、今はとっくに改められた麻布区の町名が次々と出てくる。 この最も国際化の進んだ町で、世間の人々に麻布の昔話を伝えている。
 
もちろん、行政区域を区分した時、区と区の間には当然、“帰属不明”の場所が発生した。 紹介した中央区や港区で、一番お話しすべき場所は、正にこの両区の境界です。 中央区銀座と港区新橋の境界の高架橋下に商店街があります。 ここは“港区新橋1丁目”か、それとも“中央区銀座8丁目”か、依然として未定です。 でも当然と推量して、そこの商店はここは絶対、中央区だと勝手に編入しています。 さすが天下に名の知れた“銀座”という地名、ほしくない人はいませんよね?
 
さて、またこの文章の始めの問題に戻ります。 品川駅は品川区にあらず。 これも実は地区再編上の歴史的問題なのです。 品川駅は1872年に開設された。 その当時は、品川宿一帯に作られる予定だったが、しかしすでに交通の要衝として町が発展していたため、土地が徴収できず、やむなく品川駅を少し北にある現在の港区の境界内に移さざるを得なかったのである。 もともとの品川宿周辺が品川区となったのは、1930年代の事だった。 そのため品川駅が先にでき、その後品川区が設けられたわけである。 目黒駅が目黒区でない理由は、諸説意見が多々ある。 当地住民の反対で、引っ越さざるを得なかったという意見や、一説には路線計画と建設コストなど現実を考えた末、予定の計画の目黒駅を、現在の品川区域内の場所にする方が、合理的だとなったという。
 
東京の町は、よく一本通りが違ったり、同じ一本の通りでも両側の雰囲気が全く違うことがある。 次回、また東京に行く機会があったら、身近の地名や雰囲気にも注意し、これら面白い違いや物語を見たり、探ってみたい。
 
看得见的旧界线:谈东京的区域划分
January 06, 2016  来源:乔纳斯的东京浮世绘
 
港区=麻布区+赤坂区+芝区
 
港区是由:赤坂区、麻布区、芝区三区合并而来,这三处的地名现在也都原原本本地存在着。江户时代的大名诸侯们、明治时代的皇族与侯爵以及财阀的宅邸多坐落于这三区,这也造就出现在港区身价不凡之处。虽然这旧三区原本在气氛上较为接近,但随着统合后的发展,三个地带的差异性也越见显著,首先是自古就紧邻日本行政中枢的赤坂,发展出自成一格的料亭传统与接待文化;芝区因靠近东京湾海岸,居交通要冲且随着海滨土地的再开发与规划,这一带近来也成为人口相当密集的新颖住宅区域。而大使馆与外资企业林立的麻布一带,俨然已发展成日本最为国际化的聚落。虽然整并已过七十年,身为麻布居民的我,在当地町会商店街的活动或是庙会行事上,仍然可以感受到当地居民对于“麻布”这个地名的执著与维护,往往在当地的庙会上,许多现在早已改制的麻布区町名都会纷纷出笼,在这个最为国际化的聚落上,向世人们传承与诉说着麻布的故事。
 
当然,在划分行政区域时,区与区之间当自然也免不了产生一些“妾身未明”的地带,承上文介绍的中央区与港区,最值得一提的地带正是这两区的交界:中央区银座与港区新桥交界的高架桥下方商店街之处。这里是应该编入为“港区新桥一丁目”、还是“中央区银座八丁目”仍然未定,不过想当然尔,当地的商家肯定是想划入中央区,毕竟名震天下的“银座”这个地名谁不想要呢?
 
再回到文章最开始的问题,品川站不在品川区,这其实也是一个区域划分的历史问题。品川站设立于1872年,当时预定建设在品川宿一带,然因当地已久做为交通要道发展出城镇,不易征收土地,不得已只能将规划好的品川站稍往北移而座落在现在的港区境内,等到在原先的品川宿周围设立品川区时,已经是1930年代的事情了,因此是先设有品川站,之后才设有品川区的;而目黑站不在目黑区的原因则就众说纷纭了,除了有当地居民反对必须搬迁的说法外,亦有一说因路线规划与兴建成本等现实考量,将原定规划的目黑车站后改到现址的品川区境内的地点反而较为合理。
 
在东京的街头上,往往隔上一条街、甚至是同一条街的两侧气氛就完全不同,下次有机会来东京时,不妨也留意身边的地名与气氛,体会与观察这些有趣的差异与故事。

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