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3617中国は見る(2177)京都洛西 紅葉の旅

京都洛西的枫叶之旅
2010年 来源:百度快照

京都は洛陽ともいう。 それは名前だけ中国古都洛陽の二字を借りただけでなく、都市の配置も中国古代の長安、洛陽に倣って建てた。 京都に来るには、綿密な旅行計画を立てなければならない。 というのは、京都には世界遺産に登録された17か所の名所があるからである。 一日の周遊場所が限られているのは勿論、週末や旅行シーズンにぶつかると、交通渋滞が大変ひどいからだ。 11月20日、私はまた秋の古都にやって来た。 今度の旅行の目的地は洛西の金閣寺と嵐山である。

久しぶりの古都は依然もとのままだった。 あの極彩色に輝く金閣寺は、永遠に人々の注目の的だった。 京都の四季はそれぞれ特色がある。 女子で例えるなら、春の京都は20歳の少女のよう。 天真爛漫であどけない。 秋の京都は30歳の成熟した女性で、落ち着いて美しい。 いずれにしろ、私は比較的秋の古都が好きだ。 京都は最も日本を代表しており、最も京の味がする。

Photo昼ごろ、私はまず金閣寺に行った。 金閣寺の正式名称は鹿苑寺と言う。 普通、金閣寺というのは鹿苑の中の舎利殿のことをいう。 舎利殿の2、3層の外壁が金箔で飾られているため、金閣寺と名付けられた。 また小さい時見たことがある日本のアニメ《一休さん》の中の、あのいつも一休さんをからかう足利義満将軍、彼こそ金閣寺の創建者なのです。 

金閣寺は最初建てられた時は、寺院ではなかった。そこは足利義満が隠遁するために建てた山荘で、当時は北山殿と呼ばれていた。 権力と金を掌中にした義満は、将軍の地位を自分の息子に譲った後、北山殿で満足した晩年を過ごした。 義満が死んた後、彼の生前の願いによって、北山殿を鹿苑寺に改めた。 残念なことに、金閣寺は1950年に一人の和尚によって焼き払われた。 今日、私達が見ている金閣寺は1955年にもとの形に倣って建築したものです。 それはろもかく、金閣寺の美は、みんなによく知られています。 金閣寺の建物は、各層、異なる時代の風格を代表しています。 第一層の寝殿式建物の法水院は、典型的な平安時代の貴族的風格です。 第二層は潮音洞と呼ばれ、鎌倉時代の武士の建物を代表しています。 第三層は中国禅宗の仏殿の究竟頂を模倣しています。 宝塔状の寺の頂上には翼を広げた金の鳳凰が飾られています。 3層の構造は3種類のそれぞれ異なる建築様式を採用した異色の造りになっており、また前方に鏡湖池があり、金閣寺は浮世浄土の極楽世界を表現しています。

世界文化遺産 京都金閣寺

京都嵐山

嵐山の大堰川

きれいな庭園を鑑賞した後、あの風光明美な自然の中で心ゆくまで遊びたいと思いました。 そういう訳で、私は後から後から続く人の群れについて、春は雪のように舞う櫻花、秋は紅葉の嵐山にやって来ました。 嵐山は平安時代から日本人の一番のお気に入りの場所です。 中国人にとっても嵐山は深い因縁があります。 1919年4月5日、日本に留学していた周恩来総理は雨の中、嵐山を散歩していました。 周総理は目の前の情景に接して感慨を催し、《雨中嵐山》の詩を作った。 その後、日本人はこの偉人と世代友好の願いを込めて《雨中嵐山》を詩碑として、嵐山の青山碧水の間に建てた。 今日幸いにもここに来て、偉人の足跡に沿い、かさかさと音を立てながらカエデの林の中を歩いた。 真っ赤なもみじを見ているうち、思わず私は少年時代、家に帰る途中の小さいカエデの木を思い出しました。 それは小さく、葉も多くありませんでした。 しかし秋が来ると、日一日と赤くなりました。 あの空気が乾燥し、風と砂ぼこりだらけの季節、それは唯一精彩を放っていました。

Photo_3
嵐山の渡月橋
遠くに嵐山の渡月橋

Photo_2周恩来総理《雨中嵐山》の詩碑

嵐山近くにある天竜寺は臨済宗天竜寺派の総本山です。 1339年に、室町幕府の第一代将軍・足利尊氏が建立した。 創建以来、寺院は何度も大火にあった。 今私達が見る堂宇は多くは明治時代に再建された。 境内にある曹源池は最も有名で、そこは向かい側の嵐山を借景にしています。 庭の中の一木一草すべて独創性があり、釣り合いが取れた曲線構造が自然で調和がとれた雰囲気をつくりだしている。 曹源池は最初に日本政府が国家史跡と特別名所に指定した庭園である。 そして1994年に世界文化遺産に登録された。

世界文化遺産の天竜寺入口

Photo_4天竜寺境内の曹源池
天竜寺内の曹源池

天竜寺の百花苑

京都洛西的枫叶之旅
2010年 来源:百度快照

京都又称洛阳,它不仅名字借用了中国古都洛阳二字,就连城市的布局也是依照中国古代的长安,洛阳而建。来京都旅游需要做好周密的旅行计划,因为京都有17处景点被登录世界遗产,一天周游的地方有限不说,遇到周末或旅游旺季时交通堵塞十分严重。11月20日,我又来到了金秋的古都。此行的目的地是位于洛西的金阁寺和岚山。

久违的古都依然如故,就像那金碧辉煌的金阁寺,永远让世人瞩目。京都的四季各具特色。如果用女子来形容,春天的京都好似20岁的少女,天真浪漫而不失清雅。秋天的京都则是30岁成熟的女子,沉静且风华绝代。不管怎样,我比较喜欢秋天的古都,因为她最代表日本,也最有京的味道。

中午时分,我首先来到了金阁寺。金阁寺的正式名称叫鹿苑寺,一般说的金阁寺指的是鹿苑寺里的舍利殿。因为舍利殿的二、三层外壁是以金箔装饰,所以才有了金阁寺之名。还记得小时候看过的日本动画片《聪敏的一休》里那位总是想捉弄一休的足利义满将军,他就是金阁寺的创建者。金阁寺初建时并非寺院,它是足利义满为了过隐居生活而建造的山庄,当时被称作北山殿。权钱在握的义满把将军之位让给了自己的儿子之后,在北山殿度过了惬意的晚年时光。义满死后,遵照他的遗愿,将北山殿改为鹿苑寺。遗憾的是,金阁寺在1950年被一个和尚焚毁。今天我们看到的金阁寺是1955年按照原来的样子重新建造的。尽管如此,金阁寺的美是众所周知的。它的每一层建筑都代表着不同时代的风格。第一层寝殿式建筑的法水院,是典型的平安时代的贵族风格。第二层叫潮音洞,代表镰仓时代武士的建筑。第三层则是仿效了中国禅宗佛殿的究竟顶。在宝塔状的寺顶还装饰着一只展翅的金凤凰。三层结构是三种不同建造风格的巧妙融合,再加上前方的镜湖池,金阁寺表现了浮世净土的极乐世界。

世界文化遗产京都金阁寺

京都岚山

岚山的大堰川

欣赏了精致的庭园美景后,又想在那风光无限的自然当中畅游一番。就这样,我随着川流不息的人群来到了春天飞花似雪、秋天红叶满山的岚山。岚山从平安时代开始就是日本人的最爱,而中国人和岚山也有一段不解之缘。1919年4月5日在日本留学的周恩来总理雨中漫步岚山,他触景生情作了一首《雨中岚山》的诗句。后来,日本人为了纪念这位伟人和表达世代友好的心愿,把《雨中岚山》刻成了诗碑屹立于岚山的青山碧水之间。今天有幸来到这里,沿着伟人的足迹漫步在沙沙作响的枫林中。看着那火红的枫叶不禁让我想起童年回家路上的一棵小枫树。它个头儿小,叶子也不多。可是秋天来了它却一天比一天的红。在那空气干燥,风沙满天的季节里它是唯一的精彩。

岚山的渡月桥
远处是岚山的渡月桥

周恩来总理《雨中岚山》的诗碑


位于岚山附近的天龙寺是临济宗天龙寺派的大本山。在1339年由室町幕府的第一代将军足利尊氏建造。至创建以来寺院遭遇了多次大火,现在我们看到的殿堂很多都是明治时代重新修建的。寺内的曹源池最负盛名,它以对面的岚山为背景借景生景。庭院里的一草一木都独具匠心,并以不均匀、不对称的曲线结构朔造出一种自然天成的和谐氛围。曹源池是第一个被日本政府指定为国家史迹和特别名胜的寺内庭院。并于1994年登录世界文化遗产。

世界文化遗产天龙寺的入口
天龙寺寺内的曹源池
天龙寺内的曹源池
天龙寺百花苑

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