« 3613中国は見る(2173)日本 慰安婦も世界遺産登録と懸念(1) | Main | 3615中国は見る(2175)日本 慰安婦も世界遺産登録と懸念(3)来年 中韓連合して慰安婦歴史遺産に登録申請(下) »

3614中国は見る(2174)日本 慰安婦も世界遺産登録と懸念(2)来年 中韓連合して慰安婦歴史遺産に登録申請(上)

明年中韩或将联合为慰安妇档案申遗(组图)
2015-10-15 10:43:20 来源: 东方早报(上海)

Photo郝月連さん  今年88歳、17歳の時、日本軍に強制連行され20日間、何度も暴行される。  

Photo_2中国軍隊に収容された朝鮮慰安婦。

Photo_3日本の軍医・麻生徹男氏が撮った写真《楊家慰安所》

Photo_42011年12月14日、韓国市民団体“韓国挺身隊問題対策協議会”が在韓国日本大使館前に元慰安婦の少女時代を題材にしたというブロンズ像“平和の碑”を建てた。

Photo_5中国の被害者・卓天妹さんは昔の事を思い出し、さめざめと涙を流す。 今年9月18日、上海師範大学で撮影。 朱偉輝

東方早報資料

早報記者:羅昕  実習生:宋浩

2015年最新“世界記憶遺産”の47件の登録リストの中で、中国が去年申請した南京大虐殺の資料が登録リストに名前があった。 しかし同時に申請された“慰安婦”資料は落選した。

“まだ望みを持っている。 根気よく続けさえすれば、いつかは世界遺産に登録できる” 10月13日、“慰安婦”資料の世界遺産申請の首席専門家、上海師範大学の蘇智良教授は申請経過、落選理由、この後の取り組みについて、早報記者の特別取材に対し、“この事はまだ終わっていない。 今まだ生存者がいます”と語った。

10月4日~6日にかけて、2015年“世界記憶遺産”がアラブ連合共和国アブダビで審議を終えた。 蘇智良教授は専門家グループに混じりオブザーバーの肩書で参加した。 彼は振り返りこう語った。 “会場の外にいました。 中国の代表団は会場の外の大きいソファーにいた。 日本の代表団は私達から数十メートル離れた隅にいた。 双方はとても緊張していました。 東アジア人の顔は、みんな会場の外でシャットアウトされました”

申請内容は14名の国連の国際諮問委員会委員により審査決定されました。

落選の最大の理由:日本側の妨害

“日本側は絶えず妨害してきました。 「手段を選ばず」といったところです” 慰安婦資料が世界遺産登録に落選したことについて、蘇智良教授は一番大きな理由は日本側の関与にあると見ている。 昨年、中国外交部は6月10日、南京大虐殺と日本軍の強制“慰安婦”の貴重な歴史資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請すると発表した。 翌日、日本の菅官房長官は中国に申請撤回を要求した。

蘇智良教授は、この後も日本側の妨害は終わらなかった。 たとえば日本側は“世界遺産申請の資料中のあるものはコピーだ。 原本は日本にある。 一部の写真に偽造の可能性があるため、中国に全面的な資料を公表するよう求めてきた"
“資料を私達はすべて公開している。 日本側に何かを発表する義務はない。 彼らは何を協力して調査するというのか? 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の規則にもそんな条文はありません”

日本側がぶつぶつと“コピーだ。 オリジナルは日本にある”というのは、日本の軍医・麻生徹男氏の写真《楊家慰安所》のことでしょう。 1937年秋、麻生徹男氏は上海派遣軍に参加して、上海に上陸し、兵站部の命で、楊家慰安所、江湾慰安所などを設立し、これらの写真を撮影しました。 1990年代初め、麻生徹男氏は、自費出版の形でメディアにこの事実を発表し、戦時中の日記や書簡、写真などを集め、ついに《上海から上海へ》という本を、1993年に石風社から出版しました。

麻生徹男氏の記述に基づき、蘇智良教授などは彼が言う上海の日本軍慰安所の遺跡を長期にわたり調査を行い、これら慰安所の存在を確認すると共に、楊家慰安所の遺跡から多くの日本の清酒の瓶や日本の火鉢などの実物を見つけました。 また史留留さん、沈美娣さんなどの歴史の生き証人を探し出し、それによって麻生徹男氏の記録の真実性を実証しました。 その上、日本軍の麻生徹男氏が“楊家”と言っていた慰安所は、実は、楊家ではなく、楊家の北側の東沈家だということが確認できました。

蘇智良教授は早報記者に対し、“《上海から上海へ》の本をアブダビに持って行き、答弁に備えようとしました。 私達が調査した新しい証拠で、事実ははっきりしました。 これはユネスコの要求にぴったり合うもので、日本側の言い方には絶対に道理がありません”
また蘇智良教授は、日本の関連部門が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国際諮問委員会14人の専門家に“ある工作をした”という。

《朝日新聞》の報道によると、“日本政府の高官が、国際諮問会委員が日本の関与について嫌悪感を示したことを認めた”と報じている。

“彼ら(日本側)は、民間の肩書を持つ人物を多数パリまで派遣し、中国には人種差別があると騒ぎ立てたり、多くの資料を渡して寄こした。 手渡された資料には“慰安婦”は妓女だとあり、これらの被害者を侮辱していた。 

蘇智良教授は、“彼らは「中国が問題国家だ」という世論を作ろうと考えていた”

明年中韩或将联合为慰安妇档案申遗(组图)
2015-10-15 10:43:20 来源: 东方早报(上海)

郝月连今年88岁,在17岁时被日军强行带走,在20天里遭到多次强暴。

被中国军队收容的朝鲜慰安妇。

日本军医麻生彻男所摄照片《杨家宅慰安所木屋》

2011年12月14日,韩国市民团体“韩国挺身队问题对策协议会”在日本驻韩大使馆前设立了象征慰安妇的受害女性铜像“和平碑”。

回忆起伤心往事,中国受害者卓天妹潸然泪下。今年9月18日摄于上海师范大学。朱伟辉

早报资料

早报记者 罗昕 实习生 宋浩

在2015年最新入选“世界记忆名录”的47个项目中,中国于去年申报的南京大屠杀档案榜上有名,同时申报的“慰安妇”档案却落选了。

“还存有希望,只要持之以恒,终有一天会申遗成功。”10月13日,“慰安妇”档案申遗首席专家、上海师范大学教授苏智良就申请经过、落选原因与后续工作接受早报记者专访,“这个事还没有结束,现在还有幸存者。”

10月4日到6日,2015年“世界记忆名录”在阿联酋阿布扎比举行封闭评审,苏智良以随团专家和观察员身份参会。他回忆:“在会场外,中国代表团坐在会场外面的大沙发上,日本代表团坐在离我们几十米的角落里,双方都很紧张。只要是东亚人的脸,都被挡在门外。”

申请项目由14名联合国国际咨询委员会的委员来审定。

落选最大原因:日方干扰

“日方不断阻挠,可谓‘不择手段’。”对于慰安妇档案申遗落选,苏智良认为最关键的因素在于日方干预。去年中国外交部于6月10日表示有关南京大屠杀和日军强征“慰安妇”的一些珍贵历史档案向联合国教科文组织申报世界记忆名录,次日日本官房长官就明确要求中国撤回申报。

苏智良说,在这之后日方的干扰也从未平息。比如日方以“申遗资料中有些只是复制品、有些原本保存在日本、部分照片可能伪造”为由要求中国全面公布资料,并曾试探派遣日方资料鉴定专家前往“协助”。“材料我们本就全部公开,没有义务再向日方公布什么;他们要协助调查什么呢?联合国教科文组织的规则上也没有这一条。”

而日方口中“只是复制品、原件在日本”指的是由日本军医麻生彻男所摄照片《杨家宅慰安所木屋》。1937年秋,麻生彻男加入日本上海派遣军,登陆上海,奉兵站之命,协助建立杨家宅慰安所、江湾慰安所等,并拍摄了这些照片。上个世纪90年代初,麻生彻男在日本多次以自费印刷出版的形式向媒体披露这一事实,并将战时日记书信与照片等最后结集为《从上海到上海》,由日本石风社于1993年出版。

而根据麻生彻男的记述,苏智良等人对他提及的上海日军慰安所遗址进行了长期调查,确认了这些慰安所的存在,并在杨家宅慰安所遗址寻找到许多日式清酒瓶、日式烤火盆等遗留实物,寻访到史留留、沈美娣等历史见证人,从而印证了麻生彻男记录的真实性。而且,确认了被日军和麻生彻男称之为“杨家宅”的慰安所,其地址并不在杨家宅,而是在杨家宅北侧的东沈家宅。

苏智良告诉早报记者,他还特意将《从上海到上海》带去阿布扎比,以备答辩之需。“我们通过调查寻找新的证据,把事实固定下来,这恰恰符合教科文组织的要求。日方的说法绝对没道理。”

此外,苏智良提及日本相关部门还向联合国教科文组织国际咨询委员会的14名专家“做了工作”。据日本《朝日新闻》报道,日本政府有官员承认,有的国际咨询委员对日本的干预表示厌恶。

“他们(指日方)还派人以各种民间的身份到巴黎去无理取闹,递交了很多材料,说中国有种族歧视。然后递交了很多材料说‘慰安妇’是妓女,再一次侮辱这些受害者。”苏智良说,“他们就想造成‘中国是个有问题的国家’的舆论”。

|

« 3613中国は見る(2173)日本 慰安婦も世界遺産登録と懸念(1) | Main | 3615中国は見る(2175)日本 慰安婦も世界遺産登録と懸念(3)来年 中韓連合して慰安婦歴史遺産に登録申請(下) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事