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3559中国は見る(2127)在日中国人作家が書く“靖国神社”(上)

一位旅日华人作家笔下的“靖国神社”   
2015-07-21 22:35:38  来源:辛子in日本

在日華人の大先輩・張石さんが新著《靖国神社と中日死生観》を書かれ、今年3月に“南粤出版社”から出版され、香港でも発売されている。 本当に喜ばしいことです。 張石さんは、日本に来る前、中国社会科学院日本研究所の講師兼研究員助手を務めていました。 現在は、日本の中国語新聞《中文導報》の編集局長を務めています。 

中日関係のニュースや時事評論の記事を書く以外、この数年来、張石さんはずっと、小説や随筆などを書き続けており、 中日両国の文化比較研究や歴史の淵源などの研究について、多くの書籍を出版しています。

靖国神社は敏感な中日関係の中にあって、常に人々の注目を集める敏感な場所となっています。 中日両国の間にいる中国人執筆者として、中国語圏の世界の人々にどう靖国神社を紹介するかは、簡単な事ではありません。 一般の中国人の心の中には、“日本軍国主義の悪の権化”A級戦犯を祀る靖国神社と映っています。 ですから靖国神社を参拝することは、“中国人民の感情を傷つける”だけでなく“日本の軍国主義の野心がまだ死んでいない”ことを意味しています――――このような思想を基に、中国人作者が中国の読者に靖国神社を紹介する時は、例外なく、真っ先に自分の愛国的立場を表明し、文章の中でも“政治的正しさ”という塹壕を掘って、体をかばうようにし、それからやっと声を上げるようにしています。 もしそうしないと、うっかりすれば、“人民の敵”となるからです。

しかし、張石さんの《靖国神社と中日死生観》の中では、護身用の“政治的正しさ”の塹壕を掘ることなく、お決まりの愛国の立場を表明することもなく、ただ自分の客観的な認識に従い、研究者の視角の目で、民族性を起点にして歴史を遡り、人間性を基点にして文化の対比を行い、また異なる文化の伝統を通して、中日間の全く異なる死生観認識について論述しています。 この本を通して、読者は、「日本にどうして靖国神社が存在するのか?」「中国はどうして靖国神社参拝に反対するのか?」「天皇はどうして靖国神社に参拝しないのか?」「靖国神社問題の本質は一体何か?」などを、はっきりと知ることができます。

「日本にどうして靖国神社が存在するのか?」は、第2章の“日本人の死生観の迷い”と第3章の“日本人の死生観の変遷”の中で、張石さんは歴史をさかのぼり、日本の歴史上有名な“四大怨霊”の話からスタートし、読者に日本の王朝社会の“怨霊文化”を紹介しています。 そして仏教が日本に伝わるに従い、禅宗が武士の宗教になった後、日本人の死生観にどのような重大な転換が起こったか―――怨霊文化を含む“御霊信仰”から、“死者即仏”の死生観に転化していったことを説明しています。

“死者即仏”は日本人の死生観で、日本独特の宗教観です。 “佛”は日本語では“仏”とも書きます。 日本語の辞書を調べると、“仏”の説明については、菩薩、仏陀を指すだけでなく、死者も指すとあります。 “死者即仏”の思想の起源については、日本学術界では今なお定説がありません。 でも、曹洞宗の創始者・道元禅師の思想を見ると、日本人の“仏”に対する認識を理解することができます。

道元禅師は、“現象世界の万物流転は、絶えず移り変わる。あらゆるものは常に変化して、一刻も同じ状態にとどまることはない、これが仏性の真理――――“草木樹林の中にも仏性がある。 国土の山河にも仏性がある。 ましてや人物の心にも仏性ある。 阿耨多羅三菩提(仏の悟り。一切の真理をあまねく知った最上の智慧。真理を悟った境地)、大般涅槃、一切衆生にはすべて仏性が備わり、その仏性をもつものは成仏できる……”と説く。

道元禅師のこの言葉、とても奥深さを感じさせます。 簡単に言うと、日本人の原始神道は、現世主義でした。 その後、仏教が日本に入って来ても、このような現世主義は消えないばかりか、日本の仏教の中に溶け込み、日本の仏教には、中国の仏教と全く異なる現世の性格を持つようになりました。 そのため、道言禅師の言う仏性も、浄土宗の開祖と言われる法然も現世の一切衆生には、全て仏性があると言っています。 法然の弟子の親鸞に至っては、“悪人正機”と言い出し、悪人(末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫のこと)こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の対象で、阿弥陀仏の浄土に対して自分を煩悩まみれのどうしようもない悪人であることを自覚すれば、悪人も仏陀になることができるという。

一位旅日华人作家笔下的“靖国神社”   
2015-07-21 22:35:38  来源:辛子in日本

旅日华人前辈张石兄的新著《靖国神社与中日生死观》 ,今年3月由“南粤出版社”出版并在香港发行,真是可喜可贺。张石兄来日本之前,曾任中国社会科学院日本研究所讲师兼助理研究员,现为在日华文报《中文导报》编辑局长兼副主编。除了撰写中日关系的新闻与时评,多年来张石兄还一直笔耕不止,从小说到随笔,到中日两国的文化比较研究与历史渊源探讨,有过多种书籍出版问世。

靖国神社在敏感的中日关系中,一直是个引人瞩目的敏感源。作为介于中日两国之间的中文写作者,如何向中文阅读世界介绍靖国神社,不是一件容易的事。在普通中国人心目中,供奉有甲级战犯的靖国神社,是“日本军国主义罪恶的化身”,而参拜靖国神社,不仅仅“伤害了中国人民的感情”,还意味着“日本军国主义野心不死”----在这样的思想主导之下,中国作者要向中国读者介绍靖国神社,几乎毫无例外地要首先表明自己的爱国立场,要在文章中先挖好一个“政治正确”的战壕用来防身护体,才敢继续发声。否则,一不小心就会变成“人民公敌”。

但是,张石兄在他的《靖国神社与中日生死观》一书中,并不修筑任何防身护体的“政治正确”战壕,也没有例行公事的爱国立场声明,而只是遵循自我的客观认识,用研究者的视角,以民族性为起点进行历史追溯、以人性为原点进行文化对比、并通过不同的人文传统,论述中日之间完全不同的生死观认知。通过此书,读者可以清晰地了解到:日本为什么会存在靖国神社?中国为什么反对参拜靖国神社?天皇为什么不再参拜靖国神社?靖国神社问题的本质到底是什么?

日本为什么会存在靖国神社?在第二章的“日本人生死观的迷津”与第三章的“日本人生死观的变迁”中,张石兄追溯历史,从日本历史上著名的“四大怨灵”故事开始,向读者介绍了日本王朝社会的“怨灵文化”,以及随着佛教传入日本,在禅宗成为武士的宗教之后,日本人的生死观如何发生重大转变---也即从包含怨灵文化在内的“御灵信仰”,转化为“死者即佛”的生死观。

“死者即佛”是日本人的生死观,也是日本独有的宗教观。“佛”在日文中写作“仏”,查阅日文词典对于“仏”的解释,不仅指菩萨、佛陀,也指死者。而关于“死者即佛”的思想起源,日本学术界至今并无定论。不过,看一段曹洞宗创始人道元禅师的思想,可以稍许了解日本人对于“佛性”的认识:

道元禅师认为:现象世界的无常迁流之态,本来便是佛性----“草木丛林之无常是佛性,人物身心之无常是佛性,国土山河之无常也因佛性而起。阿耨多罗三藐三菩提(无上的智慧觉悟),也因成佛性而变无常,大般涅磐,则因成无常而变佛性……”。

呵呵~,道元禅师这几句话,真是令人感觉好深奥。简言之,日本人的原始神道,是现世主义的,即使后来佛教传入日本,这种现世主义不但没有消失,还被融入到日本佛教之中,令日本佛教拥有与中国佛教完全不同含义的现世性格。因此,不仅仅是道元禅师认为连无常也有佛性,就连日本净土宗老祖法然上人也认为现世的一切众生,皆有佛性。而法然上人的弟子親鸞更是提出“恶人正机”之说,强调恶人正是阿弥陀佛拯救的对象,只要对弥陀净土有足够的信心愿望,恶人也能成佛。

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