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3529中国は見る(2101)中国人が“犬”を食べることと 日本人が“くじら”を食べることについて (下)

中国人“吃狗”与日本人“吃鲸”   
2015-06-24 07:27:43  来源:辛子in日本

これは日本式の宗教観です。 日本人はこのような方法でくじらに感謝し、お祈りするのです。 もちろん、海を越えはるばる日本式宗教を見にくる中国人は、こんなのくだらないと思う人もいます。 中には、これは日本式“偽善”だと思う人もいます。 クジラの肉を食べ、その骨を祀って“ご神体”として敬う――ああ! なんと“偽善的”だろう。 大陸文化の深い学識をもってしても、このような島国文化の二重性は理解しがたい。

しかも驚くことは、日本人はなんとこのような“偽善的”なことを代々伝えてきたことです。 千百年も変わることなく今に到るまで――現在でも日本の子供は、生まれて自分で食事をするようになると、母親から―――食事の前には両手を合わせ、“いただきます”と言い、食事を済ませた後にも両手を合わせて、“ごちそうさま”と言うように教えられます。

“いただきます”“ごちそうさま”は日本語の敬語です。 “いただきます”は“いただく”“受ける”の敬語で、“ごちそうさま”は“おもてなしを感謝する”の敬語です。 中国語では、この言葉は簡単に、“食事を始めます”、“満腹した”と訳しますが、日本語の本来の意味の中には感謝の気持が含まれており、この敬語が表すところは、“動植物が自分の命を捧げてくれたことで、私の命が続いていることに感謝します”“自然の恵みと自分が食べる動植物に対する敬虔な感謝の気持ち”を表わしています。

このような「自然の恵みにたいする気持」や「自分が食べる動植物に感謝する気持」は、私達中国人の飲食文化の中には、ほとんど見あたりません。

ほかのことは言わず、ブタのことについて言いましょう。 愛犬家達は、いつも“犬は人間の友達だ”と言います。 でも、よくよく考えれば、「ブタ」は、中国人の本当の昔からの友達じゃないですか!

ブタ肉を主な栄養源としている民族です。 私達中国人の“ブタを食べる歴史”は、歴史が長いものです。 殷墟から出土された甲骨文の記録によると、早くは商・周の時代に、先祖達が養豚していた記録があります。 中国人は数千年の間、いろんな天災人災を経験し、今なおねばり強く生き続けています。 中国のブタもこの数千年の間、知らず知らずのうちに彼らのおかげで私達の血肉となってきました。

しかし、私達はブタに感謝したことがあったでしょうか? またブタ達のため「ブタの骨」を祀った“ブタ寺院”を建てたことがあったでしょうか?――――普通では考えられないことです。 また感謝しないどころか、ブタ肉を食べた後、気に入らないことがあると、つい“ブタみたい”などと言ったりします―――私達はブタ肉を食べながら、心の中ではブタをバカにしているのです、感謝なんかしていません―――彼らは私達のために生命を犠牲になる運命だと思っています。 私達はよく“人を基本に考える”と言います――――飲食文化の伝統で、私達も本当に“人を基本に考える”をやりましょう。

このような文化伝統があったら、あの愛犬家たちが、玉林の「イヌ肉祭り」に行って、玉林の人達が犬を食べるの止めようとして断られた時、声をはりあげ、“イヌの肉を食べる者は、イヌにも劣る”と言うことができる。

これ、本当に愛犬家の言う言葉でしょうか? 私は違うと思います。 愛には必ず大事に思うことが含まれています。 どの生命にも、尊厳があります。 たとえ一匹の子犬でも、例外ではありません。  犬が好きなら、なんで“犬をののしる”ことができましょうか?

愛犬家が「そうなら」、あの犬を食べる者達は論外です――――“犬”は彼らにとっては、ただの肉でしかありません。 生命の形跡を取り除き、単なる“肉”というだけで、ただ食い気だけしかありません。

ですから、個人的に見ると、中国人が“犬を食べる”のと日本人が“クジラを食べる”のでは、血生臭い殺戮の飲食文化であっても、両者の間には、違いがあります。 日本人は感謝、追悼、供養など、方法で罪のつぐないをし、島国文化の二重性を表現しているのに対し、私達中国人は、ブタ肉、イヌの肉を食べた後、“ブタや犬にも劣る”とののしり、自分の優越性を表現し、中華飲食の“人を基本に考える”を実現している。

中国人“吃狗”与日本人“吃鲸”   
2015-06-24 07:27:43  来源:辛子in日本

这是一种日本式的宗教观。日本人以这样的感恩方式,来完成一种自我救赎。当然,隔海远观这种日本式宗教观的中国人,难免会觉得不伦不类,甚至有人会认为这是一种日本式“伪善”:吃完鲸鱼的肉,再将其骨头供奉起来,作为“神体”加以崇拜---天哪!还有比这更“伪善”的事么?即使以大陆文化之博大精深,也难以理解这种岛国文化的双重性。

但令人叹息的是:日本人居然还能将这种“伪善”世世代代地承传下来,甚至千百年不变地一直保存至今---到现在,即使是日本的小孩子,从生下来会说话会自己吃饭开始,就会被母亲教导说:用餐前要双手合什,说“いただきます”。用餐后也要双手合什,说“ごちそうさま”。

这是两句日文敬语。“いただきます”是“得到”“领受”的敬语,而“ごちそうさま”则是表示“承蒙款待”的敬语。尽管在中文里,这两句话被简单地翻译成“我开始吃饭了”“我吃饱了”。但在日文原意中,这两句敬语含有更为深层次的意义。这两句敬语所真正表达的,是“感谢动植物牺牲自己生命,来延续我的生命”。是对自然的恩赐、对成为自己食物的动植物们的一份虔诚的感恩之心。

而这种对自然的恩赐、对成为自己食物的动植物们的感恩,在我们中国人的饮食文化中,却是极少看到的。

不说别的,就说猪吧。尽管爱狗者们总说“狗是人类的朋友”。但仔细想想:猪,其实才是中国人民真正的老朋友呢!作为一个以猪肉为主要营养源的民族,我们中国人的“食猪史”是源远流长的。据殷墟出土的甲骨文记载,早在商周时期,先祖们就有养猪记录了。中国人能几千年经历各种天灾人祸,却依旧顽强存活至今,与中国猪在这几千年当中,无知无觉地奉献了它们的血肉是密不可分的。

但是,我们可曾有谁感谢过猪呢?更不用说为猪们修一座“猪寺庙”,里面再供奉一架全猪骨骼----那简直匪夷所思。不但没有感谢,在吃完猪肉之后,对于看不顺眼的,我们还会骂上一句“跟猪一样”---我们吃着猪肉,但心里却是瞧不起猪的,自然也并不感谢它们---它们活该为我们牺牲生命。我们常说“以人为本”----在饮食文化的传承上,我们是实实在在做到了“以人为本”的。

有了这样的文化传承,因此,即使是那些爱狗人士,跑到玉林的狗肉节,因阻止玉林人吃狗而遭遇拒绝时,也会愤怒得放声大骂“吃狗肉者,连狗都不如!”
这,真是爱狗者的表现么?我以为不是的。爱,必须是包含有尊重在内的。每一条生命,都是有尊严的,即使一条小狗狗也毫不例外。既然爱狗,又怎忍心作“狗骂”呢?
爱狗者既是如此,更遑论那些吃狗者了----“狗”对他们而言,不过是一种肉。而单纯一个“肉”字,就已经剔除了一切生命迹象,只剩下饕餮之欲了。

所以,依个人观点来看,中国人“吃狗”与日本人“吃鲸”,虽同为血腥杀戳的饮食文化,但两者之间,还是有所区别的。日本人以感恩、追悼、祭奠,等各种方式,来完成一种自我救赎,实现着岛国文化的双重性;而我们中国人,则是在吃完猪肉狗肉之后,再附加上一句“猪狗不如”的国骂,来实现一种自我优越,完成一种中华饮食的“以人为本”。

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