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3528中国は見る(2100)中国人が“犬”を食べることと 日本人が“くじら”を食べることについて (上)

中国人“吃狗”与日本人“吃鲸”   
2015-06-24 07:27:43  来源:辛子in日本

毎年夏至がやって来る頃、広西の“玉林のライチとイヌ肉祭り”のにぎわいが大きく取り上げられる。  遠く離れた、海を越えた日本でも、まるで玉林のイヌ肉の祭りで犬達が騒ぎ、包丁が振り上げられているのが聞こえてくるようだ。 山のように殺されたたくさんのイヌの死体が、瞬く間に玉林の人達の胃袋に入り、血液となり栄養となり、イヌを食べた者の体の重要な一部分となると考えると、心中、いささか恐ろしさと悲しみを感じる。

もとより私は“イヌ食好き”ではない。 だから犬は食べない。 しかし、他の人が犬を食べるのに反対はしない。 なぜかというと、毎日、いろんな動植物の栄養を取って、自分の命を維持している人間として、私はブタ肉、牛肉、鶏肉やその他いろんな肉を食べ後、口を拭って、イヌの肉を守ろうなんて言うことはできない。 他の人が食べるのを許さないだけでなく、その上“イヌの肉を食べるなんて、不道徳だ!”と非難する人がいる----このようなことはちょっとやりすぎだとは言わないが、ちょっと公平じゃないように思う。

ブタ肉や牛肉を食べたからといって、慈善事業を行ったわけではない。 イヌの肉を食べたからと言って狂気だというわけではない。 そんなことはない。 どちらも同じ穴のムジナです。 誰だって誰かさんより道徳的でないとか、誰かさんより悪いとか比べられません。 でもどんな動物の肉を食べるかの違いはあります。 みんな残虐です。 みんな自分勝手です―――私自身と含め、食事をすることによって生命を維持していのですから、関係を断つことができる人はいません。 だから、この一点から言えば、私は決してキリストではありませんが、しかし私は、キリスト教の中で言う“原罪論”という観点を支持します。 私は自分勝手です。 自分の生命のため、動物を犠牲にしその肉を食しています。 このことについて、私の内なる心の奥底で罪悪感を抱いています。 ですから私
は、食物をムダにしません。 また私が食する動物達の肉を、決してののしったり、侮辱しません。

ですから、私は決して犬を食べるのに反対しません。 でも玉林の「イヌの肉祭り」の大きな騒ぎを見、殺される犬達の悲鳴を聞くと、やはり思わず可哀相になります。 ところで、私の傍にいる日本人の友達は、“中国人が犬を食べる”ことについて、国を越えた尺度で“理解”と“寛容さ”を見せ、“あー! 食品の多元化よね。 イヌの肉を食べるのは文化の伝統で、日本人がクジラを食べるのと同じでしょう”と話す。

私はもちろん、中国人が“犬を食べる”ことは文化の伝統だと思っている。 日本人が“クジラを食べる”ことも文化の伝統だと、私も信じているように。 しかし、中国人が“犬を食べる”ことと、日本人が“クジラを食べる”ことは全く同じだろうか?
これについては、私はそうとは思はない。

日本人がクジラを食べること。 そしてクジラを食べることは、大和民族の伝統文化だと思う。 日本人自身の捕鯨の歴史の考証によると、最も早いのは8000年前の縄文時代前期まで遡ることができるという。 古代日本では、仏教信仰のため、肉食が禁止された歴史がある。 そのため豊富な蛋白質に富んだクジラの肉は、かって日本人の貴重な栄養源(日本人の思考では、動物の肉を“肉”と言い、“魚”は“魚”で、“魚”は“肉”ではなかった。 クジラは哺乳動物だが、海で生活しているため、一般的に魚と同類と見られている)となった。

であるため、クジラは日本では、海神と同じように崇拝されてきた。 漁業の安全祈願いとして、またクジラへの感謝と供養として、日本各地にはクジラ神社が建てられた。 中にはクジラの骨がご神体として祀られていた。 千葉県和田浦など日本にはそう多くないがクジラ漁港があり今なお“クジラ祭り”の伝統イベントが保存されている。

中国人“吃狗”与日本人“吃鲸”   
2015-06-24 07:27:43  来源:辛子in日本

每年夏至到来时的广西“玉林荔枝狗肉节”,动静真的很大。隔着千山万水,我在大海这边仿佛都听闻到玉林狗肉节上的鸡飞狗跳,屠刀霍霍。一想到被宰杀的成堆狗狗尸体,瞬间进入玉林人的胃袋,并融化成血液般的营养,成为食狗者身体里不可或缺的一部分,心里未免便有些惶恐凄然。

当然,我并非“狗粉”,所以,虽然自己不吃狗,但也并不反对他人吃狗。因为,作为一名每天都在吸取着各种动植物的营养来保全自我性命的人,我无法想象自己在吃完猪肉牛肉鸡肉以及各种肉之后,擦擦嘴巴,然后去捍卫狗肉。不仅不许别人吃,还要横加指责说“你吃狗肉!你不道德!”----虽然不敢说这样的做法未免太装,但最起码是缺乏公平的。

吃猪肉牛肉固然无法体现一种乐善好施,吃狗肉也无法证明就是一种丧心病狂。没有这回事。都是一丘之貉,谁也不比谁更道德,谁也不比谁更善良,不过所食动物的肉种不同而已,都一样的残暴,都一样的自私罢了---连同我自己在内,只要还在靠进食来维持生命,就没有人能脱离干系。所以,从这一点而言,尽管我并非基督徒,但我是支持基督教中“原罪论”这一观点的。我为了自私为了自己的生命,而必须牺牲动物食用它们的肉体,对此,我内心深处是有负罪感的。所以,我不敢浪费食物,也所以,尽管我食用动物们的肉,但却并不敢骂它们侮辱它们。

也因此,尽管我真的并不反对吃狗,但看到玉林狗肉节的浩大声势,以及被屠宰的狗狗们哀怨的悲鸣,还是情不自禁地心有凄凄然。反而是我身边的一些日本朋友,他们对“中国人吃狗”表示了一种跨国度的、大尺寸的“理解”与“宽容”,说:“噢~!食品多元化,吃狗肉是一种文化传统,这跟日本人吃鲸鱼完全相同”。

我当然相信中国人“吃狗”是一种文化传统,就像我并不怀疑日本人“吃鲸”也是一种文化传统一样。

但中国人“吃狗”和日本人“吃鲸”完全相同么?这个我倒是并不这么认为。

日本人吃鲸,并认为吃鲸属于大和民族的传统文化。按日本人自己对捕鲸历史的自我考证,认为最早可以追溯到8000年前日本绳文时代前期。而且,古代日本曾因为佛教信仰,有过禁肉历史。因此富含丰富蛋白质的鲸鱼肉,一度成为过去的日本人宝贵的营养源(在日本人的概念中,动物的肉才叫“肉”,而“鱼”就是“鱼”,“鱼”不是“肉”。鲸鱼虽然是哺育动物,但因为生活在海里,一般是被作为鱼的同类看待的)。

正因为如此,鲸鱼在日本,是被当成海神一般来崇拜的。作为对渔业安全的祈祷、对于鲸鱼的感谢与追悼,日本各地还修建有鲸鱼神社,里面供奉着鲸鱼骨作为神体。在千叶县和田浦等日本为数不多的捕鲸鱼港,至今还一直保存着“鲸鱼祭”的传统活动。

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