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3530中国は見る(2102)藤沢海岸で《義勇軍行進曲》を聞く

通讯:在日本藤泽海岸倾听《义勇军进行曲》
2015-07-11 21:50 来源:中国青年网 
   

Photo新華ネット東京7月11日電:

日本の藤沢海岸で《義勇軍行進曲》を聞く  新華社記者:劉秀玲、馮武勇

7月11日、日本の神奈川県藤沢市鵠沼海岸の公園内で、雄壮な《義勇軍行進曲》が鳴り響いた。 80年前の7月、《義勇軍行進曲》の作曲者・聶耳は鵠沼海岸で水泳中、不幸にも亡くなった。 年は23歳だった。

この人民作曲家の死去80周年を記念して、在日中国大使館と東京都日中友好協会は11日、鵠沼海岸にある聶耳記念碑前で記念活動を開催した。 日本の友好人士、藤沢市役所、市民代表、在日華僑華人など150人が記念碑前に集まり、共に聶耳を偲んだ。

聶耳は中国近代の有名な作曲家で、中華人民共和国の国歌《義勇軍行進曲》の作曲者である。 聶耳記念碑は東京から約50キロ離れた鵠沼海岸にあり、太平洋に面し、ゆったりとした海風に吹かれ静かに立っている。 1935年7月17日、中国国内の白色テロを避けるため、しばらく日本で暮らしていた聶耳は、ここで水泳中、不幸にも溺れて亡くなった。 亡くなる数日前、聶耳は《義勇軍行進曲》の譜面を書き上げ中国に郵送していた。

記念式典が開始する際、全員が黙祷を捧げた。 在日中国大使館の郭燕公使が挨拶に立ち、“聶耳の音楽作品は中華民族の大事な精神的財産です。 聶耳は音楽の力で、中国全人民の抗日戦争にたいする怒りの声を奮い立たせ、新しい血にたぎる長城を築きました。 公使は、中国を代表し、藤沢市が長年にわたり記念碑を守ってくれたことに感謝の意を述べると共に、日本各界の友好的な人々と、両国の民間交流、相互理解を強化しようと述べた。

1949年、藤沢市民の有志が聶耳の記念碑建設の活動を始めた。 1954年11月1日、聶耳記念碑は正式に完成した。 しかし、残念にも4年後、猛烈な台風のため壊されてしまった。 1963年、藤沢市に聶耳記念碑保存会が設立され、1965年9月、聶耳記念碑が各方面の努力の下、再建された。 それ以降、藤沢市は毎年、ここで記念活動を行っている。

聶耳記念碑保存会の渡辺光雄会長は記者に対し、“ここは聶耳の亡くなった場所として、多くの人が訪れます。 私達はしっかりと保護しなければなりません。 今年、藤沢市は一連の聶耳記念イベントを予定しています。 日中関係改善を推進し、両国の友好が増進できるよう望んでいます”と語った。

今年、還暦の坂田和子さんは、わざわざ東京から記念活動に参加している。 彼女は記者に対し、“1949年に中華人民共和国が建国した時、聶耳が作曲した《義勇軍行進曲》が中国の国歌となった。 これはとてもすごい事です”と語った。 坂田さんは、1962年から日中友好の民間交流活動に携わっている。 “今日、みんなと一緒に、この曲を聞き、聶耳の一生を偲んでいます。 私はうれしく、興奮して、涙が流れてしかたありません”と語った。

記念式典の後、元中京学院大学教授、聶耳研究家の岡崎雄児氏は、中日友好人士達のために《歌曲で革命に参加する》と題した記念講演を行い、聶耳の作曲生涯と抗日戦争革命生涯について語った。

通讯:在日本藤泽海岸倾听《义勇军进行曲》
2015-07-11 21:50 来源:中国青年网    

新华网东京7月11日电通讯:在日本藤泽海岸倾听《义勇军进行曲》
新华社记者刘秀玲 冯武勇

7月11日,日本神奈川县藤泽市鹄沼海岸,雄壮的《义勇军进行曲》在一处公园内响起。80年前的7月,《义勇军进行曲》作曲者聂耳在鹄沼海岸游泳时不幸遇难,年仅23岁。
为纪念这位人民作曲家逝去80周年,中国驻日本大使馆和东京都日中友协当天在位于鹄沼海岸的聂耳纪念碑前举行纪念活动。包括日本友好人士、藤泽市政府和市民代表、在日华侨华人等150人聚集在纪念碑前,共同追思聂耳。

聂耳是中国近代著名作曲家,也是中华人民共和国国歌《义勇军进行曲》的作曲者。聂耳纪念碑就坐落在距东京约50公里的鹄沼海岸边,背对太平洋、伴着徐徐海风静静矗立。1935年7月17日,为躲避国内白色恐怖暂避日本的聂耳在此游泳时不幸溺亡。遇难几天前,聂耳刚刚把《义勇军进行曲》曲谱定稿寄回国内。

纪念仪式开始后,全场肃立默哀。中国驻日本大使馆公使郭燕致辞说,聂耳及其音乐作品是中华民族宝贵的精神财产。聂耳用音乐的力量,激发了全中国人民愤怒的抗战呼声,筑起了新的血肉长城。她代表中方向藤泽市多年来坚持不懈保护纪念碑表示感谢,并表示将与日本各界友好人士一起,加强两国民间交流和相互理解。

1949年,藤泽市民志愿者发起修建聂耳纪念碑活动。1954年11月1日,聂耳纪念碑正式落成,但不幸于4年后毁于一场强台风。1963年,藤泽市成立聂耳纪念碑保存会,1965年9月,聂耳纪念碑在各方努力下重新建成。此后,藤泽市每年都在此举办纪念活动。
聂耳纪念碑保存会会长渡边光雄告诉记者说,“每个人的一生会留下很多足迹,这里作为聂耳逝世的地方,我们需要把它好好保护起来”。他说,今年藤泽市还准备了一系列纪念聂耳的活动,希望能够以此推动日中关系改善,增进两国友好。

年逾花甲的坂田和子专程从东京赶来参加纪念活动。她告诉记者,1949年中华人民共和国成立,聂耳创作的《义勇军进行曲》成为了中国国歌,这是非常了不起的事情。坂田说,她从1962年开始从事日中友好民间交流活动,“今天能与大家共同倾听这首曲子,追思聂耳的生平,我又激动,又高兴,眼泪都快下来了”。

纪念仪式后,前中京学院大学教授、聂耳研究家冈崎雄儿为中日友好人士做了题为《用歌曲参加革命》的纪念演讲,追述了聂耳的作曲生涯和抗战革命生涯。

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