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3434中国は見る(2025)日本女性の“母性保護論争”

日本女人的“母性大辩论”   
2015-04-01 21:38:35  来源:辛子IN日本

先頃、学者の周国平先生がツイッターに、女性について2つの

評論を書かれていた。  “男には野心が沢山ある。 自分には

多くの使命があると思っている。 一方、女性には一 つの野心

しかない。   心の中では、愛と子供を産み育てることを人生最

大の重要事と考えている” “女性は才気があり、業績がいかに

あろうと、もしやさしい恋人であり、思いやりのある妻、慈愛の母

でないと、彼女の美点は大きく減点される”

やさしさ、思いやり、慈愛――――周国平先生が女性にいろん

な“レッテル” を貼ったことは、女性解放論者からは 不評で、男

権主義者の独りよがりの優越感だとして、包囲攻撃式の批判に

遭い、このツイッター発言は、“ツイッター事件”となった。

周国平先生のツイッターでの女性に関する発言を、もし2つの字

に要約するとすれば、“母性”と言えるだろう。 かれこれ100年

くらい前、与謝野晶子と平塚らいてう ――この二人の日本文壇

の女性が、“母性”問題で、有名な「母性保護論争」を展開したこ

とがある。

1878年、大阪堺市の商人の家に生まれた 与謝野晶子は、有名

な浪漫派の女性詩人で、最初の歌集《みだれ髪》は、日本の文壇

を震撼させた。   その歌集の中で男女の奔放な情熱を歌い上げ、

当時の封鎖的な日本社会に核爆弾のような衝撃を与え日本文壇

に大きなきのこ雲を残し、今も消すことのできない“後遺症”を残し

ている。

一方、1886年、明治高官の家庭に生まれた平塚らいてうは、日

本の有名な女性解放運動家である。 25歳の時、有名な女性文

芸誌《青踏》を発刊、その創刊の辞として、“元始女性は太陽であ

った”と書き、女性には自分を太陽とし、男に頼って光を出すだけ

の月とならないよう自立を呼びかけた。

女性に太陽となるよう呼びかけた平塚らいてうは、スウェーデンの

女性教育家エレン・ケイの熱烈な崇拝者で、彼女は《青踏》誌の中

で、《恋愛と結婚》、《児童の世紀》などの作品を訳し、積極的にエレ

ン・ケイの女性解放と子供と教育に関する様々な主張を評価してい

た。 エレン・ケイは、“女性の生活の中心要素は、母となることだ”、

そして “女が男と共にする労働を、女自身の 天賦の制限を超えた

権利の濫用”だとして、男女の悪平等だとした。

しかし、11人の子供を生み育てた女性詩人の与謝野晶子は、そう

とは思わず、エッセイを書き反論した。  “私は母たることを拒みもし

なければ悔いもしない。 寧ろ私が母としての私をも実現し得たこと

は其相応の満足を実感している。 にもかかわらず、女がこの世の

中に生きていくのに、なぜ 母となることばかりを中心要素とせねば

ならないのか?”と疑問を投げかけている。

与謝野晶子は11人の子供の母の身ながら、しかし母性を中心とし

て生きてはいないと思っている。 子供の母となっても自分は依然

として男の妻であり、人の友であり、世界の人類の一人であり、日

本臣民であり、思索し、詩を歌い、原稿を書き、衣と食を 工夫する

という頭脳労働、肉体労働など あらゆる労働をする独立した人間

である。 与謝野晶子はこれら一つ一つの事を行っている中で、自

分の生活を中心として、それぞれ多面的に自分を捉えている 生活

が自然な状態だと思っている。

与謝野晶子はエレン・ケイの文章に反対しており、当然、エレン・ケ

イの作品を翻訳している平塚らいてうから強い批判を受けた。 “与

謝野晶子はエレン・ケイのことがまったくわかっていない。  女は結

婚して子供を生む時期には、“母性保護”のため、家庭に戻るべき

だ。 家庭に戻る時の育児費は、社会と国家が負担すべきだ。 な

ぜなら、子供は社会と国家に属するからである。

平塚らいてうが自分のエッセイを見て批判したのを見て、与謝野晶

子はまた文章を書いて反論した。      こうして2人は1919年から

1919年にかけて、それぞれメディアで1年にわたり大論争を展開

した。  2人の日本文壇の女流文化人の相違点を要約すれば、与

謝野晶子は女は絶対的、徹底的な独立が必要で、男に依存せず、

国家や社会にも依存してはいけない。 自分に依存する経済的自

立が必要だ。 女の“母性”は天然のものであって、生む場合は自

給自足すべきだ。 保護してもらうべきでない。

一方、平塚らいてうは、女は子供のために家庭に復帰すべきと考

える。  子供は最終的には社会と国家に属するものだから、国家

と社会は、女の“母性”保護のため、育児補助金を支払うなど女性

の権益保障システム確立の必要性を訴えた。

母性保護を主張し、世界に“女は太陽だ”と 宣言した平塚らいてう

は、《青踏》誌の創刊ほどなく、自分より5歳年下の画家・奥村博史

を好きになり、《青踏》誌で両親に対し、公然と“独立宣言”を発表し、

奥村博史と同棲し子供をもうけた。 その後、奥村博史は体が弱く

病気がちになり、経済困難に陥った。 平塚らいてうは苦心して設

立した《青踏》を離れざるをえなくなり、家庭に戻り、多病の夫と幼

い子供の面倒を見、子供と夫のやさしい太陽となった。

女の徹底的な独立を主張した与謝野晶子は、自分の“徹底した独

立”を貫き、全人生を貫徹している。  与謝野晶子の夫・与謝野寛

は、才気に溢れていたけれど、終生 思い通りにはならず、家の す

べての経済はすべて妻の原稿によって支えられた。 与謝野晶子

は原稿を書き続け、11人の子供を育て上げただけでなく、自分が

稼いだ原稿料で夫をフランスに留学させ、夫が愛する雑誌《明星》

を復刊させ、終始“日本詩壇の第一人者”という地位は揺らがなか

った。

与謝野晶子と平塚らいてうの考えは 対立していたけれど、しかし

日本近代史上、出色の女性達である。 彼女たちは女権を強調し

たが、しかし決して男と対抗しようとか平等にしようかではなく男に

保護と協力を強く訴えたのである。 今の言葉で言えば、彼女らは

“女性の男性主義者”であり、本当の意味でのフェミニストである。

日本女人的“母性大辩论”   
2015-04-01 21:38:35  来源:辛子IN日本


不久前学者周国平先生在微博贴出两条关于女人的评论,说“男人有一千个野心,自以为负有高于自然的许多复杂使命。而女人只有一个野心,骨子里总是把爱和生儿育女视为人生最重大的事情。”又说:“一个女人才华再高,成就再大,倘若她不肯或不会做一个温柔的情人,体贴的妻子,慈爱的母亲,她给我的美感就要大打折扣。”


温柔、体贴、慈爱----周国平给女人贴上的各种“标签”,令女权主义者们很不高兴,被作为男权主义者自以为是的优越而遭遇围攻式批评,微博发言闹成了一个“微博事件”。


其实周国平先生在微博关于女人的发言,若归纳成两个字,就是指女人要有“母性”。远在近百年前,与谢野晶子和平冢雷鸟――这两位日本文坛的名女人,也曾就女人的“母性”话题,有过一场极为著名的大争论。


1878年出生于大阪堺市的商人之家的与谢野晶子,是日本著名的浪漫派女诗人,第一本诗歌集《乱发》问世,便震撼了整个日本文坛。其诗歌中对于男欢女爱大胆奔放的描写,在当时封闭守旧的日本社会如同抛下了一颗核导弹,在日本文坛升起一朵巨大的蘑菇云,留下至今都无法清除的“后遗症”。


而1886年出生于明治高官家庭的平冢雷鸟,则是日本著名的妇女解放运动家。25岁那年创办著名的女性文艺杂志《青鞜》,并起草创刊词,开篇便一鸣惊人地说:“元始,女人是太阳。”呼吁女人要自己做自己的太阳,而不要做依赖男人才能发光的月亮。
呼吁女人要做“太阳”的平冢雷鸟,是瑞典女教育家爱伦·凯的热烈崇拜者,她在《青鞜》杂志翻译爱伦·凯《恋爱与结婚》、《儿童的世纪》等作品,积极推崇爱伦·凯关于妇女解放与儿童教育的种种主张。爱伦·凯认为“女人生活的中心要素,就是成为母亲”,并认为“男女共同劳动,是超越女人自身天赋限制的权利滥用”,是一种恶性的男女平等。
但生育有11个孩子的女诗人与谢野晶子对此不以为然。并撰文公开表示反对。说:“我不拒绝成为母亲并且从未有过后悔。而且我对能够成为母亲的自己还拥有相当满足的实感。但是,女人在这世上活着,为什么就必须得以做母亲为中心要素呢?”


与谢野晶子认为自己即使身为11个孩子的母亲,但却无须以做母亲为中心。即使成为了孩子的母亲,但自己仍然是一个男人的妻子、某人的朋友、世界人类的一员、日本臣民的一位,仍然在思索、吟诗、写稿,在衣食上下功夫,是从事脑力劳动、体力劳动等所有劳动的一个独立的人。与谢野晶子认为“在这一件一件事情的交替中,以自己的生活为中心,并专注于每一个不同的层面,才是生活的自然状态。”


与谢野晶子反对爱伦·凯的文章,自然受到爱伦·凯作品的翻译者平冢雷鸟的强烈批评,认为与谢野晶子根本没有读懂到爱伦·凯,并主张女人在结婚生子时期,有必要为“保护母性”而回归家庭,而在回归家庭时的育儿费,应该由社会与国家负担,因为儿童是属于社会与国家的。


看到平冢雷鸟的批评自己的文章之后,与谢野晶子又继续撰文反驳,如此一来一往,两人从1918--1919年,分别在媒体上展开了一场跨年度的大辩论。归纳起来,两位日本文坛名女人的争论分歧点是:与谢野晶子认为女人要绝对的、彻底的独立,既不依赖男人,也不依赖国家和社会,而只依赖自己。女人的“母性”是天然的、自给自足的,不需要谁来刻意保护;另一方面,平冢雷鸟则认为女人为了孩子而回归家庭,而孩子最终是属于社会与国家的,因此国家和社会为了保护女人的“母性”,有必要建立起完善的支付育儿补贴等妇女权益保障体系。


主张母性保护、向世界宣告“女人是太阳”的平冢雷鸟,在《青鞜》杂志创刊不久之后,爱上比自己小5岁的画家奥村博史,并在《青鞜》杂志向父母发表公开的“独立宣言”后,与奥村博史同居生子。之后因奥村博史体弱多病,加上经济困难,平冢雷鸟不得不放弃了苦心经营的《青鞜》,回归家庭专心照顾多病的丈夫和年幼的孩子,做只属于孩子和丈夫的温柔太阳。


而主张女人要彻底独立的与谢野晶子,则将只依赖自己的“彻底独立”贯彻了整个人生:与谢野晶子的丈夫与谢野宽,虽然才华横溢却终生不得志,家里的一切经济来源都靠妻子写稿支撑。而与谢野晶子不仅靠勤奋写稿将11个孩子抚养成人,还用自己挣下的稿费送丈夫去法国留学、为丈夫心爱的杂志《明星》复刊,并始终保持“日本诗坛第一人”的地位不动摇。


与谢野晶子与平冢雷鸟的观点虽然不同,但都是日本近代史上优秀出色的女性。她们强调女权,但却并不与男人抗衡或平分天下,而是强大到足够给予男人呵护与力量,用当下的话来说,她们是“女的男性主义者”,也是真正意义上的女权主义者。

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