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3353中国は見る(1948) 天皇陛下 ③ 今上天皇ご紹介(下)

天皇陛下 新年に当たってのご感想 
「戦争の歴史の反省」を呼びかける

日本天皇发表新年感言 呼吁日反省二战历史
2015-01-03 09:47  来源: 网易

人物紹介:今上天皇

明仁天皇((Akihito,1933年12月23日--),日本の現在の天皇,今上天皇である。明仁天皇は昭和天皇の第一皇男子で、生まれた時の名前は“榮”(えい,桐の别名),即位前
のご称号は「継宫」といい、即位后の年号は平成とされた。 1852年11月に皇太子となった。

学習院大学経済学部を卒業。 1989年1月7日践祚し,第125代の天皇となり、年号は“平成”と改まった。 明仁天皇は魚類の専門家であられ、魚類雑誌に多くの論文を発表されたことがある。 

2011年3月16日,東日本大震災之後には、初めてテレビに出演され、国民に強く生きられるよう呼びかけられた。

1.健康はすぐれず、行事・式典が過重

明仁天皇26年の天皇の生活は、誠に大変なもので、特に身体に問題がある。 皇太子時代、検査で結核に罹っていることが判明した。 長期間の治療でやっと治った。 1995年には、大腸内のポリープ手術を行った。 メディアの中には、腸癌ではないかと見る向きもある。 2002年には、前立腺癌が発見された。 この時は、天皇の意向を受け、この病名を公式に発表した。 2003年1月18日に、前立腺の全摘出手術を行うと共に、万全を期すため引き続き、治療が行われた。 2008年には、宮内庁はホルモン療法の副作用で、骨粗鬆症に移行する恐れがあると発表した。 同年12月9日、天皇が胃と十二指腸に炎症が発見され、心臓にも問題があると、発表された。

明仁天皇は、日本の近代以降の天皇の中で,入院する回数が最も多い。 幸いなことに、もう明治时代ではない。 もし昔だったら、天皇は“神”だから,どんな手術や治療なども受けられなかったろう。 いずれにしろ、明仁天皇の健康はずっとよくない。 これははっきりしている。

天皇として、每日の仕事は沢山ある。 では、明仁天皇がやるべきことにはどんな仕事があるのだろうか?

先ずは、赴任したり退任するすべての大使との接见がある。 これはすべて事前に手配されており、接見に立ち会った人によると、接見の間中、天皇はまるで“ロボット”のようだったという。

次いで、大臣以上の役職の任命書や、政府が授与するいろいろな褒賞、勲章への署名。

次に、訪日した外国元首の招宴、国際会議への出席。 これは基本的に儀礼的なものである。 外国の元首は天皇の食事を食べても、天皇とは何も話はしない。 用がある時は、首相と話せばいい。

あとは、特定の日の追悼式典に出席することがある。

古希(満七十歳)になっても、こうしたきつい仕事に出席しており、健康のよくない明仁天皇にはとても疲れることである。

2.戦争の後始末が「捨て去ることが出来ない」負の遺産

健康がよくないだけなら、それだけのことだが、明仁天皇には頭が痛いことが多く、望みごとが叶いそうにない。

日本の敗戦の時、明仁天皇は12歳だった。 皇室の当時の決まりで、1944年に近衛師団の少尉につくこととなっていたが、当時は、日本の敗戦が濃厚であったため、皇室は最終的に明仁天皇を軍隊に入隊させることはなく、ただ銃を持ち軍服を着た写真一枚だけが残っている。

しかし、昭和天皇が在位期間中に起こした侵略戦争は、ずっと明仁天皇の「負の遺産」として残された。   戦争を体験した日本人の中には、天皇に対して崇拝から幻滅、そして怒りを感じている人もいる。

皇太子だった期間に、明仁天皇は1975年に沖縄を視察されたことがある。 沖縄は第二次大戦中、最も悲惨な戦場の一つで、一般人の死傷者も甚大だった。 明仁皇太子が「ひめゆりの塔」を訪れ、戦争中死亡した女子学生を悼もうとした時、沖縄解放同盟準備会のメンバーに火炎瓶を投げつけられることがあった。

明仁天皇となられて以降、実際に、戦争で残された「負の遺産」をどう処理するかが、常に大問題となっていた。   戦争への批判が十分でなければ、左翼や戦争被害者の不満を呼び、批判が強すぎれば、右翼の攻撃に遭うかもしれない。

だから、明仁天皇はこの問題では、常に注意深く、控え目に発言し、両陣営から揚げ足を取られないようにしていた。 左右陣営が同時に居合せる会議での、明仁天皇は座席に座っていても、とても辛い立場にあった。 だから切羽詰ッた結果、言葉をあいまいにし、平和はなんと尊いものかというしかなかった。 

この「エッグ・ダンス」をするような感覚は、考えたらとても「辛いものだ」。

3.血筋を伝えること と 皇太子とのわだかまり

もう一つ、大事な問題がある。 天皇の後継者問題である。 これが明仁天皇一家を悩ませている。

徳仁皇太子が天皇の心配の種である。 皇太子は結婚が遅く、長いこと子供に恵まれず、やっとのこと生まれたが、女の子だった。 日本の現行の法律では、男性だけが皇位を継承できる。

現在の状況から見ると、このことで、皇室内部に大きな対立が生まれている。 宮内庁は、問題は主に現代派の雅子皇太子妃にあると見ている。 そこで、この元外交官の宮廷外での活動を厳しく制限すると共に、雅子妃の月経周期ごとのものを収集するといった侮辱的なことまで行い、なんとしても、皇室のため妊娠させ、継承者を生ませようとした。

だが皇太子は、断固、雅子妃を庇い、宮内庁と対決した。 明仁天皇・美智子妃、夫婦は、どちらかと言うと宮内庁側に立ち、皇太子夫婦は、自分の職責を全うせよと見ている。 皇太子たちがこうするのには道理がある。 マッカーサーが日本にいる間、協力して作った法律に根拠がある。 天皇家は養子を取ることができないし、妾を置くこともできない。 もし直系の継続者がいなければ、天皇制は自動的に廃止となってしまう。

こうしたことから、もともと関係がよかった天皇父子の間に「冷戦」が勃発した。

幸いなことに、二番目の皇子・秋篠宮文仁親王が父親の苦衷を察し、妻の紀子妃が40歳の時、前置胎盤と大出血の危険を冒し、2006年に男子を生まれた。 現在、皇室継承順位第三位の男の子となった。 

この結果、秋篠宮紀子妃は、美智子皇后に養蚕を習い始めている。 養蚕は、皇后になったら学ぶ技術とされている。

将来、皇位をどう伝えるかが、頭の痛い問題となっている。

日本天皇发表新年感言 呼吁日反省二战历史
2015-01-03 09:47  来源: 网易

人物介绍:明仁天皇

明仁天皇((Akihito,1933年12月23日--)男,日本当今在位的天皇,即今上天皇。明仁天是昭和天皇裕仁的长子,出生时的徽印印号为“荣”(えい,桐的别名),即位前宫号为继宫,即位后定年号为平成。1852年11月立为皇太子。学习院大学经济系毕业。1989年1月7日继位,成为日本第125位天皇,年号“平成”。明仁天皇是鱼类专家,曾在鱼类杂志上发表过许多论文。2011年3月16日,在日本地震之后,首次现身发表电视讲话,呼吁国民坚强活下去。

1.健康不佳礼仪活动过于繁重

不过,明仁天皇20年的帝王生涯,却真是过得不容易。身体就是个大问题。

早在皇太子时代,他就被检查出患有结核病,经过长期治疗才痊愈。1995年,他做腹内手术,据说是摘除大肠息肉,但也有记者认为可能是肠癌。 2002年,他被检查出前列腺癌。这一次,经天皇允许,向公众公开了这个消息。2003年1月18日,他做了前列腺全摘除手术,并继续进行癌症对症治疗。 2008年,皇室公布消息,由于治疗中使用激素,天皇患了骨质疏松症;同年12月9日,又公布天皇患有胃和十二指肠疾病,心脏也有问题。

明仁是日本近代以来的天皇中,进医院次数最多的。好在这已经不是明治时代,否则,天皇作为“神”,是不允许接受任何手术性治疗的。尽管如此,明仁的健康一直不佳,是显而易见的事情。

作为天皇,每天的工作也不少,那么,明仁天皇平常都有哪些工作必须要做呢?

首先,是接见所有赴任和卸任的大使。其实,要说的话和回答的话都是事先安排好的,参加过接见的人说,整个接见过程中,天皇就像台“机器”;其次,签 署所有部长以上官员的任命,颁发各种日本政府的奖励勋章;再次,宴请来访外国元首以及出席一些国际会议,这基本上是纯礼节性的,因为外国元首虽然吃了天皇 的饭,却和天皇没什么可谈的,有事情还是找日本首相;还有,要在一些特定的日子主持一些保佑日本的祭祀活动。

在古稀之年还要参加这些繁重的礼仪性活动,确实令身体状况不佳的明仁天皇有些吃力。

2.战争苦果甩不掉的负资产

如果仅仅是健康不佳倒也罢了,让明仁头疼的事情还很多,而且很难看到希望。

日本战败的时候,明仁只有12岁。按照皇室当时的规矩,他1944年就应该到近卫师团担任少尉。或许因为当时日本败象已显,日本皇室最终没有让明仁到军队中任职,只留下了一张他持枪穿日军军装的照片。

日本明仁天皇

然而,裕仁天皇在位期间发动的侵略战争,一直是明仁天皇的“负资产”。经历过战争的日本人,对天皇都有过从崇拜到幻灭甚至愤恨的过程。

还在担任皇太子期间,明仁曾于1975年到冲绳视察。那里是二战中最惨烈的战场之一,民众死伤惨重。当明仁前往“白百合塔”悼念战争中死亡的女中学生时,遭到冲绳独立运动组织成员投掷燃烧瓶袭击,太子妃负伤。

实际上,明仁担任天皇以后,怎样处理战争遗留下的负资产一直是个大问题。如果对战争的谴责不够深刻,会遭到左翼和战争受害者的不满;但如果谴责过于深刻,又怕被右翼攻击。

明仁在这个问题上一直低调再低调,小心翼翼地尽量两方面都不得罪。碰上左右翼同时到场的会议,明仁坐在天皇的座位上,就如同在火上烤一样难受。实在被逼急了,他就只好大谈和平是何等珍贵,顾左右而言他。

这种“在鸡蛋上跳舞”的感觉,想来很不好受。

3.延续血脉与太子心存隔阂

另一个,也是更要命的问题,则是天皇的继承人。这始终困扰着明仁一家。

太子德仁让明仁很不省心。德仁结婚晚,长期没有孩子,好不容易生了一个,还是女孩。而按照日本现行的法律,只有男性才能继承皇位。

从现在披露的情况看,日本皇室内部因此产生了很大矛盾。宫内厅认为,问题主要出在现代派的皇太子妃雅子身上,于是采取措施,严格限制这位前外交官的宫外活动,甚至采取收集其月经周期这样近乎侮辱的举动,以促使其专心怀孕,为皇室生继承人。

而皇太子则坚决站在太子妃一边,与宫内厅展开斗争。天皇明仁夫妇总的来说是站在宫内厅一边,认为太子夫妇应该履行自己的职责。他们这样做自有道理--根据麦克阿瑟在日本期间“协助”制定的法律,日本天皇家族既不能过继,也不能纳妾,如果没有直系继承人,天皇制就要自动废除了。

这样一来,原来关系不错的天皇父子之间也爆发了“冷战”。

好在二儿子文仁体谅老父苦衷,其妻纪子妃在40岁时冒着胎盘前置和大出血的危险,在2006年生下一个男孩,成为目前日本皇室第三代唯一的男丁。不过,这样的结果是,文仁的妻子纪子妃也开始跟婆婆学养蚕了--这是日本皇室皇后才需要学习的技术。

将来,皇位该怎样传法,实在是一件令人头疼的事情。

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