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3245中国は見る(1850)日本の女性は力強い

 

 

日本妹妹有力量 

2014-07-28 06:40:34 来源:辛子IN日本

 

 

以前、帰国した際、中国国内は日本製品ボイコットの真っ只中

だった。上海で友達らと集まって会食した。 席上、出版社の

集長が酒をすすめにやって来た。 乾杯をした後、編集長は酒

席の話  として“日本製品は ボイコットできても、 日本女性

イコットできないよ。 だって、日本女性は とても  「かわいい 

からねえ」 ボイコットなんかできないし、ボイコットしようとも思わ

ない。 釣魚島は中国のものだし、日本女性も私達のものだ!”

言った

 

この話を聞いて、その場で私は笑いを我慢できなかった。  “ほ

ほほ~ 日本女性の殺傷能力も、天下無敵ですよ~

 

中国語にも“魅力”という言葉がある。日本では、中国の“魅力”

より更に伝記的色彩の強い“妹の力”が見られる。   “妹の力”

は、 決して 妹のことを 指すのではなく、広く女性のことを 

う。  大正14年 (1925年)、民俗学の始祖・柳田国男氏が

《婦人公論》で、“妹の力”という文章を発表し、妹の力” という 

3文字が人々の思考の範疇に入り始めた。

 

柳田国男は著述の中で、東北地方の田舎で耳にした珍しい 

記録している。    盛岡東部の辺鄙な山村に、大金持ちがいた。

らし向きは豊かで、家には 6人の兄弟がいた。   長兄以外の

りの 5人には奇妙な遺伝の病気があった。  時には意識がは

きりしているのだが、 時には狂気じみることがあった。 お祖

さんが、狂気が起きた時、仏堂の前で首をつりました。 一、

正常な長兄は、悲観し絶望のあまり、東京に 大金を持って行き、

お金をすっからかん になるまで 使った後、 鬱病を患い、井戸に

身を投げて自殺しました。 家には、5人の 狂った兄弟と13歳の

小さな妹が残されました。

 

とても奇妙なのは”、柳田国男は、“この5人の精神錯乱男達は

心が一つとなり、13歳の小さな妹が彼らの指導的役割を 果たし

ていたことです。      例えば、向こうから 旅人が来た時、 妹が、

 「あの人は 鬼だ」  言うと、 兄弟達は鬼” と思い、妹が、“あ

の男をやっつけなさい!” と言ったら、 兄弟達は、どっと 取り囲

んで、その旅行者を 殴ったり蹴ったりします … そのため、彼

らの家の前の土手を通る人はいなくなりました”  と書いている。

 

13歳の小さな女の子が、どうして 5人の精神異常者の 男達を、

おとなしく言いつけに従うようにさせられたか、論理的説明は

しい。 しかし、これらは日本の民間の奇聞集に存在するという。 

 

柳田国男は、日本は古代から女性が神秘的な力を 持っている

 とに対する信仰と崇拝があり、たとえ日本が近代に入った後

も、根絶できていないと見ている。

 

古代日本人は女には 男にはない 神霊の力があると思っていた。 

女性の出産も、女が男より更に自然に近いと考えた ―――とい

うより女は男より神霊に近いと見ていた。 そのため、神霊を祀る

女性を神の妻あるいは神の侍女と見て神聖化した。   自然と神

霊の崇拝から、女性崇拝が生まれ、そして 日本女性の最も古い

職業―――巫女が誕生した。

 

巫女というと、最も代表的な人物は弥生時代後期(2世紀末頃)

邪馬台国の女王・卑弥呼である。 卑弥呼は方術(祈祷)がう

く、それで内乱を平定した。 年わずか17歳で邪馬台国の女王

となった。    当時、日本列島には大小30余りの国があったが、

いずれも、邪馬台国が 間接的あるいは 直接的に 統治し、まる

で国家連合のようで、女王・卑弥呼が最高指導者だった。

 

《魏志倭人傳》によると、神秘的な力を保持するため、卑弥呼

常に奥深い宮中に籠り、ずっと本当の姿を見せなかった。 卑

呼が死んた後、男性が王に立ったが、みんなが服さず、邪馬

国は乱れ、死者が千人を超すほどになった。そこで別の13歳の

女性が即位し、やっと内乱が平定した。 これからも分かるように、

古代日本の女性崇拝思潮は、本当に強いものがあった。

 

しかし、このような女性の不思議な力に対する崇拝は、その後、

大陸の文化の流入、特に中国の儒家思想が 日本の各階層に

浸透するに従い、次第に薄れていった。 取って代わったのが、

性は外、女性は内という男権主義が盛んになった。   しかし、

れでも、民俗学者の柳田国男が証明しているように、日本人

内心の深い所では、女性崇拝は消えてないという。   例えば、

2次世界大戦の時、多くの日本人兵士が命令を受け 出征す

る前、母親或いは姉妹、妻など 女性の髪の毛を 身に付け、お

守りとして出征していった。

 

現代日本になっても、日本人の内心の深い所では女性は崇拝

ており、また別の新しい意味が生まれた。 2つの言葉で説明

しましょう。  一つ目は、萌えるといった“いやし系” もう一つは

しなやかだが強い“大和撫子”。   “いやし系”の典型は、10年

前頃、日本で広く流行ったメイド喫茶。 また“大撫子”の代表

、東日本大震後、ワールドカップのチャンピオンとなった“日

本女子サッカー”。  当時、3.11”の巨大震災で、日本

の上なく悲嘆にくれていた“日本女子サッカー”は、震災後の

日本に、大きな光明をもたらした。    大和撫子”達は、最も大事

な時に、彼女たちの “女子力というガンバリで、日本人の勇気と

精神を呼び覚ました。

 

 

日本妹妹有力量 

2014-07-28 06:40:34 来源:辛子IN日本

 

有一次回国时,国内正掀起抵制日货的爱国热潮,在上海和一帮朋友聚餐,席间有出版社老总过来敬酒,碰杯之后,对方趁着酒兴道:抵制日货,但不抵制日本妹妹。因为日本妹妹实在太“卡哇伊~~~~,木有法子,无法抵制,而且不想抵制啊~~钓鱼岛是我们的,日本妹妹也是我们的!

 

这话听得我当场就忍不住咧嘴狞笑:呵呵~日本妹妹的杀伤力,果然天下无敌啊~

 

中文有个词叫“魅力”,而在日本,比“魅力”更有传奇色彩的是“妹力”。“妹力”一词,在日文中写作“妹の力”。当然这个“妹”并不专指妹妹,而是泛指女性。1925年(日本大正14年),日本的民俗学始祖柳田国男在《妇人公论》发表了一篇名为“妹の力”的文章,“妹力”二字开始进入人们的思考范畴。

 

柳田国男在文中记录了他在日本东北地区的乡下听来的一件奇事:盛冈东部一个偏僻的小山村,有一个大户人家,家道殷实,但家中六兄弟,除长兄外,其余五人全都患有某种奇怪的遗传病,有时神志清醒,有时疯癫发作。家里的祖父在一次疯癫发作时自缢于自家佛堂前,唯一精神健全的长兄,在悲观绝望之余,携巨款到东京挥霍一空之后,也患上忧郁症投井自杀。家里只剩下五个疯兄弟,和一个十三岁的小妹妹。

 

非常奇怪的是”,柳田国男写:“这几个精神错乱的男人全都一条心,13岁的小妹妹则是他们的首脑。比如说对面若走过来一位旅行的人,妹妹说那人是鬼,几兄弟眼里看到的就只有鬼,妹妹若开口说‘打死他!’,几兄弟就会一拥而上,朝那旅人拳打脚踢……以至于吓得再也没人敢从他们门家前的河堤边路过。”

 

一个十三岁的小女孩,如何能让五位精神失常的大男人规规矩矩地俯首听命,还真是很难找到符合逻辑的解释。但通过这些仍存在于日本民间的奇闻轶事,柳田国男认为日本自古代以来所拥有的对于女性神秘力量的信仰和崇拜,即使在日本步入近代之后也并不曾被根除。

 

古代日本人认为女人拥有男人所没有的神灵之力。就连女性能生育一事,也被看成女人比男人更接近自然---也即女人比男人更接近神灵。因此,那些奉祀神灵的女性被当成神的妻子或是神的侍女而被神圣化。源于对自然与神灵的崇拜,而产生出女性崇拜,也因此连带诞生了日本女性最为古老的职业---巫女。

 

说到巫女,最具代表性的人物是弥生时代后期(2世纪末左右)邪马台国的女王卑弥呼。卑弥呼因为擅于方术而平定了内乱,年仅17岁便成为邪马台国的女王。当时日本列岛有大大小小30多个国家,均由邪马台国间接或直接统治,宛如一个古日本版的国家联盟,女王卑弥呼则是最高盟主。

 

据《魏志?倭人传》记载:为了保持神秘灵力,卑弥呼永远隐藏于深宫之中,从不显露真身。卑弥呼死后,立男性为王,结果众人不服,邪马台国大乱,死者过千。于是不得不另立13岁的新女王台与登基,才终于再次平定了内乱。由此可见,古日本的女性崇拜思潮,实在称得上是顽固。

 

但这种对女性神异灵力的崇拜,后来随着大陆文化的传入,以及中国儒家思想在日本各个阶层的渗透,而逐渐淡化并几近消失。取而代之的,是男主外、女主内这一夫唱妇随模式的男权主义昌盛。但尽管如此,如同民俗家柳田国男所检证的那样:日本人内心深处的女性崇拜其实从未消失。例如在第二次世界大战时,许多日本士兵在奉命出征前,都会贴身携带母亲或是姐妹、妻子等女性亲人的头发,作为护身符以求一命平安。

 

到了现代日本,日本人内心深处的女性崇拜,又派生出另外的新意义。用二个词来描述的话,一个是具有萌属性的“治愈系”,另一个则是拥有柔韧品质的“大和抚子”。“治愈系”的典型,是十年前左右在日本开始风行的女仆咖啡店;而“大和抚子”的代表,则是在东日本大地震之后,获得世界杯冠军的“日本女足”---当时在“3.11巨大的震灾悲痛中,整个日本都变得无比沉闷,是“日本女足”为大灾之后的日本带来了第一丝光明。“大和抚子”们在最关键的时刻,以她们坚韧不拔的“妹力”,唤醒了日本人的勇气与精神。

 

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