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3191中国は見る(1806)本当に“格好付け”ではない

 

 

真的不是“装” 

2014-06-10 09:14:47 来源:辛子IN日本

 

 

先日の 起った事。

 

 

が一階の客間のテーブルの上で原稿を書いていたところ、 突然、

裏庭からドスン”という音が聞こえてきた。   まるで何か重い物が

い空から落ちてきたようだった。  続いてカラスの一群が、“ガー

ー” ……“何かあったの?” とでもいうようにと甲高い声をあげ

た。

 

私は思わず窓を開け、外を覗いてみた ……ただ見だけだったが

しっかり内容はつかんだ。 裏庭の地べたには、硬直した緑色の鳥

横たわっており、三、羽のカラスがその上を飛び回っていた

――の美しい緑の鳥は、もう死んでいた。 カラスは鳥を食べよ

うとしていた。

 

 

の美しい緑の鳥オウムだった 以前、オウムはもぐもぐと言葉

を練習していたかもしれない……この幸せで穏やかな朝、不幸にも

突然カラスの一群の襲撃い、そこで生命が断たれた――――

自分のこのような想像に涙がほろほろと流れた。 涙を流し

がら飛ぶように2階にがると、白を引っ張り出した――――私

臆病だから、の死んオウム触ることができません。 唯一で

るのは勇気を出して、オウムを食べようとしている カラスを追っ払

い、の後、布を硬直した オウムの身体にかけることだった

カラス目の中の赤外線を通して獲物を探します。 死んオウム

が白しっかりかぶせられると、カラスは、もうそれ見つける

ができません

 

午後中学生の 娘・mii が学校から帰って来ました。 私はオウム

彼女に話しました。  娘は かばん を置くと、裏庭に走ってい

た。  窓を通して、私は13歳の娘が、白布の下のオウムに向かっ

て合掌る姿が見えた …… 続いて、私達はいっしょに隣の家の呼

び鈴を押た。     隣のおじさんにオウム埋葬の手伝いを頼んだ

……私達ウムのためにささやかな葬式を行い、それから、オウ

を裏庭の柿の下に埋め

 

 

私はツイッターに、この事を書いた。 内容は、“とてもつらい。 

命、オウムの運命、実際になんの違いもないというものだっ

た。

 

その日遥か遠いウルムチ、爆発事件起こり、そのため31人が

亡し、百人近い人が負傷した ―――この突然のニュースは、生命

がかくも無常なことを感じさせた。    遠方での このような多くの人命

にしろ目の前のこの オウムの命にしろ、どちらも みんな 光り輝く日

下、消えてしまった……これ以上、悲しい事があるだろうか

 

しかしネット上で私のツイッターを見た一部の人が、“気障ったらし

とか、格好付け” だと非難した。

 

 

私は“格好付け” でしょうか? 心の中で自問自答しました。 

、毎日 忙しく、いらいらした環境の中で、慌しい、 せわしなく 動く

暮らしをしていたら、恐らく こんなに きめ細かい気持ちを 持ち、一匹

の不幸にして死んだオウムを悲しむことなどきないでしょう。 です

ら、私を批判したネッの人達の角度から見ると、“気障ったらしい”

とか、格好付け” に見るのでしょう。 

 

これは、日本に来たばかりの頃、しばらくの間、日本人愛犬を

くしたため家族全員が悲しみ、みんな会社から休暇をもらい、一

匹の亡くなった犬のため盛大葬式を 行っていることを、ずっと

思議に思ったのと同じようなことす。

 

 

しかし今、私はこの気持ちがよく分かるようになりました。 それは私

がある日突然宗教心を持ったわけでも、 突然この世界の万物

生あるものすべて平等を理解したわけでも ――――決してそうでは

ありません。 ただ、私生活する環境以前中国国内にいた

比べて、大いに違ってきただけです。   中国にいた時の生活環境

、すべて変り、一足飛びに ジャンプし、絶えず 新しくなったのです。

すべてあまりにも早く変化したため、生命が消えていこうと感傷的に

させる時間などなかったのです。 そのような環境の中で、きめ細

かい感情など、人から嫌われました。 しかし今は違います。    今の

生活環境、静かなことアリの足音さえ聞きとれるほど静かで、いつ

の間にか心の中の硬いたこ溶解したみたいです ……すべての感

傷的なものが顔を出してきました。  ですから、落葉が落ちることに

さえ、内心の憂いと悲しみを呼び起こします ……れは本当に“

好付け”ではありません。

 

 

 

 

真的不是“装” 

2014-06-10 09:14:47 来源:辛子IN日本

 

是不久前一个早晨发生的事。

 

我正坐在一楼客厅的餐桌上写稿,突然,听到后院里传来“扑通”的一声,仿佛有什么重物被狠狠地从高空抛下来,接下来,是一群乌鸦“嘎嘎嘎”的欢呼声……发生什么事了?我不由自主地打开窗子,探出头去……还只瞧上一眼,整颗心就被狠狠地揪紧了起来:只见后院的地上,直挺挺地躺着一只绿色的鸟,三、四只乌鸦正盘绕着它低空飞翔---那只美丽的绿鸟,想必已经死了,而一群乌鸦正在准备享用它。

 

那只美丽的绿鸟,是一只鹦鹉。也许,就在不久前,它还在支支吾吾地练习说话吧……可是,在这个原本应该幸福平和的早晨,它却不幸地突然遭遇到一群乌鸦的袭击,于是生命嘎然而止----我被自己这样的想象折磨得泪流满面,流着泪飞奔到楼上,寻出一块白布----我如此胆小,不敢去碰那只死去了的鹦鹉。唯一能做的,是壮起胆来替它赶走那些想要吃掉它的乌鸦,然后将那块白布盖在它已经僵硬的身体上---乌鸦是通过眼睛里的红外线来寻找猎物的,死去的鹦鹉被白布盖住之后,乌鸦便再也无法找到它。

 

下午中学生mii从学校回来,我告诉她关于鹦鹉的事,mii于是放下书包,跑到后院去看。透过窗子,我看到13岁的mii,正朝着白布下的鹦鹉合掌默哀……接下来,我们一起去按响了邻居家的门铃,请邻居大叔来帮忙一起埋葬那只鹦鹉----我们为鹦鹉举办了一个小小的葬礼,然后将它埋在了后院的柿子树下。

 

我在微博上记录了这件事,并写“很难过,一条人命,和一只鹦鹉的命,其实并无任何不同。”

 

因为那天在遥远的乌鲁木齐,也发生了爆炸案,有31人因此遇难,近百人受伤---这些突如其来的消息,让人感觉:生命如此无常,无论是远方的那么多条人命,还是眼前这一条鹦鹉的命,他们都居然会在如此灿烂的阳光下,说消失,就消失……还有什么比这更令人深感悲凉的事了呢?

 

可一些网友在看过我的微博之后,指责说:“有些矫情”“太装了”。

 

我太装了吗?我也在心中反问自己。我想:如果我生活在一个忙碌的、焦躁的环境之中,带着一颗喧哗的心每日脚步匆匆,恐怕是不会有这样细腻的心情,来为一只不幸遇难的鹦鹉而悲伤的。因此,换成指责我的网友的角度去看,或许的确是有些“矫情”有些“装”了。这就像我刚到日本时,曾经有一段时间,一直对日本人会为失去爱犬而痛不欲生、会全家人集体从公司请假,为一只去世的小狗举办隆重的葬礼这件事感到不可思议一样。

 

但现在,我则是能彻底明白这份心情了。那倒不是因为我在某日突然拥有了一份宗教心,突然明了到这世界万物,众生平等----并不尽然如此。而只是,我所生活的环境,比之过去在国内时,大有不同而已。在国内时的生活环境,一切都是变迁的、跳跃的、日新月异的,一切过于迅速的变化,让你目不暇接到没有时间为任何生命的消逝去伤感。在那样的环境中,过于细腻的情感,甚至都是让人厌恶的。但现在不一样。现在的生活环境,宁静得可以足够让你聆听到蚂蚁的脚步声,宁静得足以在不知不觉中溶化心中长出的那层硬茧……一切的多愁善感都在脱茧而出,于是,即使一片落叶,也会唤醒内心的忧伤…….那真的不是“装”。

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