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3137 中国は見る(1767)東京雑記 (下)

 

东京漫笔 

2013-10-14 00:03:44 来源:南方周末

 

 

Photo

神保町の古書店街

 

 

私に東京の大きさを感じさせたのは、建物ではなく、本屋さ

んです。 あるいは、なんだと思われる方がいると思います。 

本屋さん? どの街にも本屋はあるじゃないか。  しかし、神

田に行ってごらんなさい。  靖国通りの長い一角に、ずらり

と並んだビルの中に、なんと本屋さんが一杯なのです。 正

確な数は 180軒余りで、その中で古本屋が 160軒あまり

あります。   以前、ここに来たことがあったが、その時は日

程が慌ただしかったため、ただ端っこの 2,3店を見て回り、

何冊かの本を買っただけだった。 今回は時間的余裕があ

たので、1ヶ月の間に、7,8回も行ってきた。   それでも、

まだほんの一部だけだ。 本屋巡りは疲れる。  本棚の前

立ち、左を見、今度は右を見ているまに、あっという間に

間が経ってしまう。   昼ごろになり店に入ってラーメンを

べ、ついでに休憩し、午後も引き続き見て回る。   こうし

一日が終る。 何冊か収穫して、楽しみで心が躍る。

 

 

ここの本屋は数が多いだけでなく、その上種類も豊富で、専

門分野も揃っており、言語分野の種類も多様である。  本だ

けでなく、作家や各界の有名人の手稿、書道や 浮世絵など

ある。   私は“洋書”(西洋の本のこと)の店で、西洋の18,

19世紀に出版された古本を沢山見た。    中には “原産地”

でも恐らく手に入らない貴重本にも出会った。   私はが見た

のはグロシュースの《戦争と平和の法》(1631年のオランダ

語版、価格35万円)や、1748年に出版されたモンテスキュ

ーの 「法の精神」の フランス語版(22万円)、11巻本の《ベ

ンサムの通信集》、そのほか、中国語訳の ステイン・ハーバ

ード講演集、ヘディンの 中央アジア探検の名著 「ストコルモ

版」等々……

 

南海堂書店は歴史に関する 著作を主に集めており、店の中

2つの大きい書棚には中国の文学や歴史に関する各種の

著作が、 時代別、特別テーマなど、一様でなく 並べられ、日

本の中国研究のエキスが展示されている。

 

 

この書店をぶらぶらしている時、私は 感嘆しながら、時々、

思議に思うことがある。 どうして東京に、このような古書店が

あるのだろう?  私が行ったことがある都市の中で、ヨーロッ

パにしろ、北アメリカにしろ、アジアの 他の国と 比べて見ても、

神保町の 本屋街がは、本当にナンバーワンだ。   日本人は、

格別に読書を愛しているのか? 地下鉄の中でも手に本を持

っている人が確かに多い。   私は、おばあさんがサンドルの

《正義》を夢中になって読んでいるのを見ました。   本を読む

人が多ければ当然、本屋が発達するはずです。   しかし、古

本店が、こんなに多いのは、やはり別の説明が必要です。

 

 

歴史的に、日本は中国からたくさんの法令制度を導入しまし

た。   しかし両国の間には、歴史的なつながりでは、大きな

違いがあります。 日本の君主はいずれも、過去、征服によ

って即位してはいません。 天皇は武家時代、長期にわたり

名前だけの 存在で、政権交代する 情況にはありませんでし

た。 いわゆる万世一系は、確かにうそではありません。 

 

 

中国では、王朝の交代は、周期的に起こったことです。 時

代の交替は、“城壁の上の旗がめまぐるしく変る”だけでな

く、前王朝の様々なものがことごとく排斥されました。    前

王朝の文武官は殺戮され、前王朝の遺民は追放となりまし

た。 もちろん、現王朝に合わない禁忌の書籍は、取り除か

れました。   秦始皇の「焚書坑儒」(書物を焼き学者を穴埋

めにした)ことから清朝初期の「文字の獄」(反抗的なものを

極刑に処す)まで、どれだけの人が、専制の斧で、非情にも

断ち切られたことかわかりません。 ずっと “文革”になって

らも、紅衛兵達がおびただしい 蔵書を“封建・資産階級・

正主義”の書籍として焼却したではありませんか? それ

比べると、日本は王朝交代で 逆恨みすることもなく、本の

難も運よくなく、そこで古い 書籍がどんどん増え、古書籍

もどんどん発展してきたわけです。  これが、重要な理由

ゃないでしょうか?

 

 

歴史を尊重し 世界を抱擁する

 

 

現在の世界で、東京は間違いなく重要な国際化都市の一つ

す。  ここの政治制度と西側は同等価値感を有しています。 

貿易は世界とつながっています。 料金を払えば、CNNや

BCなど、いかなるテレビでも受信できます。 国立西洋美術

館には、ルーベンス、ゴッホ、モネ、ピカソなど大家の作品を

収納しています。 ヨーロッパや南米のサッカーの決勝戦が、

東京に隣接する横浜で開催された。人々は西洋の音楽芸術

を熱狂的に追求しており、ここから小沢征爾が世界的指揮者

になった……

 

 

強い感激を受けたのは、 昔、武力で脅し、日本を 開国させ

西洋列強に対し、日本人は 憎しみの 気持を 表に出さず、

逆に、感謝の表明をしていることだ。 東京芝公園のそばに、

私はペリー提督の銅像が立っているのを見つけた。 それは

私が前に触れた、米国艦隊を率いて 江戸湾に入り、日本に

3つの港を開港するよう迫った“黒船事件”の主役である。東

京だけでなく、ペリーの銅像は、当時、上陸した 下田 と北海

道函館市にも立っている。   銅像だけでなく、紀念碑や紀念

館などもある。

 

 

Photo_2

函館市のペリー紀念像

 

 

中外交流史の興味から、私はこれら交流記念物に気をつけて

見ている。しかし行く先々で、それらの大多数はなくなっていた。 

アメリカ人のワード(Frederick T.Ward)は、清政府を助け、太平

天国を討伐したが、戦場で死んだ。 その当時、清廷は厳かに

表彰を行い、松江で彼のために墓を建てたが、今はもう跡形も

ない。 私の郷里煙台は、宣教師が福音を広めると共に、教育

も始め、人々を救済し、落花生や 沢山の果物の栽培を導入し、

大変貢献したといえる。 しかし抗米援朝戦争(朝鮮戦争)が起

こるや、これら戦争と少しも関係ない歴史の人々は燃やされ墓

碑はこわされてしまった。  北京では、明・清時代のイエズス会

の宣教師マテオ・リッチなどの墓地も義和団や紅衛兵で災難に

あい“文革”終了後、修復された。だが、これは形式だけの墓地

かも知れない。   現在、北京市委員会党校の校園の中にあり、

一般観光客は見学ができない。  このような歴史意識に反する

行為の理由はどこにあるのか、私達は反省しなくてはいけない

と思う。

 

 

もちろん、日本人が西洋列強の侵略の遺跡をすべて適切に保

存しているからといって、この国の 国際化の程度どうか

うと違う見方も当然あるだろう。       2003年7月、黒来航

150周年の、イギリスの雑誌 「エコノミスト」記事を書いて

いる。 見出しはなんと“ペリーが開港して150年後、

才の状況は変わらず” 150 years after  Commodore Perry

Japanese spiritwestern things

米国の有名な“日本研究家”のライシャワー氏が、“日本

の長所を吸収しながら、それなのに頑固に自国の文化を

っかりと守るという 特色をもっていると 分析し、その上、日本

人は自卑と傲慢の間を周期的に揺れ動いていると批判し、

済と科学面で世界から賞賛されるのと 同時に、依然とし

て世界と隔絶するころがあり、国際的なことで 積極的な役

をしたくないなどと多角的に分析している。 



ライシャワー教授は、日本生まれ、日本人を夫人としている。 

彼はハーバード教授で米国の 駐日大使でありながら、 日本

に対する熱を表明していた。 彼の批判は日本人らも

入れられた。   もちろん、日本人はいかなる事を受け入れる

場合も慎重過をする。これ日本日本たる理由でしょう。

 

 

 

东京漫笔 ②

2013-10-14 00:03:44 来源:南方周末

 

 

神保町的古书街

 

 

让我感受东京之大的,最富于冲击力的也许不是建筑,而是书

店。也许有读者会奇怪:书店?哪座城市没有一些书店呢。可

是,当你来到神田,或者叫做靖国通り的那条大街的一长段上,

鳞次栉比的楼宇中,居然布满了书店。准确的数量是一百八十

余家,其中旧书店——日语称之为“古书店”,有一百六十多

间。过去我曾经到过这里,但因为行程仓促,只是在最边缘的

两家书店匆匆买了几本书。这次时间充裕,一个月里,我去了

七八次,但也只是局部。逛书店是个累活,站在书架前,左看

看,右翻翻,不知不觉就是半晌。中午找一家小店吃一碗拉面,

顺便歇息一下,下午接着看。一天下来,几本收获,满心乐趣。

 

 

这里的书店不仅数量多,而且品类丰富,专业齐整,语种多样。

不仅有书籍,还有作家和各界名人的手稿、书法以及浮世绘等。

我在几家卖“洋书”(专指西文书)的店里看到不少西方 18

19世纪出版的老版本,有些在“原产国”恐怕也是 稀见品了。

我看到格劳修斯的《战争与和平之法》(1631年荷兰文版,价

35万日元),看到约 1748年出版的孟德斯鸠《论法的精神》

法文版(22万日元),看到 11卷本的《边沁通信集》,还有

我有中文译本的斯坦因哈佛演讲集、赫定关于中亚探险的那本

名著的斯德哥尔摩初版……

 

 

南海堂书店以经营历史著作为主,店中两大架书均为研究中国

文史的各种著作,断代、专题等不一而足,显示日本的中国学

研究的专精。(贺卫方摄)

 

 

在逛这些书店时,我一边感叹,一边也有些不解:为什么东京

有如此繁华的古书业? 在我到过的所有城市里,无论是欧洲,

还是北美,抑或是亚洲其他国家,相比之下,神保町书店街真

正是首屈一指。是日本人格外热爱读书?地铁里一卷在手的人

确实很多,我甚至看到一个老太太捧着一本 桑德尔的《正义》

读得津津有味。爱阅读的人多,自然也就会催生书店业的发达。

但是,旧书店这么多,还是需要别的原因解释。

 

 

在历史上,日本从中国输入了许多典章制度,但是,两国之间,

历史的连贯性有着巨大的反差。日本的君主,从来都不是通过

征服而登基。虽然天皇在幕府时代曾长期沦为符号,然而却未

曾有过改朝换代的情况,所谓万世一系,良非虚言。 在中国,

改朝换代,乃是周期性发生的故事。朝代的更替不只是“城头

变幻大王旗”而已,还伴随着对前朝种种的激烈排斥。对前朝

文武的杀戮,前朝遗民的自我放逐,当然也需要消除那些不利

于本朝合法性的违碍书籍。从秦始皇的焚书坑儒到清朝初期的

文字狱,不知道有多少文脉被专制的斧钺无情斩断。 一直到

文革”,红卫兵们不是也烧毁了汗牛充栋的“封资修”书籍

么?相比之下,日本几乎没有这样代际冤仇,书之祸也得以幸

免,也就有了古旧书籍的不断积累和旧书业的蒸蒸日上。这是

否是一个重要原因呢?

 

 

尊重历史与拥抱世界

 

 

在当今世界上,东京毫无疑问是最重要的国际化都市之一。这

里的政治制度与西方具有同样的价值基础;贸易连接五洲四海;

只要付费,任何电视机都可以收到CNNBBC ;国立西洋美

术馆里收藏有鲁本斯、梵高、莫奈、毕加索等大师的作品;欧

洲与南美的足球俱乐部冠军年度对决在 毗邻东京的横滨举办;

人们对于西方音乐艺术有着近乎狂热的追求,这里走出的小泽

征尔是享誉世界的指挥大师……

 

 

让我感受强烈的是,对于当年以武力相威胁打开日本国门的西

方列强,日本人并没有表现出仇恨的心理,相反还有许多感激

的表达。在东京芝公园旁边,我意外地发现矗立着一尊佩里准

将的塑像,那正是我们前面提到的,率领美国海军舰队陈兵江

户湾,迫使日本开放三个港口城市的“黑船事件”的主角。不

仅在东京,佩里的塑像也竖立在当年登陆的下田和北海道函馆

市。不仅有塑像,还有纪念碑以及纪念馆等。

 

 

函馆市的佩里纪念塑像(贺卫方摄)

 

 

由于对中外交流史的兴趣,我很留意那些显示这种交流的纪念

物。 但是所到之处,它们大多数都被毁灭了。  美国人华尔

Frederick T.Ward)帮助清政府 剿杀太平天国, 战死疆场。

当年清廷隆重表彰,并在松江为他修墓建庙,如今已经毫无踪

迹。我的家乡烟台,早期传教士在传播福音的同时,还兴办教

育,赈灾济民,引进了大花生及不少水果的种植,可谓贡献卓

著。但是,抗美援朝战事肇端,这些跟战争毫无关系的死者却

遭到焚尸扬灰、毁墓砸碑的对待。在北京,明清时代耶稣会传

教士利玛窦等人的墓地也历经义和团和红卫兵两次劫难,“文

革”结束后修复。不过,这未知是否徒具形式的墓地,现在还

封闭在北京市委党校的校园里,一般游客难以参观。这种反历

史的意识和行为原因何在,的确是值得我们反思的。

 

 

当然,尽管日本人对包括西方列强的侵略遗迹都妥善保存,但

这个国家的 国际化 程度 究竟如何,似乎也有很 不同的看法。

20037月,在黑船来航150周年之际,英国《经济学家》杂

志发表文章,标题居然是:“佩里叩关百五十年后,和魂洋才

境况依旧。(150 years after Commodore Perry,Japanese spirit,

western things)”美国著名“和学家”赖肖尔曾经多角度分析

过日本的这种既博采众长却又顽固地坚守本位文化的特色,他

甚至直率地批评日本人在自卑与傲慢之间周期性地摇摆,在经

济和科学上取得令全世界赞美的同时,却仍然与世隔绝,不愿

意在国际事务中扮演积极角色。因为赖肖尔教授生于日本,又

娶了一个日本夫人,他无论作为哈佛教授,还是美国驻日大使,

都表现出对日本的热爱。他的批评或许是日本人乐于接受的。

 

 

当然,日本人接受任何事物,都要经过一种审慎的过滤。这也

许正是日本之为日本的原因吧。

 

 

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