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《一代宗師》 咏春拳 の真実  

 

《一代宗师》背后的真实咏春拳 

20140426 11:09   来源:百度百家

 

 

 

映画《葉問》《一代宗師》などが次々と人気を呼んでいる中、詠春

拳も人々の関心を呼び人気の武術となっている。 実際、最初は

亦舒の小説の中で書かれているように、香港人は子供を 海外に

留学に出す前、体の大きい外人の同級生に いじめられない よう

にするため、まず真っ先に詠春拳を学ばせたという。   これは詠

春拳が香港や海外で普及していたことの証明であり、また もう一

つは、詠春拳が、小よく大を制す、弱いものが強いものを倒せると

の証明だった。

 

 

現実の世界で、誰もが知っているブルース・リーもかって詠春拳を

習ったことがあり、その中のエッセンスを 取り出し截拳道を作り出

した。  また、歴代の門人達の努力により、今や世界 七十 ヶ国で

この 詠春拳道場は、6千館以上にも達し、世界で練習する人数が

最も多い拳道となっている。  北京、佛山など多くの場所には詠春

拳協会があり、参加者もかなりいる。 至るところで“滅び行く武術

界”と嘆きの声が聞こえるこの頃、詠春だけが、なぜ このように盛

んなのか? その盛んな生命力はどこから生まれたのか?

 

 

咏春拳 は女性が作った拳法なのか?

 

 

ミシェル・ヨー(楊紫瓊)が出演した《黒煞斗咏春》を見た人なら、咏

春拳をご存知でしょう。 映画の内容はもちろんデタラメです。 でも、

咏春拳が 福建の厳詠春が作ったという 説明については、これはず

っと広く伝えられてきたことです。 言い伝えでは、厳詠春は清の中

頃、少林の 僧侶の実家の 厳四(一説には厳二)の娘が、父に従い

九連山の麓で豆腐を売りながら、同時に 少林大師の五枚師太(尼

姑)に武道を習った。 彼女はたまたま、蛇と鶴(一説には猫と鶴)が

うところを目撃し、武道の真髄を悟り、咏春拳を作り出したという。

 

 

また別の話では、咏春拳は五枚師太(尼姑)が作ったという。 南少

林(福建)が 破壊されようとしたため、彼女は四川・雲南の境にある

大涼山に難を逃れた。 そこで、蛇と鶴の争うのを見て、咏春拳を作

り出し、その後、厳詠春に伝えられたという。 また、少林武術を盗ん

だ裏切り者に 対し、五枚師は、 “本来の伝統・少林寺拳法と違う”

咏春拳を編み出したという。 これで咏春拳が なぜ、かっこよさがな

いが、実戦的で有効な武術だという説明がつく。

 

 

このほかの2種類の話もこれまでの説明と似ている。 ただ五枚は

厳詠春の直系の先生ではなく、一つの話では、厳詠春は五枚の四

代目の弟子、もう一つの方も六代目としている。

 

 

以上の4種類の説明は、いずれも咏春拳は 女性が作ったとしてお

り、違いは、創始者や伝授の順序の違いだけである。

5番目の説明は、咏春拳 は清朝の初め“天地会”の秘伝の武技で、

河南嵩山少林寺の弟子・一塵庵主が作ったものだという。  彼(あ

いは“彼女”)は、まず汀昆劇団の武劇役者・張五(攤手五、ただ

手を広げるだけで 右に出るものがない 武術界の名手と言われる)

に伝授した。  張五がその後、災難を逃れ広東に来て、南海県佛

山鎮大基尾の“瓊花会館”に落着き、そこで詠春拳を 粤劇界の弟

子達に伝えた。 

当時の劇団は、各郷で公演するのに便利なため、よく特製の劇の

何艘か持ち、交通機関や劇団員の宿泊場所としていた。 真

っ赤な漆を塗っていたため、赤い船と呼ばれた。   劇団界の人は

“赤い船の人”と呼ばれた。  赤い船の人・黄宝華、梁二娣、大花

面錦などは、そこで咏春拳 を学んだ。 また佛山の筷子道で漢方

薬店と医者をやっていた梁賛にも教えた。 この後、梁賛詠春拳

を一層大々的に広めた。

 

 

6番目の説明としては、詠春拳は 永春拳とすべきだ と言う。 南少

林の永春殿から名前を取ってるからだという。  昔、永春 殿で習っ

た南派の拳法は、正式名称は少林永春で、総コーチは少林の弟子・

至善禅師である。 南少林が燃やされた後、至善禅師は 佛山まで

逃れ、一度は 粤劇の赤い船の中に 隠れ、炊事夫になった。 その

後、東莞で 弱い者に味方して行動が 明らかとなり、劇団の人達が、

次々と彼に弟子入りした。      弟子の中に恵州の人・蘇三娘がいた。 

劇団の女形で、腕はなかなかのもので、人々から “永春三娘” と呼

ばれた。 その後、三娘 は武術を 赤い船の人・ 黄宝華、 梁二娣ら

に伝え、黄、梁はまた仏山の 梁賛に伝え、永春拳は佛山で一層広

まった。 

 

 

しかしこれまで述べたことは、すべて伝説であり、証拠としての書面

や資料あるいは文献はほとんどない。   これら伝説自体、たとえば

咏春拳 と 南少林が 関係があると言うことも、成り立たないところが

ある。  しか南少林が存在するかどうかも、一体どこにあったのか

も、知る人はおらず、史書にもほとんどそれに言及したものがない。 

福建省の多くの場所が自分のところの寺こそ南少林だと名乗ってい

るが、しかしどこも有力な証拠を出すことができない。 だから“福建

にも少林寺があると 言い伝えられているが、それは 誤って伝えられ

たもので、実際は調べてもそんなことはない”という人もいる。

 

 

南少林が存在したとして、嵩山の少林と対応する寺院とするなら、女

の弟子がいるというべきではない。 もし枚がの弟子なら、“師

太”(尼姑) と呼ぶべきでないし、また 一塵庵主”というような名前

は、男女判別が わからず、出生もわからない、なにも信用できない。

 

 

しかし一般的に、咏春拳は女性が作ったのではないとしても、女性

密接な関係がある拳法だ。  というのは、その身のこなし(動作

姿勢)の中に、女性の痕跡が沢山あるからである。  咏春拳は 

門拳、自衛拳に属し、拳法理論上、多くは自らを抑える方法で相手

に向っている。 いわゆる“不変で万変に応ずる”で、これは咏春拳

が 最初、たぶん 女性の自衛ために作られたものだと 説明できる。 

咏春拳の長所は、身を低くして闘うことだ。 その拳は速く、守りは

堅く、中腰の姿勢で敏捷に攻める。  攻撃という「剛」の面と守備と

う「柔」の面を併せ持ち、力の消耗量を少なくしている。 これは明

らかに、女性の体力が弱い特徴に対応したものであり、相手のとこ

ろに飛び込んだり、攻撃を仕掛けたりするカンフーとはまったく違う

ものである。

 

 

咏春拳を 世界に広げたのは誰か?

 

 

正式に認められている「師匠」は梁賛である。 咏春拳というこの名

前は、彼が使い始めたという。   梁賛、本名は梁徳栄、1826年生

まれ。  1901年死去。 本籍は鶴山古労郷東便村出身。 父に従

い佛山に行き、栄山堂を開設、医薬品の商売をしながら、同時に武

術を教えていた。“栄”の字の 草書体は、“賛” の字に 似ていること

ら、“賛生堂”誤って伝えられ、梁徳栄のことを “佛山の賛先生”

と呼ばれるようになり、梁賛と称されるようになった。    道場の中で、

梁賛が教えたのは、簡単でたやすく出来、変化も多い偏身拳だった。 

彼は弟子達に、この拳は咏春拳といい、厳詠春師が作ったものだと

話したので、詠春拳の名が、この時から広まったのである。

 

 

しかし、一人の力で、咏春拳を世界各地まで広めたのは、葉問をおい

てほかにはない。 葉問は1892年生まれ、本名は葉継問といい、兄

弟順は2番目だった。 代々佛山に住んでいた。 彼は名家の子だっ

が、体が弱く病気がちだったため、幼少から武道を学び、次々と何

もの名手に手ほどきを受けた。  梁賛の子から教えてもらったこと

もあった。 

1949年、彼が香港に移り、九龍の深水大南街の港九ホテルの従業

員倶楽部で、咏春拳の道場を開くようになった。 その後、彼が亡くな

る1972年まで、彼はずっと 咏春拳を 中止することなく 教え 続けた。

海壇街、利達街、李鄭屋、大道東王廟、青山道興業ビル ……など多

の場所で弟子たちに教えた。 20数年のうちに、葉問は咏春拳を改

善し普及していき、咏春拳は香港、台湾のみならず 世界各地に一層

広まって行き、その評判は大いに上がった。 佛山の祖先の霊を祀る

御霊屋には、有名な“葉問堂”がある。 彼を記念して設けられたもの

である。

 

 

 

《一代宗师》背后的真实咏春拳 

0426 11:09   来源:百度百家

 

 

随着电影《叶问》《一代宗师》等纷纷的走红,咏春拳亦成为大众

眼中的热风武术。事实上,早期亦舒小说里,香港人家要把小孩

送到海外读书之前,必先让他们去学 咏春拳,以避免被 人高马

大的洋鬼子同学欺负。  这一方面,证实了咏春拳在香港及海外

的普遍 ; 另一方面,也证明了咏春的 适合搏击,可以 以小胜大,

以弱击强。

 

现实生活中,尽人皆知的李小龙曾经修习过咏春拳,并且提炼

其中的精髓,创出了截拳道。  而且,经历代门人努力,如今遍布

在五大洲七十多个国家的 咏春拳馆就达 六千家以上,成为世界

上习练人数最多的著名拳种之一,北京、佛山等多地都成立有咏

春拳协会,会众颇多。 在武术式微,到处都发出“逝去的武林”之

叹的年代,咏春何以依然如此蓬勃呢?它旺盛的生命力来自哪里?

 

 

咏春是女人创造的拳法吗?

 

 

有相当一部分人是看了杨紫琼出演的《黑煞斗咏春》之后,才知道

咏春拳的。 电影情节当然虚构,但关于咏春拳是福建严咏春所创

的说法,一向广为流传。 据说严咏春是清中叶少林俗家弟子严四

(一说严二)之女,随父于 九连山下卖豆腐,同时跟随少林大师五

枚师太习武。  她偶尔见到蛇鹤相争(一说是猫鹤),悟出了生克之

道,发明了咏春拳。

 

 

另一种说法,则认为咏春拳是由五枚师太创立,由于南少林被毁,

她避祸于川滇边界的大凉山,因见蛇鹤相争而创出咏春拳,后 来

传于严咏春。  据说,为了对付那些深谙少林武技的反叛者,五枚

师太刻意令 咏春拳  “处处针对固有的少林拳术,且跟传统相反”。

这就解释了咏春何以简练有效,几乎没有花架子。

 

还有两种说法都与此相似,只是不认为五枚是严咏春的直系师傅,

一种认为严咏春是五枚的第四代弟子,另一种认为是第六代。

 

 

以上四种说法,都是倾向于咏春为女性所创,区别仅仅是创始人及

流传顺序上的不同。    第五种说法则认为,咏春拳是清初“天地会”

的独门武技,为河南嵩山少林弟子一尘庵主所创。他(或“她”)首先

传给汀昆戏班的武生张五 (人称摊手五, 据说有“一只摊手独步武

林”之誉),张五后来落难来粤,落脚于南海县 佛山镇大基尾的

花会馆”,便将咏春拳传于粤剧界诸弟子。  当时的戏班为便利来往

各乡演出,往往特制戏船几只,作为交通工具及戏班人员住宿场

所,因为漆成大红色,称为红船,演艺界人士便称为“红船中人”。

红船中人黄宝华、梁二娣、大花面锦等人学得此拳,又再 传给在

佛山筷子路开中药店兼行医的梁赞,此后梁赞将咏春拳发扬光大。 

 

 

第六种说法,则说咏春拳应为永春拳,得名于南少林的永春殿,

年进殿者所习的 南派内拳法,全称是少林永春, 总教习是少林

弟子至善禅师。南少林被焚后,至善逃避到佛山,曾一度藏匿于粤

剧红船中当伙夫。后因在东莞打抱不平露出行藏,戏班中人便纷纷

拜他为师。    弟子中有惠州人氏苏三娘,为戏班中花旦,所学尤精,

被人誉为“永春三娘”。   后三娘将武功传于红船中人黄华宝、梁二

娣等人,黄、梁又传佛山梁赞,使永春拳得以在佛山发扬光大。 

 

 

然而上述种种,都是传说,几乎没有书面资料或文献作为证据。

些传说本身,又往往站不住脚,比如都说咏春拳与南少林有关。 但

南少林是否存在,到底位于何处,无人得知,信史中几乎没有提到

过它。福建有多个地方都认为自己当地的名寺就是南少林,但也都

举不出有力证据。    甚至有人认为“一般传说所谓福建亦有少林

寺,只是误传,实则查无此事”。    而即使南少林存在,作为一个

与嵩山少林对应的寺庙,就不应该有一位女弟子。    如果五枚是

俗家弟子,又不能被称为“师太”,而 “一尘庵主” 这样的名字,难

辨男女,生平无考,很难说有什么可信性。

 

 

但一般认为,咏春纵使不是女性所创,也是一种与女性息息相关的

拳术,因为它的身法招式里面,充满了女性的痕迹。 咏春拳属于闭

门拳,自卫拳,在拳理上多以自我封闭的方式,来 应对外界, 所谓

“以不变应万变”,这很有可能说明它最初是为了女性自卫而设计

的。咏春的长处在于埋身搏击。它拳快而防守紧密,马步灵活和上

落快,攻守兼备及守攻同期,注重 刚柔并济,气力消耗量少,这也

很明显是针对了女性体力较弱的特征,与一些硬扎硬打的 功夫相

距甚远。

 

 

是谁把咏春带向世界的

 

 

公认的一代宗师是梁赞,据说咏春拳这个名字,就是从他才开

的。 梁赞,原名梁德荣,生于 1826年,卒于 1901年,原籍鹤山古

劳乡东便村人,后跟随其父到佛山开设 荣山堂做医药生意 同时

传授武术,“荣”字草书 形似“赞”,以讹传讹成为赞生堂”,梁德

荣 人称“佛山赞先生”,他即被 称为梁赞。  在武馆里,梁赞教的

是一套 简洁流畅而又变化多端的 偏身拳,并告诉弟子们, 这套

拳叫做咏春拳,为严咏春师祖所创,咏春拳之名自此出现。

 

 

但以一人之力,将咏春拳推广到世界各地的,莫过于叶问。叶问生

 1892年,本名 叶继问, 行二,祖居佛山。    他是名门望族之子,

因体弱多病,自幼习武,先后师从多位高手,也曾经受教于梁赞之

子。  1949年他移居香港后,在九龙深水大南街港九饭店职工总会

教授 咏春拳,开始了授拳生涯。    之后,一直到他去世的 1972年,

他始终教拳不辍,先后在 海坛街、利达街、李郑屋、大道东大王庙、

青山道兴业大厦……等多地授徒。    二十多年来,叶问对 咏春之

改善及推广,使咏春一派能在 香港、台湾及世界各地 得以发扬光

大,声名大噪。 在佛山的祖庙,有一间著名的“叶问堂”,就是为纪

念他而设的。

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