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日本の“食”:“納豆”の様々な伝説について

 

食”在日本:关于“纳豆”的种种传说 

2014-03-18 09:43:39    出所:辛子IN日本 

 

 

 

 

Photo中国国内の網易ネットの人から、“納豆は日本で

は常用食品と聞きますが、健康食品として、血栓

やしみなどを取り除くことが できるのですか?”

との問い合わせがあった。 

 

 

在日中国人の友達の両親が中国から日本にやって来た。 年寄

りはとても健康に気を使い、食品の効能に詳しい。  そこで“日

にきたらご利益のある”納豆を食べないとといって一日三食毎日

食べていた。 それを見て、友達はあっけにとられたという。

 

 

日本人でも、納豆のあの「ねばねば」がいやだという人が沢山いる。 

ましてや、口の中がさっぱりした中国料理を食べる中国人はどうだ

ろう?   でも、お年寄りが言うには、“中国でも今、これを食べるの

が流行っているんだ!” という。  話によると、これを沢山食べると

体によく、病気にかからず、長生きできるという。   なんと、老人達

は、納豆をおいしい食べ物と思って 食べているのではなく、この個

性的な日本の発酵食品を、薬” として毎日“服用”していたのであ

る。

 

 

しばらく中国に帰国していなかったので、納豆が中国国内での人気

度が一体どのようなものなのかわからないが、ここで 興味ある人々

に、納豆の歴史や関連する様々な伝説をご紹介したいと思います。

 

 

納豆”という言葉が最初に出てきたのは、平安時代中期(11世紀

中頃)の学者・藤原明衡が書いた《新猿楽記》に出てくる。 でも《新

猿楽記》の中で書かれている納豆は、“塩辛納豆”という。 “塩辛納

豆”は日本では“唐納豆”とも呼ばれるもので、中国人が言う“豆鼓”

のことです。“豆鼓(唐納豆)”は最初は調味料として作られました。

奈良時代(710ー794)頃、鑑真和尚が 6回目に日本への渡行が

成功した時、中国から日本に伝えられたということです。    その時、

鑑真が持っていた食品の中には、 面、 餅、酥などの主食類のほか

“豆鼓(唐納豆)”などの調味料もあった。 鑑真は僧侶であり、日本

に伝えられた “豆鼓(唐納豆)” は寺院の僧侶達が自分で醗酵させ

て食用していたので、“寺納豆”とも呼ばれた。  現在、京都の大徳

寺と一休寺は、今でも毎年、“寺納豆”を作っている。

 

 

寺納豆”は中国の豆鼓と同じで、大豆を 醗酵させたもので糸は引

かない。 現在、日本人が一般的に言う“納豆”は、粘り気があり糸

を引くものを指す。    このような糸を引く“納豆”は、日本生まれの

もので、中国や海外から入ってきた食品ではない。

 

 

このような“納豆”が、どうして現れたのかについては、いろいろな伝

説が伝えられている。   聖徳太子が馬にえさをやっていた時、偶然、

発見したとか、 南北朝の時代に、失意の 光厳天皇が 発見したとか、

煮た豆を 神棚の前に並べて供えていた時、発見したとか。 そのほ

か、大豆を煮たまま保存し馬のエサにしようとした時、発見した……

等々、いろいろな言い伝えがあり、統一したものはない。 しかし、伝

説の中で、共通して一致しているものがある。 それは煮た豆を、長

い時間、保存していたら発酵して、レンコンのように糸を引いたという

ものである。  みなさんご存知のように、以前、日本人は貧しく、と

も節約していた。    長く置いていた煮豆が糸を引いていたのを見

て、駄目だと思ったが、捨てるのももったいない。 どうしたものか? 

こで塩をまいて、思い切って食べてみた。   すると、なんと“普通”

の煮豆より 味もよく、 食べ終わっても、体に悪いことはなかった―

―――こうして納豆は、誕生したのです。

 

 

下って、室町時代(1336~1573)、醤油が現われました。 これ

は、本当にすばらしい調味品でした。 醤油は、たちまち日本料理

に欠くことのできない調味の主役となりました。     伝統の納豆は、

この時期活発となった醤油に出会い“一目ぼれ”し、“納豆と醤油”

が、日本人の食卓に一緒に並ぶようになりました。  納豆が醤油

に“出会う”前、人々は納豆に塩をまいて食べていましたが、醤油

が出てからは、可哀相な塩は無情にも “捨てられてしまいました”

――――というのも、水気のない塩より、傷油の水分の方が、納

豆の 濃密さと粘り気をうまく調和することができ、納豆の糸を更に

きめ細かく かき混ぜるこが出来、口当りもとても良いからです ―

―― ぴったりあうのが一番です。 食物も調味料を探します。  男

女が伴侶を探すことと、大体似たようなものです。   ですから、数

百年の時間が経っても、醤油と納豆は今なお“仲がいいです”――

― 普通、納豆を食べる時、醤油は絶対に欠かせません。   もちろ

ん、納豆も時には“浮気心”が起きます。   例えばネギを入れたり、

わさびを加えたりします。   また時には、生卵をかけてかき混ぜて

食べたりします。  でも、納豆の中に他のどんな調味品を追加しよ

うと、やっぱり 醤油を 加えないわけにはいきません。     でないと、

味がしっくりきません。

 

 

2ここまで、納豆の食べ方について申し上げました。 

豆のつくり方も多種多様あります。 最も伝統

な方法は、煮た大豆を藁苞で包み、4 0度くらいで

保温し、約1日ほど置いておく。  納豆菌がだんだ

んと 増殖することによって、 納豆が 発酵していき、

納豆ができあがります。  このような伝統的製作方

法は“藁苞納豆” あるいは “わら納豆” (中国人が

通常言う草包(わら袋)ではなく、稲わらで包むのです、ちょっ

分からないでしょうが、誤解しないでください)   でも、 このよう

な伝統的な  わら納豆” は、明治時代になって疑問を受けるよ

うになりました。    どうしてでしょう?   なぜかというと、明治維

新後、日本人は学を 信じるようになり、文明人になろうとし

からです。 文明人と野蛮人の大きな違いは、文明人は衛生

気をつけることです。      ですから、文明人になった 日本人は、

代々 伝えられてきた  “わら納豆” は、 衛生的ではないと 疑い

めました。       事実は確かにそうです。  当時、納豆は大抵、

商人が 背中に 背負ったり担いで、 売り声を上げながら町を

売り歩いていました。  消毒もしないで、直接わらに包み発酵さ

せ、粘り気が出てきたものを、取り出して売り歩いていたのです。 

時、日本は工業化が 始まったばかりで、 都市の汚染も出

頃です。  粘り気のある納豆に、この汚染のほこりは絶好

息場所でした……。      そこで、あっという間に、納豆の人

気は落し、店には売れ残りの納豆が山のように積み上げられ

ました。 

《納豆沿革史》という本に、こう書かれています。 明治時代、

は4,50軒の納豆メーカーが閉店に追い込まれた。

 

 

 

食”在日本:关于“纳豆”的种种传说 (上)

2014-03-18 09:43:39    来源:辛子IN日本

 

 

网易有位国内网友来留言问:听说纳豆在日本是常用食品,是不

是也可以做保健品,能清除血栓、斑块呢? 

 

 

而我的一位在日华人朋友,父母亲从国内来日本探亲,老人家热

爱健康,讲究食品营养,于是“近水楼台先得月”,一日三餐必

食纳豆。看得我这位朋友惊奇不已:因为即使是日本人,不习惯

纳豆那种黏糊糊口感的,也是大有人在,更何况是吃惯清爽可口

中国菜的中国人。但老人家说:国内现在特别风靡吃这个呢!据

说多食用对身体好,不易生病,长寿。原来,老人家未必是觉得

纳豆美味,而是将这道有个性的 日本发酵食品,当成一味“药”

在每天“服用”。

 

 

有段时间没有回国了,不知道纳豆在国内的人气度究竟如何,不

过这儿可以为感兴趣地朋友们介绍一下纳豆的历史,以及相关的

种种传说。 

 

 

纳豆”二字最早出现在日本平安时代中期 (十一世纪中期)儒

学家藤原明卫所著的《新猿乐记》一书中。 不过《新猿乐记》里

写的纳豆,是“盐辛纳豆”。 “盐辛纳豆”在日本也被称为“唐

纳豆”,也即中国人所称的“豆豉”。   豆豉最开始作为调味品,

在日本奈良时代(710 – 794)左右,从中国 传到了日本。据说最

开始是由鉴真和尚在第六次东渡日本终于成功时 带入日本的。当

时鉴真的随身食品中,除了面、饼、酥等主食类外,还携带有 豆

豉等调味品。 鉴真是僧人,而传入日本的豆豉也主要是寺庙的和

尚们自行酿制和食用,所以也被称为“寺纳豆”。 现在日本京都

的大德寺和一休寺,每年仍然会酿制“寺纳豆”。 

 

 

寺纳豆”和中国的豆豉一样,没有粘糊糊的拔丝。而现在日本

人一般生活中所提及的“纳豆”,是指带有粘糊糊拔丝的那一种。

这种可以拔出丝来的“纳豆”是日本土生土长的,不是中国或海

外的舶来食品。而至于这种“纳豆”是如何出现的,有各种版本

的传说。有说是由圣德太子在喂马时无意中发现的,有说是在日

本南北朝政治斗争时,因失意而出家的光严天皇发现的,还有说

是将煮熟了的豆子摆在神龛前做供品时发现的,再还有说是将煮

熟了的大豆储存做马粮时发现的……虽然因为传说版本太多,无

法统一,但所有传说中,有一点是一致的:就是那些被煮熟了的

豆子,因为存放太久而发酵,并像莲藕一样能拔出细丝来。大家

知道以前日本人穷,很节省,看到放久了的煮豆子变得粘糊糊的,

认为坏掉了,但又舍不得扔掉,怎么办呢?于是撒点儿盐,硬着

头皮吃掉。这一吃,发觉居然比原来没“坏掉”的煮豆子味道还

要好,而且吃完之后身体也没出现什么毛病 -----于是,纳豆就这

样顺其自然地诞生了。 

 

 

转眼到了室町時代(13361573),酱油出现了----这真是个迷人

的调味品,因为它很快就成为日本料理中的无法缺乏的调味主角。

传统的纳豆也在这一时期与活泼的酱油“一见钟情”,开始“成

双成对”地一起出现在日本人的餐桌上。在纳豆“邂逅”酱油之

前,人们一直是在纳豆上撒盐食用的,有了酱油之后,可怜的盐

就被无情“抛弃”了 ---- 因为比起干巴巴的盐,酱油的水分能够

更有效地调动纳豆的 稠性与 粘度,让纳豆的拔丝更细腻更柔软、

口感更好 ----合适的就是最好的,食物寻找调味品,跟男女寻找

伴侣的内涵也是大致差不多的。因此,几百年的时间过去,酱油

和纳豆至今 “恩爱有加” ---- 大凡吃纳豆,是绝少不了 酱油的。

当然,纳豆有时候也会“花心”,例如会加葱花、加芥末、甚至

还加生鸡蛋搅在一起食用,但不管在纳豆里追加任何其他口味的

调味品,都仍然必须要加酱油,不然,味道就会不地道。

 

 

上面是关于纳豆的吃法。而纳豆的制法也是多种多样。最传统的

方法是将煮熟了的大豆,用麦秆包起来,在 40度左右的 温度中

放置大约一天,令纳豆发酵,培育出纳豆菌并不断繁殖,纳豆制

造就算大功告成了。这种传统的制作方法被称为“麦秆纳豆”或

是“草包纳豆”(不是中国人通常所说的‘草包’,而是指‘用

稻草包起来’的意思,别误会啊~)。但这种传统的“草包纳豆”,

在明治时期受到了质疑。为什么呢?因为,明治维新之后,日本

人开始相信科学,并下决心做文明人。文明人和野蛮人的一大区

别就是:文明人都很讲究卫生。因此,变成文明人的日本人,开

始怀疑祖传的“草包纳豆”很不卫生了。而事实也的确如此:那

时候不少纳豆是由小贩背着或扛着沿街叫卖的,你想想:没有经

过消毒,就直接包在麦秆里发酵,发酵到粘糊糊地成熟之后,就

拿出来叫卖,而那时候日本开始工业化,城市里的灰尘也开始多

起来了,粘糊糊的纳豆正是灰尘们落脚的好地方……。于是,一

时之间,纳豆人气突减,店铺里堆积如山的纳豆都卖不出去。据

《纳豆沿革史》一书记载说:明治时期,光东京就有四、五十家

纳豆厂商关门歇业。 

 

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