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3112 中国は見る(1743) 私の近所の稲村さん

 

 

我的日本邻居稻村 

2014-03-24 22:39:17   来源:辛子IN日本

 

 

午後2時過ぎ頃、私の近所の稲村さんが大きな袋を2つ提げ、

私の家の呼び鈴を鳴らした――――私が中国に帰っていた2

週間分の手紙や新聞・雑誌などを、稲村さんに お頼みして毎

日、私の家の郵便ポストから取り出してもらって いたのを、

の2つの大きな袋に整理してくれていたのである ―――― 

私の家の入り口の 郵便ポストは、小さいため、それに私が購

読している新聞雑誌が多いので、もし毎日、誰かが取ってく

なければ、2日もしたら、ポストが一杯になってしまうことでしょ

う。 

 

 

私は、稲村さんに面倒掛けたことにお礼を言い、その2袋を

受け取り、中国から持ってきたお茶やお菓子を、お礼として

贈った。 稲村さんはうれしそうに受け取り英語で“Thanks!”

と言った。 

 

 

私のこのご近所の稲村さんは、とても親切で明るい方で、体

も頑丈で、顔は浅黒く、とても健康そうだった。  多分、皮

の色や性格からか、稲村さんの体には、 スペイン人の 血が

入っているようにみえた。 これが、稲村さんと他のお隣さ

と比べると、ちょっと違ってるように見えた。

 

 

60歳を過ぎている稲村さんは、退職するまで、ずっとワイン販

売の仕事をしていて、長年ヨーロッパ各地に 駐在していたこと

もあり、流暢な英語を 話すだけでなく、ギターの 名手でもある。 

私が住んでいるこの 住宅地は、ゆるやかな 上り坂で、私の家

坂の上方にあり、稲村さんの家は坂のちょっと下側で、私の

家の2階のベランダから覗けました。 夏なんか、私がベランダ

に立つと、稲村さんが、家族や友達と一緒に、自分の家のベラ

ンダでバーベキューをし、お酒を飲みながら、ギターを弾き、分

からない歌をうたっているのが見えた―― それは全く65歳の

退職した年寄りの生活ではなく、まるで15,6歳の少年が無茶

苦茶に遊んでいるかのようだった。 

 

 

稲村さんの奥さんの姿を見ることは、めったになく、ほとんどは

稲村さんが自宅の中庭の中を忙しそうに動き回っているのを見

るだけだった――――旅行好きの稲村さんの奥さんは、いつも

仲間と一緒に遠出(海外旅行や国内旅行)していました。  一方、

退職した後、園芸に興味を持った稲村さんは、自分の庭や表に

もいっぱい花を植えていました。 “ワインを飲み、自分の植えた

バラを楽しむ、これが人生の最高の境地”と稲村さんは言います。 

日本人は花が大好きで、どの家の庭にも、一年中いつも花が 見

られます。  その中でも、稲村さんの家の花は品種もいろいろあ

り、とてもきれいでした。

 

 

花を植えるのが好きな稲村さんは、間もなく独学で勉強し園芸師

の免状を取りました。   私がこの事を知ったのは、ある日、私が

家に帰った時、稲村さんから ガーデニング 費用一覧表が送られ

てきたからです―――― 稲村さんはそのガーデニング費用一覧

表の中で、私の家の前の大きい 松の木も含め、毎年年一回、我

が家の庭の木の枝を切り揃えるのを、特安でサービスしますと言

ってくれた―――雑草や小さい木は、自分でできるが、あの大き

い松の木は、頭を悩ましていたので、願ってもないことだった――

――私は自分をずっと“女丈夫”だと思っていたが、“女丈夫”でも、

木登りは怖いのです。 

 

 

しかし、稲村さんは違う。 稲村さんは白の仕事着を着込み、腰に

はいっぱい、いろいろな剪定道具を挟んでいた。 大きな松の木に

飛びつくとてっぺんまでよじ登っていった―――私は下から上を

見上げ、手に汗を握り、両足が震えていた。 稲村さんが下に落ち

ないよう祈りつつ、心の中で畏敬の念を抱いていた。 私達中国人

は40歳を過ぎたら、もう“年だ、年だ”と言う。  だが、私の目の前

のこの60歳を過ぎた 日本人は、このようにまだ元気で、 木によじ

登っている。 

 

 

私は木登りをする稲村さんは、きっと健康に違いないと思っていた。 

しかし、事実はまったく反対だった。  私に大きい袋2つ渡してくれ、

中国の土産を 受け取った後、 稲村さんは、私に “しばしの別れか、

あるいは 永遠の別れになります” と語り、稲村さんは 笑いながら、

“身体検査で二ヶ所にがん細胞が拡散してるのが見つかり、入院し

て手術をしなければならないのです” と語った。

 

 

 もう中期に達し、そいつらを切らないといけません”稲村さんは、こ

う話す時、切り取る手振りをし、まるで 自分の 丹精こめた バラの話

でもしてるようでした。

 

 

私は稲村先生の笑顔を見て、私も 彼に笑顔を 返しました。  そうで

すか。できるだけ早く家に戻って来て下さい。私の家の松の木が、毎

年、あなたが切ってくれるのを待ってますから”

 

 

 

我的日本邻居稻村 

2014-03-24 22:39:17   来源:辛子IN日本

 

 

下午2点多的时候,我的日本邻居稻村先生提着两只大口袋,来

响了我家的门铃 ----我回了中国两个星期,这两个星期中的邮

报刊,都请稻村先生 帮忙每天 从我家门口的邮筒里取出,整理

那两只大口袋里 - --- 我家门口的邮筒实在太小了,而 我订阅的

报刊杂志又多,若没人每天帮忙取邮件的话,恐怕两天下来,邮

就会爆满到再也塞不进东西。

 

 

我接过稻村先生递过来的两只大口袋,感谢他帮了 我的大忙,并

送上从中国带来的茶叶点心表达我的一份谢意。稻村先生开心地

收下了,用英语对我说:Thanks

 

 

在我的日本邻居中,稻村先生是极为热情开朗的一位 :身体矫健,

晒得有些黑红的脸显得很健康。 大概是肤色和性格的缘故,稻村

先生身体里似乎潜伏着西班牙人的气质。这令他和其他日本邻居

的含蓄相比,显得有些与众不同。

 

 

年过60的稻村先生,在退休前一直从事 葡萄酒的销售工作,曾

多年常驻欧洲各地,因此不仅说得一口 漂亮流利的英语,还弹

得一手好吉他。 我们这个住宅小区的地势,是一个缓缓上升的

斜坡,我家在斜坡的 中上方,而稻村先生的房子,则在 斜坡的

中下方,并且正对着我家二楼的阳台, 夏天的时候, 我站在阳

台上可以看到稻村先生和他的“烧烤家宴”:他和家人朋友一起,

在自己家的露台上烧烤,边喝酒 边弹吉他,唱一些不知所云的

---那完全不像一个65岁的 退休老头儿的生活,倒像是一

156岁的少年在挥霍年华的模样。

 

 

我很少看到稻村太太,大部分时间都只看到 稻村先生在他家的

院子里忙忙碌碌 -----热爱旅游的稻村太太经常和好友们一起

结伴远行,而退休后爱上园艺的 稻村先生则在自家的院里院外

种满鲜花。“喝着葡萄酒,欣赏自己种下的玫瑰,人生最高境界。”

稻村先生说。  日本人喜欢鲜花,每一户人家的院墙都一年四季

鲜花朵朵,但这其中惟有 稻村先生家的 花开得最好最美,品种

也最多。

 

 

爱上种花的稻村先生不久便自学成才考了一个园艺师执照。我

知道这件事,是因为有一天在我回家时,收到一封来自 稻村先

生的报价单----稻村先生通过那份报价单告诉我:他可以极优

的价格,每年一次帮我修剪我家院围的树枝,甚至包括我家

前的那棵大松树----对此我真是求之不得:地上的杂草我可

以自己拔,矮一点的树木我也可以自己剪,唯独 那棵大松树令

我头----尽管我一直自认也算是条“女汉子”,但“女汉子”害

爬树。

 

 

而稻村先生不一样。 他穿上白色的工作服,腰间别满各色 修剪

工具,几步一蹿地就爬到大松树的顶部了 ----我站在下面仰脸

张望,手心冒汗,双腿发抖。    一边杞人忧天地祈愿着稻村先生

千万不要掉下来,一边内心也生出一丝敬畏 : 我们中国人 一旦

年过四十,就说自己“老了老了”,而我眼前这位花甲之年的日本

人,却还能如此生龙活虎地蹿上树。

 

 

我以为会爬树的稻村先生无疑极为健康。但事实正好相反。在

递给我两大袋邮件,并接过我从中国带来的土产之后,稻村先

生告诉我说他将要离开一段时间:“也许是小别,也许是永别。”

稻村先生笑着说。因为他被查出身体里有两处癌细胞正在扩散,

必须住进医院去做手术。

 

 

已经到了中期,所以它们需要修剪一下。”稻村先生在说这

话时,做了个修剪的手势,语气轻松得仿佛在谈论他栽培的

瑰。

 

 

我看了看稻村先生的笑脸,也回报他一个轻松的微笑,说“知

道了,您尽量早点回来,我家的松树,每年都在等着您来修剪

呢。”

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