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2707中国の三面記事を読む(1064) “ピンポン外交”の荘則棟氏 死去(2)荘則棟氏 最後の時 夫人の医療費の支払いを心配 (上)

 

记录庄则栋最后时刻 夫人没医保工资最令其担心

2013021116:10    来源:中国新闻网



Photo2月10日、中国卓球界の大先輩、中米ピンポン

外交の功労者・荘則棟氏が、ガンの病魔と粘り強

く戦ったが、治療の効なく、10日午後5時06分、

北京で病死した。 享年73歳。 写真は荘則棟氏

親族がさんの病床で看護しているところ。      


中新ネット北京2月11日電:


記者 韓凱 張中江

 

中米“ピンポン外交”の立役者であり一代の“名卓球選手”荘

則棟氏が、癌の病魔との闘争5年、豪放磊落、粘り強く頑張る

精神で、自分の伝奇的な人生の最後の幕を閉じた。

 

佑安病院:最後の試合場


荘則棟は2006年に、血便の症状が現われ、一度は痔と誤診

された。 2008年に癌の末期と診断された。 その後、彼

は北京、上海など多くの病院で治療を受けた。 “どこに行っ

てもホールインワン(癌)だった”

2


写真:荘則棟 栄光の時


 

2012年8月下旬、肝臓の8分の7が腫瘍に“占領”された荘則棟

は、国家体育運動委員会の指導者・徐才の娘、元北京赤十字会

党組織書記・韓陸を探し、“苦痛を減らし、尊厳をもったまま死ぬこ

とが出来、組織や家庭の負担にならないようにしたいのですが”と

頼んだ。 韓陸は、多くの病院を当たった後、荘則棟を腹腔鏡手術

を行う北京佑安病院に入院させた。

 

荘則棟医療チームの責任者・鄭加生主任の説明によると、荘さ

んは入院当初の病状はすでに危なかった。 半年あまり、病院

は荘さんに5回の CT検査を行い、肝臓腹腔鏡手術を行い、初

期の効果は悪くなかった。  “私達は荘さんの直接治療チーム

ではありませんが、荘さんの後ろには社会各界の大な期待が

るので、私達は全力を尽くしました”

 

病状の進展と手術の後の合併症もあり、荘則棟の黄疸は、一進

一退、食欲は低下し体力はどんどん虚弱していった。 この1ヶ月、

もう肝臓手術はできなくなった。 病院は外部の専門家を呼び診

察させ、多くの措置をとったが、荘さんの 癌細胞の 拡散転移を、

食い止めることはできなかった。


鄭加生主任は中国の腫瘍微創治療新技術の開発戦略連盟の

理事長でもある。  彼は、“荘則棟が、この半年持ちこたえるこ

ができたのは、肝臓腹腔鏡手術が大きい効果を上げた”から

と見ている。

 

中国卓球協会の劉威副主任は、荘則棟を見舞った後、“世界チ

ャンピオンを取った卓球選手には、強固な意志があります。 

何万もの観衆が叫ぶ試合場で、 20対20の スコアの時、必死

にガンバれるのは選手の心理的素質と意志の力です。 この半

年、病魔と闘った経過から、私は荘則棟さんと医療関係者から、

この「絶対あきらめない、絶対負けない」のスポーツ精神を見

した” と語った。

 

荘則棟を“見舞った”親しい友人達は、 “荘さんは入院してか

ら、最後の決戦に入ったようでした。 毎日が、「20対20」

スコアです。 この生死を競うシーソーゲームで、私達は彼

一緒に、粘り強くこの半年頑張りました。 蛇年の一日目ま

持ちこたえました。 容易なことではなかったと思います”   

語る。


平然と生死に直面  病魔と最後の一戦


どんどん進展する病状に対し、荘則棟氏は淡々と、“私はこれ

までずっと病状を隠さないよう頼んでいます。 自分が今の病

気の程度を一番知っているからです。 私ができることは医療

関係者に力いっぱい協力し、病魔と最後の一戦をすることです” 

と語っていた。

 

2月4日昼頃、荘さんの病状は悪化した。 彼は記者を病床ま

で招き入れ平静な態度で、“生死と向かい合って、私は達観し

ました。 私が死んだら、追悼会などしないでください。 みんな

を 八宝山 まで来させるようなことはしたくありません。 

武則天の無字碑はとても優れたものです。 「貢献」したとか

「重大な貢献をした」であれこれ問題にする人もいるでしょう。

本当の評価は人々の心の中にあります” と語った。

 

荘氏は、記者に病棟の中から文懐沙の本を持ってこさせた。 

荘さんはしきりに本のページをめくりながら、震える指先で、

本の中で彼が一番気に入った言葉を読み上げた。 “人類

最高の行いは、謙虚さとやましいことがないこと、 善良さと

敬虔さです”

 

医療関係者は、“荘さんの死生観”を賞賛し、“病魔と闘う上

で重要なのはプラスのエネルギーです。 多くの癌患者が学

べきことです” と語っていた。




记录庄则栋最后时刻 夫人没医保工资最令其担心

2013021116:10    来源:中国新闻网


210日,中国乒坛宿将、中美乒乓外交功臣庄则栋,在与癌症

病魔作了顽强抗争后,终因治疗无效,于当日下午1706分在

北京病逝,终年73岁。 图为庄则栋身边亲属守护在庄老病榻前。

记者 韩凯 摄

 

中新网北京211日电

 

记者 韩凯 张中江

 

为中美“乒乓外交”立下汗马功劳的一代“球王”庄则栋,在与

癌症病魔抗争5年后,以其乐观豁达、顽强拼搏的精神,书写了

自己传奇人生的最后一幕。

 

佑安医院:最后的决赛场

 

庄则栋于2006年出现血便等症状,一度被误诊为痔疮,2008

才被确诊为癌症晚期。 之后,他得到北京、上海多所医院的全

力救治,“走到哪里都是绿色通道”。

 

组图:盘点庄则栋高光时刻


20128月下旬,相当于肝脏7/8已被肿瘤“占据”的庄则栋找

到原国家体委老领导徐才的女儿、原北京红十字会党组书记韩陆

表示:“希望减少痛苦,有尊严地离去,不给组织和家庭增加负

担。”韩陆找了不少医院后,才将庄则栋介绍入住能做微创消融

手术的北京佑安医院。

 

据庄则栋医疗团队负责人郑加生主任介绍,庄老来时病情已危重。

半年来,医院先后对庄老进行了五次CT引导下的肝脏射频消融手

术,初期效果不错。“尽管我们是直接为庄老救治的团队,但背

后是受社会各界的重托,所以我们一直竭尽全力。”

 

由于病情发展及术后反应和并发症,庄则栋黄疸时高时低,食欲

低下,体质极为虚弱,近一个月无法再做进一步消融手术治疗。

尽管院方邀请院外专家会诊,采取了多种措施,庄老身上癌细胞

的扩散转移还是未能得到有效控制。

 

郑加生同时是中国肿瘤微创治疗技术创新战略联盟理事长,他认

为,庄则栋能坚持这半年,微创消融手术还是起了很大作用。

 

中国乒乓球协会的刘威看望庄则栋后感慨:“所有能拿到世界冠

军的乒乓球运动员,都具有超强意志。 在上万观众呼喊的球场,

打到2020平时,拼的就是运动员的心理素质和意志品质。 这

半年与病魔做斗争的过程,我从庄则栋和医护人员的身上又看到

这种"永不放弃、永不言输"的体育精神。”

 

正如“守护”庄则栋的好友们说:“庄老从入院起,就如同进入

了最后的决赛,天天都是"2020"。 在这场生死较量的拉锯

战中,我们与他在一起,顽强坚持了近半年,撑到蛇年第一天,

十分来之不易。”

 

坦然面对生死 与病魔最后一搏

 

面对不断发展的病情,庄则栋淡定地说:“我一直要求不要对我

隐瞒,自己深知目前的危重程度。我能做的就是全力配合医务人

员,与病魔最后一搏。”

 

24日中午,庄老病情恶化。他把记者叫到病床前,平静地说:

对待生死,我很想得开。我走后,不要办什么追悼会,让大家

挺劳累,大老远跑到八宝山。其实武则天的无字碑就很高明,有

的人还要计较"贡献"还是"重大贡献"的区别。真正的评价

是在人们的心中。”

 

他还让记者从病房里找出一本文怀沙的著作,庄老不停地翻页,

用颤抖的手指着书中他最欣赏的那句话念道:“人类最高的学问:

谦虚和无愧,善良和虔诚。”

 

医务人员对“庄氏生死观”大为赞赏,称之为“战胜病魔最重要

的正能量,值得广大癌症患者学习”。



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