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2602 中国は見る(1402) 歴史の記憶

 

歴史の記憶の仕方

记住历史的方式 

2012-10-05 07:24:08  辛子IN日本


1931年9月18日、中国瀋陽で“柳条湖事件”が発生

した。 抗日戦争の勃発を招き、東北部は占領された。 

この日を、中国は“国恥日”と決めた。


 
2012年9月18日のこの日、遼寧瀋陽 上空では黙祷の

警報が一斉に鳴り響いた。“歴史をしっかり心に刻み、国

辱を忘れない”ようにということだ。   9・18の数日前から、

日本政府の尖閣“国有化”に反対するため、中国全国百

にも上る都市で、大規模な反日デモが開催された。


 
2012年9月18日のこの日、大阪は雨が降っていた。 

湿っぽい空気の中、仄かに初秋が感じられた。 我が家

娘の日本人の学友が、いつもと同じように、午前 8時

の定刻にやって来て、呼び鈴を鳴らし、娘といっしょに学

校へ出かけた。  玄関に立って、子供達が楽しそうに談

笑している後ろ姿を見ているうちに、ふと、娘が言った言

葉を思い出した。   娘は ぶ厚い《アンネの日記》の本を

読み終えた。 朝食の時、赤くした 目で私に、“お母さん、

私は今、この時代、 戦争の ないところで生活できて、本

当に幸せだわ”と言った。 



9・18の朝、雨が心に沁み、思わず目まで潤んでしまっ

た。


 
NHKの“クローズアップ現代”が前に放送した番組を思

い出した。 米国で開かれた日系アメリカ人の展覧会を

介したもので、タイトルは“ THE ART OF GAMAN

=我慢の芸術”と言う。 第二次世界大戦中、米国の

容所に、強制的に収容された12万余りの日系アメリカ

人の生活を述べたものだ。  敵国国民として、これら強

収容された在米日本人は、自分の名前を使えず、統

一番号で呼ばれ、物品同様の扱いだった。 



それからだいぶ経った後、パリオットという日系アメリカ

人が、子供時代に両親が彼女に書いてくれた収容所の

中の生活を思い出した。 “すべて楽しく愉快な事ばかり

でした。  その結果、私は小さい時、収容所生活にあこ

がれ、自分はいつでも「収容」されてもいいと思っていま

した”


 
パリオットさんの両親は結婚式を挙げたばかりでした。 

新婚夫婦は共に強制収容所に送られました。 収容所

の中で、パリオットの父親は貝殻と不用になった歯ブラ

シの刷毛で アイボリーの 花束を作り、新婚の妻にプレ

ゼントしました。 


そのみごとなアイボリーの花束はずっと保存されてきまし

た。 パリオットさんの両親が亡くなった後、パリオットさん

は父母の遺品を整理した時、やっと、両親が後代の子

達が米国社会に対して敵意や反感を持たないように、ず

っと収容所の残酷な 生活の真相を隠していたことを知り

した。 



番組の最後、パリオットさんが当時の収容所を訪れました。 

両親が 生活していた土地の上に立って、パリオットさんは、

両親は行動で私に教えてくれたのです。   過去にこだわ

らず、未来に向かって生きなさい”と語った。



我慢の芸術”の“我慢”というこの言葉は、仏語の“七慢”

の中から出たものだ。仏語の“慢”とは、“傲慢”の慢”で

あり、自分を誇り他人を見下すことをいう。 要するに、心

の中に 自分しかなく、おごり高ぶって いるという意味であ

る。 



しかし日本語の中の“我慢”という意味には“忍耐”、辛抱”、

“耐える”、“自制”などの意味がある。“おごり高ぶる”から

“忍耐、辛抱、耐える、自制” に変化した 理由は、“傲慢な

心” がなければ、“忍耐”、“辛抱”、耐える”、“自制” など

がありえないからである。



我慢”は日本人の一種の信仰のようなものであり、 日本

人が歴史を覚える方法でもある。 毎年、夏休み前後、日

本全国の中小学校は、1945年8月6日と8月9日の2

間、米軍が広島と長崎にそれぞれ原子爆弾を投下したこ

とを忘れないための“原爆記念展”を開いている。   また

毎年、日本の中小学校の多くは、修学旅行で広島の平和

念公園に行く。 そこは、全世界で最初に原子爆弾が落

された場所である。 



これら原爆記念展や各種の記念イベントでは、戦争に敗け

たとして、声涙共に下る式の悲劇の 訴えはなく、あるのは

どれも心が痛むばかりの白黒の写真が静かに展示されて

るだけである。 



日本の街頭で、若い人や子供に、誰でもいいから気軽に聞

いて見るがいい。 彼らは、核兵器の恐怖と恐さを知って

る。   しかし昔、原子爆弾を落とした米国に憎しみ持ってい

るという人はいない。   戦後の新世代で成長した日本人は、

反米教育を受けていないのです。  前に述べた“我慢”のよ

うに、アメリカ人の原子爆弾 2つは、日本人の 軍国主義の

“傲慢さ”を粉砕しました。 日本は無条件降伏し、彼らの敵

を熱烈に歓迎し、敵国の民主制度を受け入れ、平和憲法を

制定し、積極的に敵に学び、一面の廃墟から、再び自分の

国を再建し、世界をリードする経済大国になりました。 



ただ、かつての戦争発起人と侵略者についての歴史の記憶

については、“我慢”精神以外、やはり、かつての歴史の誤り

について、真剣に反省すべきだし、忘れることなく深く反省し、

次世代にはっきり伝えるべきです。  歴史の記憶を選択して

しまっては、後の世代で歴史を再演してしまうことが避けられ

ないことになる。 



また、かって侵略戦争の苦難を受けた人々について言えば、

歴史をしっかりと心に 刻むことはいいが、決して憎しむた

だけではいけない。 賢者の言葉に、“憎しみは、知恵と良知

を腐らせる。  敵意識は、民族の精神をさせ、生きるか死

ぬかの戦争起こさせ、社会の寛容さと人間性を 失くしてし

まうとある。


歴史をしっかりと心に刻むことは、歴史の再演を行わない

めであり、の世代を戦争から避けるためであり、

平和な環境の中で健やかに成長させるためであり、

達が公平社会で尊厳ある生き方ができるためであ 

また、一人一人が進していく中で、最終的に民族の崇高

な精神と品格を作り出し、民族の豊かな文化的知恵を創造

することである。 これこそ歴史しっかりと心に、国辱

を忘れない一番の方法である




记住历史的方式 

2012-10-05 07:24:08  辛子IN日本



1931
918日,中国沈阳发生“柳条湖事件”。导致抗日

战争爆发,东北沦陷。这一天,在中国被定为“国耻日”。


 

2012918日的这一天,辽宁沈阳上空的默哀警报齐鸣,

以示“牢记历史,不忘国耻”。而从9·18的前几天开始,为

反对日本政府对钓鱼岛的“国有化”,中国全国各地上百个

城市都在举行大规模的反日游行活动。


 

2012918日的这一天,大阪的天空下着雨。湿润的空气

中透着初秋的宁静。   和往常一样,我家小朋友的日本同学,

在早晨8点准时来按门铃叫她一起去上学。 站在家门口,目

视孩子们有说有笑走远的背影,想起 我的小朋友在看完厚厚

一册 《安娜的日记》全译本之后,在早餐时眼睛红红地对我

说:“妈妈,我觉得我能生活在 现在这个时代,生活在没有

战争的环境,真幸福。” 



9
·18
的早晨,天空的雨浇湿了心,令人禁不住眼眶湿润。
 

想起NHK的“クローズアップ現代”(特写现代)曾经播放

过的一集节目,介绍在美国举办的一个专门 介绍日裔美国人

的展览,题目 叫 “THE ART OF GAMAN=我慢の芸術”。

讲述二战中在美国的收容所里,被强制收容的12万多日裔美

国人的生活。 作为敌国国民,这些被强制收容的在美日本人

不得使用自己的名字,他们被统一编号,形同物品。 



许多年之后,一位名叫 帕杜的日裔美国人,回忆起童年时父

母对她描绘的收容所里的生活:“全是些开心快乐的事。 以

致我小时候甚至对 收容所的生活充满了向往,盼着自己什么

时候也能被‘收容’一次才好。”


 

帕杜的 父母刚刚举办完婚礼,这对新婚夫妻双双就被强制遣

送到了收容所。 在收容所里,帕杜的父亲用贝壳和废牙刷毛

做成象牙色的花束,送给刚刚新婚的妻子。


那束做工精致的象牙色花束被一直保留了下来。 直到帕杜的

父母去世后,帕杜在 整理父母亲的遗物时,才终于知道:原

来父母为了不让 儿孙后代对美国社会产生仇视与抵触,一直

对他们隐瞒着收容所残酷生活的真相。 



节目的最后,是帕杜去寻访当年的收容所。 站在父母曾经生

活过的土地上,帕杜说:“父母亲用行动 告诉我,不要拘泥

于过去,而要面对未来地去生活。”



我慢の芸術”中的“我慢”这个词,来源于佛家的“七慢”

之一。 佛家所说的“慢”,是“傲慢”的“慢”,指恃己凌

他,内心傲慢。也就是心里只有自己,骄傲自大的意思。 

但是在日文中,“我慢”的意思是指“忍耐”、“忍受”、

容忍”、“自制”等意思。之所以从骄傲自大”演变为“忍

耐、忍受、容忍、自制”,是因为如果没有“傲慢之心”,也

就不存在所谓的“忍耐”、“忍受”、“容忍”和“自制”了。

我慢”似乎是日本人的一种信仰,也是日本人记住历史的一

种方式。每年夏季暑假前后,日本全国各地的中小学校,都会

举办“原爆纪念展”,用以纪念194586日和89日这

两天,美军分别在广岛和长崎投下的两颗原子弹。每年也有不

少日本中小学的修学旅行,会选择去广岛的和平纪念公园,那

是全世界被扔下第一颗原子弹的地方。 



在这些原爆纪念展以及各种纪念活动中,没有失败者声俱泪下

的悲剧控诉,有的只是一张张触目惊心的黑白照片被安静地展

出。 



如果去日本街头随便询问一位日本年轻人,或是一个日本孩子,

他们都会知道核武器的灭绝性恐怖与可怕,但很难有人会对当

年扔下原子弹的美国满腔仇恨。因为战后新一代成长起来的日

本人,他们似乎并没有接受过仇恨教育。 就像前面所说过的

我慢”一样,美国人的两颗原子弹,摧毁了日本人军国主义

的“傲慢”,他们无条件投降,夹道欢迎他们的敌人,接受来

自敌国的民主制度,制定和平宪章,并积极向敌人学习,在一

片废墟上重新建起了自己的家园,成为领先世界的经济强国。 



只是,对于曾经的战争发起者和侵略者,记住历史的方式,除

了“我慢”的精神方式,还应该有对于曾经的历史错误的认真

反省,与不敢忘怀的深刻沉思,以及对于下一代的清晰传递。

因为任何对于历史的选择性失忆,都将不可避免地带来殃及子

孙后代的历史重演。 


而对于曾经饱受侵略以及战争苦难的人们而言,牢记历史,并

不是为了去仇恨。如同一位智者所说过的那样:“仇恨会腐蚀

一个人的智慧和良知,敌人意识将毒化一个民族的精神,煽动

起你死我活的残酷斗争,毁掉一个社会的宽容和人性”。


牢记历史,是为了令历史不再重演,让后代远离战争,让孩子

在和平环境健康成长,让普通人在公平社会活得有尊严。是为

了从每一个不断完善的个体之中,最终提炼出一个民族高贵的

精神品格,成就出一个民族丰富的人文智慧。这才是牢记历史、

不忘国耻的最好方式。



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