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2570 中国は見る(1380) “右翼”ってどんなもの?



右翼”是个什么东东?  

2012-08-30 20:41:52   来源:辛子IN日本



先日、網易のミニブログの交流会招待され、中国国内のネット

友達と、“日本の普通の人々は右翼をどう見ているのか? 尖

閣(釣魚島)問題をどう見ているか?” など 互に交流しあった。 

ネット友達から、“日本というと、私達はよくひとつまみの右翼

分子と言いますが、本当にひとつまみですか? と質問された。

この問題に答える前まず、“右翼”という言葉の出所と歴史に

遡ってみましょう。


右翼”“左翼”は共に、フランス革命の頃、生まれた“政治用語

で、当時のフランス国民議会で、貴族階層など 旧体制の保

派達通常議長席の右側にり、労働階級を支持する革新派

議長席の左側にっていたので、“右翼”“右派”、“左翼”“左

派”ばれるようになった。



日本で一番最初の右翼組織は明治に誕生した。 例えば玄洋社、

会など、日本の伝統右翼組織である。 当時、欧米の植

民地主義世界を席巻し、国権を強化するため、これら右翼組織

“大アジア主義”主張し、欧米列強に対抗する色彩が強かった。 

そして積極的にアジア各国を助け、欧米列強の 植民侵略に対

抗するアジア各国を支持していた。  例えば中国国父孫中

山は当時玄洋社から変な援助を得ていた。   1924年、孫中

山はそのため招待に応じて神戸に行き、“大アジア主義”と題する

有名な講演を行ったことがある。



またそのほか、当時、日本は自由民権運動が盛んで、明治政府

はこれに対抗するため浪士、侠客の手を借り、政治団体と連合し

て、反政府の民権運動鎮圧した。この部のこれまでと違った

しい右翼、“任侠右翼”または“暴力右翼”と呼ばれる。 “大

アジア主義”を主張する玄洋社、黒会などの伝統右翼と共に

戦前の日本2大右翼勢力に分かれていた。



1945日本が敗戦した後、玄洋社など多くの右翼組織は、

してきた連合から、“軍国主義の温床”と見られ、解散を命じ

られた。 1952に連合日本から撤退することになって、日

本のいろいろな右翼組織が、また復活することとなった。しかし

伝統右翼と違うところは、これら復活した右翼組織“反共

真っ黒な宣伝車に乗り、スローガンを高らかに叫び、大

きなボリュームで軍歌を放送し、街のあちこちをを堂々と宣伝す

るのである --- 多分、中国人の心にある 右翼のイメージ

がこれだと思う。 これらの右翼は、どちらかというと偉大な

中国大地伝説の“勇士”のようである 

士”というと、抗日さえあれば、愛国者である。 これら暴力

傾向のある“街宣右翼”について言えば、“反共反中さえ

あれば、同様にである。  今の中国の“勇士”は抗

日の時、街頭で、中国の同胞の日本車をブチ壊します。 一方、

60代の日本の“国右翼”反共時、街頭で共産主義にあ

こがれる左翼から袋叩きにされた――中国の“勇士

日本の“国右翼”、かれらの立場方向は完全に違います。 

明らか宿敵です。 しかし行動パターンや能レベルはこの

ように似ています。 本当に不思議なことです。


当然、“とても頭のいい右翼”もでてきました-―例えば1972

成立した日本の新右翼の代表組織の“水会”です。 

会”の新右翼達は乱闘しない、暴力を用いない、自家用車

へ行き、“やさしく感動的な”演をする。  れから時間をかけ

て文章を書き、刊行物を発行、彼らの“反共反米体制”思想

を宣伝し、彼らの“民主主義“市民主義”の主張を広めていた。



水会”の代表人物に鈴木邦がいます の人は早稲

田大学政治経済学部卒業、“日本第一の愛国者”であり“世

界一の愛国者”自称しています。  学生時代から、積極的に

右翼運動に参加し、日本“共産化”するのを防止するため、

ばしば左翼の学生と殴りあった。 また右翼仲間達徹夜で

論争し、“誰が一番愛国か?を競い合った。 

《愛国者信用できるという本の中で、鈴木邦男はこう

ている。



学生時代、毎回誰が愛国かを討論してた時、私はいつも負け

ました。 心の中は本当に悔やしくてなりませんでした。  血

圧や血糖値を測る機械のように、 “愛国心測量計” があれば

いいのにと思いました

鈴木邦男は作家三島由紀夫のファンで、三島由紀夫の影響を

とても強く受けています。 1970年11月25日、三島由紀夫

上自衛隊で腹自殺し、生命をもって日本の 戦後体制を厳しく

批判しました。 三島の死は、鈴木邦男に衝撃を与え反省をもた

らし、三島由紀夫の遺志を記念し受け継ぐため、 鈴木邦男は

勉ら4で、水会”を創しました。



三島由紀夫は生前 「愛国心」 にする文章を書いている。 タ

イトルは、愛国心――官製のいやなことば》  三島は“実は

私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。 何となく、「愛

妻家」 といふ言葉に似た感じを覚える と書いている。 三島は

愛国” という言葉には官製のにほひがする。 また、どことなく

押しつけがましい。 国の一員であるにもかかはらず、その国と

いふものを向こう側に対象に置いて、わざわざ それを 愛すると

いふのが、わざとらしくてきらひである。  国といふものをあたか

も愛玩物のやうに、狆(ちん)か、それとも セーブル焼の花瓶の

やうに愛するといふうのなら、筋が通る~~~ それなら本筋の

「愛国心」といふものである



1943年に生まれた鈴木邦男は、もう70に近い。 しかし学生

時代受けた“三島の思想”は依然として彼に深い影響を与え

ている 彼は日本政府国旗・国歌の法制化をに反対し、こ

“日の”“君代”に対する侮辱だと見ている。 、内

心から起るものでなければならず、法律に従うのではない。 

また公立学校が子供達に対して行っている“愛国主義教育”に

反対している。 理由は、“大人さえ自分に愛国心があるか

うかわからないのに、まして子供はなおさらです。  私はとても

国を愛しています。 でも、隣の席XX自民党の悪口を

いました。 非国民―― 鈴木邦男氏は、愛国教育

の結果、“国心”の密告者競争を生み出していると見てい

す。



若い時“世界一の愛国者”と自認していた新右翼指導者玉の

鈴木邦男氏は、満60歳になったの著作にこういている。

国心国民の心の中に置いておけばい。 もし、いった

ん口出したら、それはウソになり、他人を批判する道具にな

り、他人を誹謗する凶器となる。 だから、そっと心に置いてお

くようにしましょう。 どうしても、言わなければならない時には

できるだけ小さな声で話すことです



鈴木邦男氏は、きわめて個性的な主張する“思想右翼”である。 

水会” は、“新右翼”の代表的組織です、しかし1972

の創立から現在まで、日本全国会員はわずか百数人で、

な右翼体と言えません。



ここ数年日本で急速に発展している右翼体、“在日特権を

許さない市民の会”、略称“、ネットから生まれた

激派右翼市民団体で、 わずか数年なのに、 会員はすでに

1万2千人を超えている。  “在特会” の成立の背景と活動内

知ろうと、ジャーナリストの先輩安田浩一さんが

追跡取材し、長編ドキュメンタリーの力作 《ネットと愛国 在

特会の「闇」を追いかけて 》いた



”の指導者・桜井誠、学生時代は、いたって平凡で、

人の群れに混じったら、もう見つからないようなだった。  

校卒業後、まともな仕事がなく、 安賃貸アパートにみ、

雇いや、警備などで生計を立てていた。  現実の不満から、

BBS(電子掲示板日韓国人への強批判を行った。 

桜井はネット上で評判を呼んだ。 この“評判桜井に強い

信を抱かせ無口で静かな男から、攻撃的なネット右翼の指導

へと豹変させた。 に加入している、他のメンバー

―― 彼らふだんまじめな学生だったり、静かなサラリーマン

であり、普通主婦だった。  しかし、ひとたび “在特会”が

集まには、彼らは“国戦士”に変身し、差別的な言葉、

侮辱的なを使って、日韓国・朝鮮人 はじめとする

日外国人を誹謗・中傷した。 



彼らの多くは、正常な生活溶け込むことができないんです”、

しかし、“彼らは認められたい、期待されたい、関心を持ってもら

いたいと思ってるんです”―――《ネットと愛国》の中で安田浩

一さんは、こう書いている。 子供が泣いて大人の注意を引くよ

うに、彼らも不調な発言をして社会の注意を引こうとしている。 

のため、彼らはネットの“右翼運動”にダウンロードし、そこから

アイデンティティーや存在を得たいと思っているのです。 

らのから、屈折した社会に於ける自信喪失、共通の焦りといっ

たものが見えてくる



(朝日のコラム/辛子IN日本:http://asahichinese.com/article/opinion/AJ201208300064



右翼”是个什么东东?  

2012-08-30 20:41:52   来源:辛子IN日本



前几天应邀在网易微博开了个网络交流会,跟国内网友互动,

聊日本普通民众如何看待日本右翼,如何看待钓鱼岛问题等。

有网友问:说起日本,我们经常说“一小撮”右翼分子,是真的

只是“一小撮”吗?



在回答这个问题之前,先追溯一下“右翼”一词的来源和历史。

右翼”与“左翼”一起,都是在法国革命期间派生出的 “政治

方向词”,当时在法国的国民议会上,支持贵族阶层等旧体制

的保皇派们通常坐在议长席的右边,而支持劳动阶层的革新

派则坐在议长席的左边,于是有了“右翼”“右派”、“左翼”“左

派”的称呼。



日本最早的右翼组织诞生于明治时期。如玄洋社、黑龙会等,

属于日本的传统右翼组织。当时欧美殖民主义席卷世界,为

强化国权,这些右翼组织提出“大亚洲主义”主张,具有强烈

的反欧美列强色彩。并积极帮助亚洲各国独立,支持亚洲各

国对抗欧美列强的殖民侵略。例如中国国父孙中山当年就得

到过玄洋社的鼎力援助。1924年,孙中山先生甚至还应邀在

神户发表过以“大亚洲主义”为题的著名演讲。



此外,当时日本正爆发自由民权运动,明治政府为此借用一

些浪人侠士之手,与政治团体联合起来对反政府的民权运动

进行镇压,这一部分异军突起的右翼,被称为“任侠右翼” 也

即“暴力右翼”。 与倡议“大亚洲主义”的玄洋社、黑龙会等传

统右翼一起,成为日本战前最大的两股右翼势力。



1945
年日本战败后,玄洋社等许多右翼组织被进驻的盟军视

为“军国主义温床”而驱除解散。一直到1952年盟军撤离日本,

日本的各色右翼组织才又重新复活起来。 但与传统右翼不同

的是,这些复活的右翼组织明显“反共亲美”,驾驶着通身黑色

的宣传车,高喊口号、高音量播放着军歌,在街头巷尾毫不客

气地招摇过市 ---估计中国人心目中的右翼形象,大都是这类

的。这类右翼有点像当下伟大神州大地上传说中的“抗日壮士”。

对于“抗日壮士”来说,只要是“抗日”的,就是爱国的;而对于

这些有暴力倾向的“街宣右翼”来说,只要是“反共反中”的,也

一样就是爱国的。现在的中国“抗日壮士”抗日时,就跑到街头

将中国同胞的日本车给砸了,而60代的日本“爱国右翼”反共

时,也跑到街头将向往共产主义的日本左翼给揍得鼻青脸肿---

中国“抗日壮士”与日本“爱国右翼”,这两拨子人马说起来立

场方向完全不一样,明显的死对头,但 行为模式和智力水准

却如此相近,还真是件神奇的事。



当然,也有“大大的狡猾狡猾的”右翼---例如成立于1972年的

日本新右翼的代表组织“一水会”。 “一水会”的新右翼们不群

殴不暴力,而是开着私家车上街做“温柔煽情”的演讲,并花大

量时间写文章和发行刊物,宣传他们的 “反共反美反体制” 思

想,并极力推销他们的“民主主义”和“市民主义”主张。



一水会”的代表性人物是玲木邦男。这位毕业于早稻田大学

治经济系的高才生,自称是“日本第一爱国者”甚至“ 世界第一

爱国者”,学生时代开始,就积极参加右翼运动,为防止日本被

共产赤化”,时不时与日本左翼学生混战群殴,在右翼团队里

与同伙们通宵达旦地争辩,拍着胸脯比赛“谁最爱国”。 在《爱

国者能够信任吗》一书中,玲木邦男写:



学生时代,每次讨论谁最爱国时,我总是输,心里真是悔恨得

要死。恨不得能有个‘爱国心测量计’就好---就像测量血压血糖

值之类的机器一样。”



玲木邦男是作家三岛由纪夫的粉丝,受三岛由纪夫的影响非常

深。19701125日,三岛由纪夫在陆上自卫队切腹自杀,以

生命谴责日本的战后体制。 三岛之死,带给玲木邦男巨大的震

撼与反省,为了纪念并继承 三岛由纪夫的遗志,玲木邦男与阿

部勉等四个人一起成立了“一水会”。


三岛由纪夫在生前写过一篇关于爱国心的文章,标题是《爱国

心—官制的讨厌之词》。三岛说“我真是不喜欢‘爱国心’之类的

词,总感觉跟‘爱妻家’的说法很相似。”三岛认为“爱国” 二字

不仅因为它是官制语言令人讨厌,还因为“爱国”的说法,带着

一种“居高临下”:作为“国” 之一员,不将自己置身于 “国” 中,

而是用一个“爱”字,将“国”摆放到自己的对面,人为摆出一种

自我高度,如同面对把玩物一般,如同爱一只小狗、爱一个花

瓶一般—--这实在是对于“国”的傲慢。这不是爱国,而是自恋。



出生于1943年的玲木邦男如今已经年近七十,但学生时代所

接受的“三岛思想”依旧对他影响深远。 他反对日本政府将国

·国歌法制化,认为这是对“日之丸”“君之代”的侮辱:爱,必

须发自内心,而不是遵循法律。并反对日本公立学校对孩子们

进行“爱国主义教育”,说:连大人都不知道自己是否拥有爱国

心,何况孩子呢? “我很爱国,但邻座的XX君刚说了自民党

的坏话,他是非国民”--- 玲木邦男认为: 爱国教育的结果,就

是培育出竞争“爱国心”的告密者。



年轻时自认为“世界第一爱国者”的新右翼领袖玲木邦男,在

年满60岁之后的著作里写道:



爱国心放在每一个国民内心中就好,一旦说出了口,它就成

了一句谎言,成了批判他人的道具,诽谤他人的凶器。所以,

悄悄放在心里吧, 即使非说不可的时候,也要尽可能说得小

声点。”


玲木邦男是位极有个性和主张的“思想右翼”。不过,“一水会”

虽然是“新右翼”代表组织,但从1972年开始成立至今, 在日

本全国的会员只有一百多人,算不上庞大的右翼群体。



近年来在日本发展势头迅猛的右翼群体,是“反在日特权市民

会”,简称“在特会”,这个诞生于网络的过激派右翼市民团体,

在短短几年时间内,会员数已经超过一万二千多人。 为深入

了解“在特会”的形成背景和运作内幕, 日本资深媒体人安田

浩一在通过对“在特会”深入追踪采访后,写成长篇纪实力作

《网络与爱国》。



在特会”领袖人物樱井诚,学生时代是个平凡得一旦扔入人

群,就再也找不回来的人。高中毕业后没有正式工作,居住在

廉价的出租房内,靠打零工做保安为生。因为对现实不满,以

及在BBS上对在日韩国人的强烈批判,樱井诚在网络上引起

高度关注。这份“关注”唤起了樱井诚前所未有的自信,令他从

一个沉默安静的少年,豹变成极具攻击力的网络右翼领袖。而

加入“在特会”的其他成员们----他们平时是认真的学生、安静

的职员、普通的主妇,但一到“在特会”进行街宣聚会的时候,

他们就摇身变成了“爱国战士”,使用各种歧视或侮辱的语言,

中伤和诽谤以在日韩国人·朝鲜人为首的在日外国人。



他们大多数人无法融入正常的生活”,但“他们渴望被认可,

期待被关注”----在《网络与爱国》一书中,安田浩一这样写道。

就如同孩子以哭泣唤起大人的注意那样,他们发出极不和谐的

异音期待唤起社会的注意。为此,他们不惜将源自网络的“右翼

运动”下载到现实,期待从中获取认同感与存在感。从他们身上,

折射出的是整个社会的自信心缺失与群体焦虑。

(朝日专栏/辛子IN日本:http://asahichinese.com/article/opinion/AJ201208300064

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