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若き少女達の聖地 宝塚と阪急電車

日本美少女圣地宝塚与阪急电车

2012-05-17 08:08:35   辛子IN日本

 

Photo大阪の阪急沿線に住んでいるので、外出の時は、

いつも“阪急電車”を利用する。 阪急電車の正式

名称は“阪神急行電鉄”と言い、大阪、神戸、京都

の3都市を結ぶ関西地区最大の私鉄である。  創業者は小林一

三氏(1873~1957) で、有名な 実業家であり、産業界の伝記

的人物である。

山梨県の商家に生まれた小林一三氏は、 生まれて間もなく母

を亡くし、父親とも生き別れ、養父母に育てられた。 慶応義塾

大学卒業後、三井銀行に入行、34歳の時、東京から大阪に証

券会社設立の責任者として赴任する。  

しかし、1907年の金融危機で、証券会社設立は水泡に帰し、

小林一三氏は、失業した。 この失業は、小林一三氏に転機を

もたらした。 当時、仕事をなくした小林一三氏は、電気鉄道”

の話を聞いて、電鉄事業に強い興味を持つようになり、 長年

培った銀行の経験や人脈を基に、すぐに銀行から資金を借り

入れ、“萁面有馬電気軌道”を創設した。    これが、“阪神急

行電鉄”の前身である。

その後、小林一三氏は阪急電車沿線の土地を購入し、一般

人向けに月賦返済方式の住宅を作った。  当時は1910

頃で、銀行の “分割払い” 住宅は珍しかったが、サラリー

ン達の多くは、 これで自分の家が持てるということで――

林一三氏の“大衆型住宅”は大成功を収めた。

Photo_2ところで、“阪急電車”が世間の目を引いてい

るのは、“阪急”沿線の住宅地ではなく、世に

名高い“宝塚歌劇団”があるからである。 

Photo_3この女ばかりの美少女歌劇団は、1913年、

小林一三氏が作ったもので、“老若男女が楽し

める国民を目し、歴史上初めて初めてレ

ビューを上演した歌劇団として、一躍有名になった。 

阪急電車の“宝塚駅”は、たちまち 宝塚歌劇団のファンの

あこがれの聖地となった。  大阪、神戸、京都など三地を

結ぶ “阪急電車” は、“宝塚”という 聖地へ向かう交通

の要衝ともなった。

今は、小林一三氏が亡くなってから50年あまりが経つが、

宝塚歌劇団”の神秘とロマンは、依然として人々を引き付

けている。 2008年、作家有川浩氏は短編小説集《阪急

電車》を出版した。

この本は、阪急電車宝塚線の沿線を舞台に、第一人称であ

私の視線から見た阪急電車の乗客たちの人生のささやか

なふれあいを書いている。 恋の始まり、別れの兆し、そして

中下車など ――  電車は、この街に暮す人々の人生を乗

せて、どこまでもは続かない線路を走っていく。    人生の中

で、現在” に不満と悩みを抱きながらは、 みな自分の

価値観や心情を理解してくれと願ってるわけではないが、心

の中で、自分を分かってくれる人がきっといると思っている。

Photo_4有川浩氏の《阪急電車》は評判となり、何度も

再販されているベストセラー本で、 2011年に

は、 映画となり、 10億円を超える興行記録を

作った。 《阪急電車》 の本の中で有川浩氏は、 “人生の出

会いは、偶然だけど。 でも終着駅ではお互い笑顔になりま

しょう”と書いている。

 

日本美少女圣地宝塚与阪急电车

2012-05-17 08:08:35   辛子IN日本


家住大阪的阪急沿线,每次出门便都乘坐“阪急电车”。

阪急电车的全称为“阪神急行电铁”,是连接大阪、神户、京都三

个城市的日本关西地区的最大私有铁路。其创办者小林一三(18

73-1957),是日本著名实业家,日本商界的传奇人物。



出生于日本山梨县生意人家的小林一三,刚生下来就遭遇母亲去

世和与亲生父亲的离别,由养父母抚养成人。 从庆应义塾大学毕

业之后,进入三井银行工作, 34岁那年, 从东京被派遣到大阪负

责成立证券公司,结果因为1907年的金融危机,成立证券公司一

事变为泡影,小林一三也因此失业。



而正是这次失业,带给小林一三人生的转机。当时,失去工作的小

林一三在听说了“电器铁道”之后,开始对电铁事业产生浓厚兴趣,

凭借曾经多年的银行工作经验和人脉,很快获得银行贷款,创办

了“萁面有马电器轨道”---这便是“阪神急行电铁”的前身。



之后,小林一三开始收购阪急电车沿线的土地,打造面向社会大

众的按月分期付款式公寓住宅。当时还是1910年,“分期付款”的

按揭式住宅,还是十分罕见的事物,但许多工薪阶层由此可以拥

有自己的房产了----小林一三的“大众型住宅”因此大获成功。



但“阪急电车”吸引世人目光的,还不是“阪急”沿线的住宅区, 而

是举世闻名的“宝塚歌剧团”。这支清一色全是日本美少女的歌剧

团,于1913年由小林一三亲手创建,以“男女老少同欢乐” 的国民

剧为目标, 成为日本历史上首支以大众娱乐为主导的歌舞剧团,

并很快一举成名。阪急电车的“宝塚站”,也迅速成为宝塚歌剧迷

们向往的圣地。  而连接大阪、神户、京都等三地的“阪急电车”,

也成为通往“宝塚”这一圣地的交通纽带。



如今,距离小林一三去世已经有50多年了,“宝塚歌剧团”的神秘

与浪漫,依旧不变地吸引着人们。 2008年,日本70后作家有川浩

出版了短篇小说集《阪急电车》,这本书以阪急电车宝塚线的沿线

车站为舞台,以第一人称“我” 为视线,讲述阪急电车乘客们的人

生故事: 爱情的发生、分手的预兆、中途下车---- 电车的铁轨,就

如同生活在这座城市的人们的人生轨迹,乘载着生命的乘客,朝

着有尽头的方向行驶,是一条永远无法重复的单行线。面对人生

中“现在”的不满与烦恼,虽然不奢求人人都能理解自己的价值观

和心情,但在某处,一定会有一个懂得自己的人在等候着你。



有川浩的《阪急电车》在日本大获人气,成为不断再版的热销书籍,

并在2011年被改编成电影,创下超过10亿日元的票房纪录。在《阪

急电车》一书中,有川浩这样写道:


人生的邂逅虽属偶然,但是在终点站,我们依旧彼此面带笑容吧。

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