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2359 中国は見る(1254) 日本 “愛国教育”での悩み (下)

 


日本“爱国教育”之烦恼 

2012-02-19 17:23:42   辛子IN日本

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1998年、埼玉県所沢高等学校で、入学式の集団ボイコット事件 

が起った。 所沢高等学校は男女共学校で、その教育理念は“他 

人の権利を犯さない前提の下、 学生の個性を尊重し、 自な教 

環境を尊ぶ”としている。   “学生の自治”が、この学校の伝統 

であり特色だった。

そのため、長年、所沢高校は新入生を歓迎する入学式と卒業生 

を送る卒業式は、すべて生徒会が、責任を持って主催していた。  

しかし1997年、所沢高校に新しい校長がやって来た。   諺に、 

“新任者は最初のうちだけ張り切る”という。 この新しい校長が 

着任後、最初に手を着けた “改革” は、4月の入学式は学校が 

主催、文部省の規定に基づき国旗掲揚、国歌斉唱で行うと発表 

したことだった。

 

しかし、新校長のこの上から目線の強制的な行政命令は、全校 

の教師や学生達の集団ボイコットにあった。 みんなは急拠、 

校主催の、国歌斉唱、国旗掲揚を強制する入学式には参加し 

いよう呼びかけを行った。  新校長はこのような事態に、非常に 

腹を立て 、“学校の入学式に出席しない生徒は、すべて退学処 

分にする”と強硬発言を行った。 

しかし、恐れを知らぬ生徒達は、新校長のこの脅しにひるみま 

せん。 その結果、入学式当日、所沢高校では、同時に2つの 

入学式が行われました。 学校側が主催した入学式の参加者 

まばらな人数でしたが、 一方、生徒会主催の入学式は、盛 

大な人数が集りました。 生徒達は校長の行政的権威を抑え、 

最終的に勝利を収めました。 校長は困り果て、“全員退学処 

分”という発言の撤回と、「個性を尊重」し、学校を自由な環境 

戻すことを約束せざるを得ませんでした。

 

所沢の校長の困惑と比べ、広島県世羅高校の校長はあまりに 

悲劇的です。 この校長は国歌斉唱と国旗掲揚のことで、強 

に反対する教師や学生達と文部省の命令との間に挟まれ、 

文部省の命令を途中でやめるわけにもいかず、進退極まり、つ 

いに自殺して決着をつける道を選んだのです。 自殺する前に、 

書を残しました。 “何が正しいのか分からない。自分の選ぶ 

道がどこにもない”と書かれていました。 

 

3  天皇が発言しても 紛争は少しも収束の気配なし

 

校長の悲劇的な自殺がきっかけとなり、国歌斉唱・国旗掲揚 

法律化実現さることりました。  1999年8月、日 

本政府は国旗掲揚・国歌斉唱の法律を表決方式で採決した。 

 

こうして、百年来ずっと国歌・国旗として黙認されてきた“君 

代”と“日の丸”が、日本で何とか明文化され、“事実婚”から 

“合法的な結婚”に正された。 

しかしそれでも、日本の国旗と国歌は、多くの日本人の心の 

に、昔のように“神聖”とはなかなかなれない。 日本の教 

界では、学校の教師と学生が国歌斉唱と国旗掲揚を拒否 

し警告を受けたり、 音楽教師が国歌の伴奏を拒否し処罰を 

受ける事件などが、相次ぎ、2011年までに、国旗掲揚・国 

歌斉唱拒否で処分を受けた学校の先生のうち、401人が、 

処分に不服で、憲法第19条の“思想と良心の自由に”反す 

るとして裁判にえても、大部分は敗訴して終いである。 

唯一勝訴したのが一回ある。 2006年、東京地裁は先生側 

に勝訴の判決を下した。   東京都側に先生1人当り3万円の 

償金の支払いを命じた。   しかしこの唯一の勝訴も、最終 

的には、やはり失敗に終った。  東京都が地裁の判決に不 

服で上告した結果、最高裁判所は東京都勝訴の判決を下し 

た。  勝訴の理由は、起立して国旗を掲揚し、国歌を斉唱する 

こと間接的に思想と良心についてある程度制約したとし 

、特定の思想無理に押しつけるのではない。 達に 

ついても強制的に思想を注入するものではなく、従って、憲 

19の“思想と良心の自由”に違反するものない。

 

一体“国教育”は必だろうか? 一体国旗掲揚、国歌 

唱は必要か? 今なお日本ではいろんなところで、このことに 

いて論争が絶えない。  2007年、 日本弁護士連合会は 

国歌国旗処罰された教職員事について、 東京都教育 

委員会に対し警告を出している。 “教職員に対する思想 

強制は違憲”であるとし、各 種の関連の処分の撤回を求め 

ている 

 

また、現在の天皇けの場で、“国掲揚と国歌斉唱につい 

て、強制手段は取らず、みんなの自由を尊重するよう望みます”  

と述べられた。

 

そのため、国旗及び国歌に関する法律はすでに施行されて 

から10数年経つが、実行効果は芳しくない。  今なお、一部 

公立学校の入学式や卒業式で、  教師高らかに校 

を歌い、校旗を上げるのは見るものの、“君代”のメロディー 

聞こえないし、国旗“日の”も見えない。  れは、やは 

本の行政部門としては頭の痛い問題で、 全員起立し国歌斉 

できるよう考えている。  例えば、最近大阪府が、新しい教育の 

基本条例を表しました。 “学校の入学・卒業式で、国歌の 

を斉唱するのは職務命令だ。 連続違反したもの 

免職処分とする  

このような条例に反対意見を持ち、 自由信条を守ろうとする先 

生達は、きわめてカンカンで、“これは露骨な思想弾圧  

丸」や「君が代」に反対するのに、このような強制手段を取る 

なんて、いっそう日本の排主義を助長するだけ これらの 

先生達の一部の人は、  これから学校のいかなる式典 

加しないと言っている。 性格の強硬な先生達、はっきりと 

たとえ免職となっても、絶対“君代”歌いませ”との態度 

を見せている  

立の態度を取っている一部学校の校長達さえも、国歌斉唱、 

掲揚を行政命令強引に行おうとすることに反感を見せ 

ている。 教育現場の公務員して当然、条例に違反 

できません。 しかしこのような強制性的な規定は、教育 

場の雰囲気活気なくし、明るさをなくすものです”  

2012年2月18日“羊城晩報(広州発行新聞) 

http://www.ycwb.com/ePaper/ycwb/html/2012-02/18/content_1325114.htm

 

 

日本“爱国教育”之烦恼  

2012-02-19 17:23:42   辛子IN日本

 


1998
年,埼玉县所沢高等学校,发生了一起集体抵制入学典礼的

 

事件。所沢高校是一所男女共学的学校,其教学理念是“在不侵

 

犯他人权利的前提下,尊重学生个性,崇尚自由的教育风气”。

 

学生自治”是这所学校惯有的传统与特色。

 

因此,多年来,所沢高校欢迎新生的入学典礼和欢送毕业生的毕

 

业典礼,都是由学生会负责主办的。但是1997年,所沢高校来了

 

个新校长,俗话说“新官上任三把火”,这位新校长上任之后,

 

第一件事就是动手进行“改革”,宣布4月份的入学典礼将由校

 

方主办,并必须根据文部省规定升国旗和唱国歌。

 

但新校长这一由上至下的强制性行政命令,受到了全校师生们的

 

集体抵制,大家奔走相告,拒绝参加由校方主办的、强制要求唱

 

国歌升国旗的入学典礼。新校长一看这种局面,十分恼火,于是

 

更加强硬地宣布说:不来参加校方入学典礼的学生,将一律开除

 

学籍。 

 

但初生牛犊不怕虎的学生们,根本不吃新校长这一套强硬威胁。

 

结果,入学典礼那天,所沢高校里同时出现了两个入学典礼:由

 

校方主办的入学典礼,参加人员零零落落;而由学生会举办的入

 

学典礼,却是人声鼎沸。学生们藐视校长的行政权威,最终取得

 

胜利:校长不得不狼狈地收回“一律开除学籍”这句话,重还给

 

学校“尊重个性”的自由风貌。

 

与所沢高校校长的狼狈失败相比,日本广岛县世罗高等学校校长

 

则显得过于悲剧化:这位校长为了唱国歌和升国旗,夹在文部省

 

的命令和强烈反对的师生们之间,左右为难骑虎难下,最后选择

 

自杀来一了百了。自杀前留下遗书一封,说:“我不知道到底哪

 

一方是正确的?我无可选择,无路可走。” 

3   
日本天皇发话也没能让纷争有丝毫的平息

 

校长充满悲剧的生命结束方式,换来了唱国歌升国旗的法律化。

 

19998月,日本政府以投票表决方式,通过了国旗国歌的相关

 

法律,这样,百年来一直被默认为国歌国旗的“君之代”与“日

 

章旗”,在日本总算是有了个名正言顺的名分,从“事实婚姻”

 

扶正成了“合法婚姻”。

 

但尽管如此,日本的国旗国歌,在不少日本人心目中却依旧难以

 

变得“神圣”。在日本教育界,因为学校师生拒绝唱国歌和升国

 

旗遭受警告,音乐老师拒绝为国歌伴奏而受到处分之类的事件,

 

一直都在层出不穷。 到2011年为止,因抵制国旗国歌而受处分

 

的学校老师中,有401人因为不服处分,并以违反了宪法第19

 

违反思想与良心之自由”而状告政府,但大都以败诉告终。 

唯一胜诉的一次,是在2006年,东京地方裁判所判决老师一方

 

胜诉,要求东京都政府支付给被处分老师每人赔偿金3万日元。

 

但这次唯一的胜诉, 最终也还是以失败告终:东京都政府不服

 

地裁的判决结果, 又反告到东京最高裁判所,最高裁判所判决

 

东京都政府胜诉,胜诉理由是: 起立升旗、 齐唱国歌的命令,

 

虽然间接性对于思想以及良心有所制约, 但并不是某种特定思

 

想的强加于人, 对于学生们也没有进行强制性的思想灌输,因

 

此并不违反宪法第19条“思想与良心的自由”。

 

到底要不要“爱国教育”?到底有没有必要升国旗唱国歌?至今

 

日本各界就此事依旧争论不休。2007年,日本律师联合会就国歌

 

国旗而被处分的教职员之事,对东京都教育委员会发出警告,认

 

为“对教职员进行思想强制违反宪法”,要求收回或取消各种相

 

关处分。而当今的日本天皇,也在公开场合表示:对于升国旗和

 

唱国歌,希望不要采取强制手段,尊重各人自由。 

因此,尽管日本的国歌国旗法令已经制定了十多年,但执行效果

 

不理想:至今仍有一些日本公立学校的入学或毕业典礼上,只看

 

到师生们高唱校歌,高扬校旗,却听不到国歌“君之代”的旋律,

 

也看不到国旗“日章旗”的影子。这自然很令日本的一些行政部

 

门恼火,并为能做到“全体起立,国歌齐唱”而动了不少脑筋,

 

例如,最近大阪府和大阪市政府又公布了一条新的教育基本条例,

 

说:“在学校的入学·毕业典礼上,齐唱国歌‘君之代’是一项职

 

务命令,连续违反三次者将处以免职处分。” 

这样的条例自然令持反对意见、扼守思想自由信条的老师们极其

 

愤怒,说:这简直就是露骨的思想弹压!比起反对‘日章旗’和

 

君之代’,这种强制手段,只会更加助长日本的排外主义。

 

这些老师们有的表示从此以后将不参加学校的任何典礼,而性

 

格更倔强些的老师们,则干脆表态说:即使免职,也绝不唱“君

 

之代”。 

就连一些态度中立的学校校长们,也对将唱国歌升国旗作为行政

 

指令硬性执行表示反感,说:“作为教育现场的公务员,自然是

 

不可以违反条例的,但这种强制性规定,只会令教育现场的气氛

 

变得死气沉沉,毫无生机。” 

(刊登于2012218日“羊城晚报”

 

http://www.ycwb.com/ePaper/ycwb/html/2012-02/18/content_1325114.htm

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