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2335 中国は見る(1235) 桜の木の下での思い ―――日本で暮らした経験から感じた 日本人の第二次世界大戦に対する認識(上)

 

樱花树下的彷徨 ——从在日生活经历看日本人对二战的认识 

 

 

10年くらい前に知り合った中国女性がいます。 その人が忻星

さんです。

当時、たまたま見ていた中国のテレビドラマ「楊貴妃」が面白そう

だったのですが、何をしゃべっているのかわからず、忻星さんの

「中国語教室」を見つけて、その「セリフ」を教えてもらえませんか

とムリなお願いをしたのが始まりです。  そのドラマを暫く続けた

後、琼瑶の「還珠格格」の翻訳の指導を受けました。  「還珠格

格」は長編で、そのうちの2冊を訳出しました。 3冊目も訳すつも

りでいたのですが、ちょうど定年退職した直後で、中国に留学した

くなり、忻星さんから中国の大学への推薦書を書いていただき入

学、中国に1年半留学してきました。 

日本に帰ってほどなく、今度は忻星さんが結婚、ご主人の仕事の

関係でイギリスに渡ることになりました。 かの地で7年ほど暮らし、

男の子を二人授かりました。 去年、今度はシンガポールに転居

されました。 

そして、今年の正月、日本での14年間の生活体験を振り返り、 

少しでも中国の人々に日本人の考えを理解させ、日中の誤解

をすこしでも減らすようにとの思いで書かれた文章を送って

れました。

 

大変、日本人にとっても参考となる文章だと思いますので、

ご本人了解の上、ご紹介申し上げます。

 

桜の木の下での思い ―――日本で暮らした経験から感じた 

日本人の第二次世界大戦に対する認識  (上)


私はあの恐ろしい戦争を体験したことはないが、しかし、あ

の戦争については自分なりにはっきり理解しているつもりで

ある。 私がこの文章を書いている時、口の中で無意識のう

ちに、映画の中で日本兵が村に入ってくる時の音楽を口ずさ

んでいました。 子供のころ見た映画ですが、ひげをはやし、

へんな中国語を話す日本兵が行った三光(焼き尽くし、奪い

つくし、殺しつくす)作戦の日本皇軍の画面の数々が、今も

ありありと目の前に浮かんできます。 歴史の本から知った

日本の中国侵略と抗日戦争の歴史は更に悲惨なものでした。 

盧溝橋事件から、南京大虐殺まで、30万同胞の命が亡くな

りました! 温室育ちの私には想像することさえ怖くて震え

てしまいます。 出国前、私は偶然、日本の教科書や靖国神

社の参拝問題に抗議するニュースを聴きました。 でも、私

はこれまで自分のあの戦争に対する認識に疑問を感じたこと

などありませんでした。 それに、世界の人、日本人も含め

てみなそう思っているのだと思っていました。

 
日本に来た当初、私はほとんど日本語が話せませんでした。 

アルバイトして生計を立てるのに懸命でした。 日本人と戦

争問題を話すことなどまるでありませんでした。 池袋東口

でビルの清掃をしていた時、一緒に清掃していたのは東さん

という50歳くらいの日本人でした。 東さんは毎朝、私に

会うと決まって九十度近く頭を下げるのです。 それから、

真剣な顔付きで、“あの戦争、本当に申し訳ありませんでし

た”と言うのです。 これまで人から頭を下げられたことが

なかった私は、あまりのことに驚いてしまいました。 興奮

のあまり、私は電話で母に、“日本人はとても謙虚で、罪を

認める態度も本物です”と話しました。 でもその後、東さ

んのような人に出会うことはありませんでした。 毎日、戦

争のために頭を下げることは簡単なことではないのでしょう。

 
当たり前のことですが、日本で過ごした十四年の間に抗日戦

争の映画で日本帝国軍隊によって繰り広げられたあの残酷シ

ーンを見ることは一度もありませんでした。 それは当然の

ことです。 時代が変りました。 この高度に発達した文明

国家で、そのような残虐なことは許されません。 それとも、

私がたまたま幸運だったのでしょうか、周りの人は皆まとも

で良い人ばかりでした。 特に中高年の日本女性は私に対し

て母のように気を配り、助けてくれ、その温かさは今もって

忘れることはできません。 あのような私心のない愛、いつ

も私に桜のことを思い出させます。 最初に見た桜の満開の

時の情景が思い出されます。 線路の脇にひっそりと立って

いる木の枝が、突然一枝一枝ピンクの雲に覆われます、それ

が一生懸命に咲いている桜でした。 それはやさしく、美し

く、ただひたすら綻んでいました。 桜の木の下に立つと、

酔ったように目まいを感じると共に、時にはなぜか感動のあ

まり涙がこぼれてきました。 日本人はこのような感じを

花酔い”といいます。 ある時、日本の友人と街を歩いて

いて、桜が満開の場所に差し掛かりました。 たくさんの人

たちがお花見に興じていました。  私が、“私達も見に行

きません?”というと、彼は気まずそうな顔で、“やはり行

かない方がいいでしょう。 あそこがどこか知っていますか? 

靖国神社です!”  そう、そこは靖国神社だったのです。 

知らずに足を踏み入れかけ、その後、二度と行くことが無か

った場所です。 

 
靖国神社、桜の名所?


靖国神社はもともとは国のために殉じた人たちを祀る神社で、

軍人はその中の一部に過ぎませんでした。 その後、第二次

世界大戦の軍人の遺霊も祀るようになり事件を複雑化してし

まいました。 特に多くの国民の承認のないまま、A級戦犯

の霊もその中に入れ祀られたことから、侵略を受けたアジア

各国の国民からすると、靖国神社は、あの侵略戦争を行った

「侵略責任者を祀る場所」となってしまいました。 実際の

ところ、日本の戦争のシンボルとしては、原爆ドーム(広島

平和記念碑)、長崎市平和公園などです。 大多数の日本国

民にとって、靖国神社は春の桜の名所に過ぎません。 神社

の回りには、桜の木がいっぱい植えられているため、3月末

から4月初めの桜が満開の頃には、多くの花見客がそこを訪

れます。 一週間あまりして桜が散ると、神社はまた静けさ

を取り戻します。

 

ちょっと注意を喚起したいことがあります。 神社と寺の違

いについてです。 私が初めて日本に来た頃は、他の外国人

と同様、神社と寺を混同していました。 でも実際は、神社

にはお墓がありません。 死者を祀る墓は、それぞれの菩提

寺にあります。 神社で神化するには、深夜、死者の名前を

霊璽簿(古くは祭神簿と言った)に書き込み、それから合祀

するのです。 そうすると、“人の魂”を“神霊”に変える

ことが出来ます。 日本人にとっては、肉体に罪があっても、

魂には罪はないのです” この信仰理論によれば、どれだ

け大き罪を犯そうと、神体に移された“魂”は浄化され罪は

消えてしまうのです。 ですから、これが神社を参拝する人

の理論的根拠となっています。 そして、これが靖国神社の

問題を更に複雑化させているのです。

付け加えると、長い歴史を持つ神道は明治の時代に『国家神

道』という思想の下、天皇による国家統治の道具とされまし

た。 もともと神道の原則は人を祀るのではなくあくまで神

を祀るものであり、神は天皇を含め人間よりも崇高な存在と

位置づけられていました。 しかしながら『国家神道』の根

本概念である『天皇現人神思想』を徹底するため、歴史ある

多くの神社が取り壊され、統合されました。 靖国神社はこ

の思想の下、変革させられた神社なのです。


日本の首相が靖国神社を参拝するたびに、しょっちゅう中国、

韓国などアジア各国の強い抗議を受けます。 では、日本国

内の反応はどうでしょうか? 大多数は面倒な事はゴメンと

考えている日本国民は、首相の神社参拝について、怒ること

はないけれど、困ったように、“また、行ったの?”と言う

ばかり。 首相がどうして神社を参拝するのか尋ねられると、

多くの人は“世論の注意を引き、それによって選挙に有利に

したいと思ってのことだ”と答えます。 この回答は道理が

ないわけではありません。 首相の中には、選挙前には明ら

かに右寄り発言をしていたのに、選挙後には、態度を変える

者がいます。 また当然、参拝を支持する日本人もいます。 

日本憲法は明確に、「個人の信仰の自由」を規定しています。 

だから、彼らは、日本公民として、首相も同様に信教の自由

があり、靖国神社を参拝するのは、彼ら個人の宗教の信仰に

属するものであり、外国人とは関係ないと見ています。 彼

らのこの考え方が、首相が靖国神社参拝後、もっともげに話

す理由の一つとなっています。 このアジアの他の国とまっ

たく異なる神社文化という特殊性が、靖国神社問題を複雑化

させている主な理由の一つともなっています。


しかし、戦争遺族など特別な人々以外、大多数の日本人にと

って、靖国神社は戦争を記念する場所ではなく、ただの宗教

法人であり、桜の名所に過ぎません。

 

  樱花树下的彷徨 ——从在日生活经历看日本人对二战的认识  

  


 

 虽然我未曾经历过那场可怕的战争,但是我一直觉得我对

那场战争是有非常明确的了解的。在我提笔写这篇文章的时

候,嘴里无意识地哼哼着的,就是电影里鬼子进村的音乐。虽

然是儿时看的电影,那些留着小胡子,说着稀奇古怪的中国

话的日本鬼子,那些在火光剑影里烧光,抢光,杀光的日本皇

军,一幕一幕,依然历历在目。在历史书上学到的日本侵华和

抗日战争史更是悲惨壮绝。从七七卢沟桥事变,到南京大屠杀,

三十万同胞的性命啊,在糖水中泡大的我连想一下都会不寒而

颤。 虽然在出国之前,我偶然会在新闻广播里听到对日本教科

书,靖国神社参拜等问题的抗议,但我从来没有怀疑过自己对

那场战争的认识,而且认为全世界的人都是那样认为的,包括

日本人。 

刚到日本时,我几乎不会说日语,打工谋生忙得厉害。自然

没有日本人来和我讨论战争问题。我在池袋东口清扫大楼时,

起干清扫的是一位姓东的五十开外的日本人。他每天早晨见

到我后,总是要对我鞠一个近乎九十度的躬,然后,满脸真诚地

说,那场战争真对不起。从来没有被人鞠过躬的我真的有点受宠

若惊的感觉。   在电话里,我兴奋地告诉母亲,日本人蛮谦虚的,

他们的认罪态度也不错。  但在以后的日子里,我没有再遇到过

如东先生般的人,也许每天为战争鞠躬是一件很不简单的事。 

 在日本的十四年的生活经历中,我当然没有碰到过中国的抗日

战争影片中所描写的凶恶残忍的日本鬼子。那是很自然的事,时

代不同了,在这个高度文明的国家,自然是容不得如此凶残之事。

也许是我的幸运,我遇到的日本人都是一般的或者很好的。特别

是中老年日本女性,她们对我如慈母般的关怀和爱护,让我至今

仍无法忘怀。那种无私的关爱,总会让我想起樱花。还记得第一

次看到樱花盛开时的情景。那些在铁路边默默地站了一个冬天

树上,突然飘来了一朵朵粉色的彩云,那是拼命开放的樱花,

么温柔,美丽,不顾一切地绽开着。站在樱花树下,会有一种

陶醉而眩晕的感觉,有时禁不住会感动得落下泪来。日本人

把这种感觉叫“醉花”。还记得有一次和一位日本友人出去,路

过一处樱花盛开的地方,好多人都在赏花,我对他说,我们也

去逛逛吧。他阴沉地看着我说,还是别去了吧,知道那是哪儿吗?

靖国神社!那是我第一次,也是唯一的一次看到靖国神社。 

靖国神社,看樱花的好去处? 

靖国神社原来是祭奠为国殉职的日本人的神社,军人只占其

中的一部分。 后来把第二次世界大战的军人的灵魂也安置进去

就把事件复杂化了。 特别是在没有得到大多数国民的认同的情

况下,把甲级战犯的灵魂也移入其中来祭奠后,在受侵略的亚洲

国家的人民看来,靖国神社就变成了“祭奠”那场侵略战争的地

方。其实,日本的战争象征物是广岛原爆遗址(原爆圆顶)

崎和平公园。 而对大多数日本国民来说,靖国神社只是春天看

樱花的好去处。因为神社周围种满了樱花树,每到三月底,四月

初,那儿樱花怒放,吸引了很多观赏樱花的游人。一个多星期后

花落满地,神社就又恢复了宁静。 

值得一提的是,神社和寺庙是不同的。我刚到日本的时候,

也和其他外国人一样,把神社和寺庙混淆起来。其实,神社里是

没有坟墓的。这些被祭奠的死者的坟墓都安置在各自的菩提寺里。

在神社里神化的过程是,在黑夜里把死者的名字写在灵玺簿(旧

称祭神簿)上,然后进行合祀祭,把“人灵”化为“神灵”。而

对日本人来说,肉体可以是有罪的,但“灵魂是无罪的”。按照

这种信仰理论,无论犯了多大的罪,被移到神体里的“灵魂”却

是经过净化而无罪的,所以这也为参拜神社的人提供了理论依据。

这样就使得靖国神社问题更复杂化。 

还有一个值得注意的史实是, 自古以来的神道,在备战的明

治时代,被天皇改造成了国家统治的道具——“国家神道”。许多

传统的神被强制改名,移出神社或毁掉。原则上自古以来的神道

是祭神不祭人,神高于包括天皇在内的人。而被改造后的国家神

道,最高的神变成了天皇。靖国神社就是被天皇改造过的神社。 

日本首相参拜靖国神社,往往引起中国,韩国等亚洲国家的强

烈抗议。那么日本国内的反应如何呢?大多数不愿惹事生非的日

本国民对首相参拜神社虽然不会很愤慨,却会很纳闷地问,“怎

么又去了?”。当问到首相为什么参拜神社时,很多人认为是为

了引起舆论注意,以便对竞选有利。也许这个回答不无道理。因

为有些首相在竞选前言辞明显偏右,而竞选后,往往收敛。当然,

也有一部分支持参拜的日本人。日本宪法明确规定,个人有宗教

信仰的自由。所以,他们认为,作为一个日本公民,首相也同样

有宗教信仰的自由,选择靖国神社参拜,属于他们个人的宗教信

仰,与外国人无关。他们的这一想法,也是一部分首相参拜靖国

神社后还振振有词的原因之一。这种和亚洲其他国家完全不同的

神社文化的特殊性,是造成靖国神社问题复杂化的主要原因之一 

但是除了战争死难者家属等特殊人群以外,对大多数日本人来

说,靖国神社并不是纪念战争的地方,而只是一个宗教法人。一

个看樱花的乐园。 

 

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