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2337 中国は見る(1237) 桜の木の下での思い ―――日本で暮らした経験から感じた 日本人の第二次世界大戦に対する認識(下)

 

樱花树下的彷徨 ——从在日生活经历看日本人对二战的认识  

 

戦争認識と日本の民族性

日本に暮らして10数年、日本人の“含蓄”(口には出さな

いが、含みのある微妙な気持)が、私に深い印象を残して

ます。   簡単に言うと、大部分の日本人は物事の好き

嫌いについて態度をはっきりさせないところがあります。

“はい” とか “いいえ”の態度表明が明確でないのです。 

よい事をしても、敢えて言わない。  悪い事をしても、直

接過ちを認めようとしない。  日本人の間では、このよう

な“微妙な気持” は、「阿吽の呼吸」 でお互いわかりあっ

ています。  外国人だと何年もかけないと、彼らの顔色・

動作から、“はい”といいながら実際は“いいえ”だったり、

“いいえ” といいながら実際は“はい”だったりすることを

読み取ることは難しいです。


授業に遅れたりした時のちょっとした誤りには、彼らはとて

も素直に“申し訳ありません”と言いいます。 しかし、大

な間違いをしたと思った時には、多くの人は口で、“済み

せん”とはなかなか言いません。  その時は、あなたに贈

り物を送ってくるかもしれないし、あるいは食事をご馳走し

てくれるかもしれない。 あるいは独りで黙々と5,6時間

歩き反省するか、極端な場合、 二度と現われないかもし

せん。  多くの人は口が重く、あなたが理をもって説

得し、順序立てて説明しても、過失を改めるといった言葉

を聞くことは難しい。

日本は四方を海に囲まれるという地理的状況にあります。 

これが日本人特有の個性を形成しています。 交通が、まだ

あまり発達していなかった昔、外国で発生した事は、島国日

本には、ほとんど大きな影響はありませんでした。 日本人

は内気で口には出さないところがあり、隣国との関係もうま

く処理できませんでした。 また日本人は、外国人が何を考

えているのか、どう思っているのか、喜怒哀楽など推測する

ことも得意ではなかったのです。 だから、日本の外交はあ

まり賢いとはいえません。 日米関係で、積極的に動き、口

を出すのはいつもアメリカ人で、黙ってお金を出しているの

が日本人です。 中国やその他アジア国家との関係処理に

いても、日本政府は、“はっきり口に出さず”態度は明確

ありません。 日本は中国やその他のアジア諸国に巨額

の無償援助を提供しながら、同時に、靖国神社参拝や教科

書などの戦争認識問題で、 これらの国々と摩擦を起してい

ます。  政府援助以外にも、日本の多くの民間団体が各地

で活躍しています。  ある地方の日中友好団体では、元日

本兵の多くの家族が、中国の留学生を自分の家に泊まらせ

食事の面倒も見ながら、日中の民間友好増進のため、自分

達の力で黙々と貢献しています。

 
政府の援助にしろ民間の友好団体にしろ、日本人はこれら

事を大声を上げ宣伝することがありません、 これも日本

の「口には出さない」やり方なのです。 しかし、自分は正

しいと思う首相達が靖国神社を参拝する、そのわずか10数

分で、彼らは日本国民がせっせと努力したその心遣いを踏

にじってしまいました。


日本は島国で、日本の文化は“恥”の文化とも言われてい

す。 つまり“恥を知る”文化です。 これは、日本人がい

つも自分のイメージを気にし、他人の見方によって、自分

行動を縛っているというものです。  日本人がとても礼

正しく、サービスも良いのは、この“恥”という字のためで

す。 生活の中で、日本人はよく規律を守り、横見をしない、

よく畏まる、他の人の怒りを買ったり、感情を損ねることを

恐れます。 そんなに礼儀を重んじ、恭々しい民族が、どう

して侵略戦争の後、過ちを認め謝罪することに、グズグズ

ているのか? もしこのように“グズグズ”しているうわべ

の理由としては“はっきり口に出せない国民性”であろう。 

その深層の理由にはこの“恥”の字があります。  戦争当初、

多くの日本人はアジアを当時のヨーロッパの侵略から救い出

し、大東亜共栄圏の “すばらしい理想” を建設 (これもその

時の教育の結果)しようと、危険を顧みず戦場に行きました。

ところが気が付いてみると、 “救出” は血生臭い侵略になり、

無数の罪なき人々の生命が、無情に殺害されてしまいました。 

この戦争で犯した罪悪は、彼らの心理で耐えうる能力を超し

しまいました。 ほんの少しの小さな誤りも“恥”とする日本人に

とって、自分が犯した大きな犯罪のプレッシャーに耐えることが

できません。 心理学では、人が自分の犯した誤りに直面でき

ない時、極力現実を回避しようとし、それが極限に達すると、

“記憶喪失”の病状が現れると言います。 決して罪を認めな

い戦争当事者も、“大恥” の恐怖から“記憶喪失”に似た病状

になります。  彼らは自分の犯罪に直面することができず、あ

の戦争の“正当性”を主張しています。 

靖国神社を参拝したり、教科書に侵略の文字を載せることを

拒否したり、彼らの次世代が彼らを嫌悪し軽蔑することを恐

れているのです。 思うとおりにいかないもので、日本の若

人が日本の外で、びっくりした資料を見てしまい、彼らの祖先

の心配が、逆に事実となってしまいました。

 
口には出さず、含みのある気持を表現”や“恥を知る文化”

は日本民族の優れた国民性です。 しかし、戦争認識の問題

では、日本とその他の国との意思疎通の障害となり、日本民

族が背負う大きなお荷物となっています。 人は自分を越え

こそ、発展することができます。  国家と民族も  “自分(主体

性)”を越えなければならない。 日本民族が、もしこの“自分

(主体性)”を越えることができれば、戦争認識問題だけでなく、

今日本が直面している、たくさんの問題も全てすらすらと解決

できるかもしれません。

日本はまだ“戦後”状態のまま?――戦争認識の道は遥か先


戦前の日本は天皇崇拝の軍事国家でした。 戦後は敗戦国と

して米国の監視下にあり、主権のない国となりました。  明

時代は言わば江戸時代の延長のようなものです。 江戸時

の社会は“上”“下”の関係で、下の者は上に絶対服従の関係

でした。  ですから、富国強兵の明治時代、 反戦者の多くは

“赤”とされました ―― 共産主義者は牢獄に入れられました。 

終戦後、日本国民の意気はとても落ち込みました。  国民は

政治に対する関心はなくなり、 180度大転換、 戦争を忘れ、

貧しい生活を改善するため一生懸命に働きました。   戦後、

日本は各分野すべて米国の監視を受けました。 日本が米国

の庇護から脱しない限り、本当に独立した主権国家とは言え

ません。  今、国会はまた沖縄の米軍普天間基地移転問題

で揺れています。  あの戦争からもう“60年”過ぎたというの

に、日本はまだ“戦後”状態のままです。  私達アジアの国の

国民から見ると、一国家・政府として、たとえば靖国神社参拝、

教科書問題など、 もし真摯に取り組めば、解決できないはず

がありません。 どうしてこんなにあいまいのまま放っておくの

でしょう?  実際、日本政府があいまいなまま放っておくと感

じているのは私達だけでなく、 日本国民も日本の政治、外交

の不甲斐なさにため息をついています。 これも自民党の54

年の統治を終らせ、民主党に政権を奪われた大きな理由の一

つです。  民主党政権が日本国民に新しい希望をもたらし、私

達アジアの国民にも一縷の希望をもたらすよう願うばかりです。


この“戦後”状態が続いている中では、日本の戦争認識の道

は遥かに遠いと言わざるを得ません。 しかし国際交流、情

報化時代の発展に伴い、また多くの日本人があの戦争につい

て新しい認識を持ち始めています。 ですから、アジアの国

民である私達としても、あの戦争についてもっと全面的な認

識ができることでしょう。


2008年4月7日、日本テレビが、“NNNドキュメンタリー映画

兵士達記録した南京大虐殺”を放送しました。 

福島県に住む小野賢二さんが、20年の歳月をかけ、彼の郷

里で元日本兵の日記を探し求めました。  小野さんは福島、

会津、若松の“歩兵65連隊”の兵士の日記を重点的に探し

した。 日記の中には物資の補給を断たれた日本軍が、強

しながら前進していく様子が詳しく記録されていました。 

南京陥落後、大量の捕虜をどのように処分するかという問題

について、最終的に殺害するという事件の経過も書かれてい

ました。 日記の中には、はっきりと“3千の捕虜を銃殺した”、

“残りの1万数千の捕虜を銃殺した”などの字句も記録されて

います。 この記録映画の中には、元兵士が1994年取材に

応じた時の映像も放送されました。  “長江側で1万人あまり

を取り囲み、機関銃掃射しました。 耳には機関銃の音ともの

すごい大きな悲鳴が聞こえてきました………” 

田舎で畑仕事をしている普通の農民が、突然戦争に巻き込ま

れ、やむなく兵隊となり遠征し、やむなく多くの人を殺害した…

……戦後、際限のない罪悪感にさいなまれ、訴える人もなく、

苦痛と憂鬱のまま毎日を過ごしてきた。

日記を探し求めた小野賢二さんは歴史学者でも学者でもない。 

小野さんは生産会社で40年間働いた普通の日本人である。 

小野さんは20年間、自費で元兵士の日記を収集した。 平

すると一年、一冊といった割合である。 どれだけの気力が要

ったろうか?  真相究明に対するたゆまぬ追及精神に、尊敬

の念を起こさずにはいられない。

 
この番組は深夜に放送されたが、日本のメディアが、長い果

てしない戦争認識の道に大きな一歩を踏み出したといえる。 

内容は心が引き裂かれそうな辛いものだが、日本人の良知

勇気と感じさせるものだ。 日本のメディアがよくぞ真相追

及の使命感と責任感を果たしたなと感じた。 日本人が日本

民族の“主体性”を持つ希望が見えた思いがした。

 
昔の戦争を思い、未来の平和を祈る


この文章を書くに当り、私はずっと一つの問題を考えていた。 

どうして戦争に対する認識がこんなに重要なのか?  あの

争からもう60数年も経っている。  実際にはもう生命を奪

うことや傷つけることはない。  だが、その残酷さは、今も

然として精神的に私達を傷つけ、身震いさせている。  戦

認識で、最も重要なことは、 戦争のすべての細々としたこ

をはっきりさせたり、 正確な被害データを出すことではなく、

それを教訓とし、未来の悲劇の発生を防止することである。 

戦争認識の道筋の中で、私達がもし、この未来を展望する

目的を持つことができるなら、 共通認識に達することは容易

かもしれない。

 
私が“戦争の還暦”の作者・森本正昭教授に話を伺いに訪

た時、森本教授は、彼の心の底からこうおっしゃいました。 

私はどんな理由だろうと戦争を始めることには反対です。 

戦争は残酷で恐ろしいからです。 私には実際的な提案が

ります。 それは愛国主義教育を行うよりも、むしろ外国

へ、仕事に行ったり、留学したり、旅行する国民を増やすこ

とです。  その国の人と友達になることができれば、きっと

世界平和に役立ちます”


そうです。 私達みんなが家族を愛し、故郷を愛し、祖国を

愛するように、隣の人を愛し、異邦を愛し、隣国を愛するよ

うになれたらと思います。 私達は同じ地球の上で生活し、

みんな地球の住民なんですから。  人類の文明の歴史は

数千年もあります。  でも、悠遠な宇宙の中では、ほんの

一瞬に過ぎません。 私達はこの地球上で最高の生物とし

て生きています。  出会い、知り合うということは、無数の

粒子が衝突するような、偶然の偶然であり、奇跡中の奇跡

と言えるものです。 私達は、この奇跡のような一瞬を大切

にし、世界に平和がいつまでも続くよう願っています!

 
2010
48日 ロンドン

 

  樱花树下的彷徨 ——从在日生活经历看日本人对二战的认识  

  

 

                                    战争认识和日本的民族性 

在日本生活的十几年中,日本人的“含蓄”给我留下了比较

深刻的印象。 简单地说,大部分日本人对事物的好恶表现不分

明。 对事物的“是”“否”的表态不明确。做了好事,不爱声

张。 做了坏事不爱直接认错。在日本人之间,他们已经习惯于

通过这种“含蓄”来相互沟通。 作为一个外国人,你得花上好

多年的工夫,才能从他们颜色举止,字里行间读懂他们 “是”

中的“否”,和“否”中的“是”。 

对上课迟到之类的小错误,他们可以很自然地说“对不起”。

但是,当他们觉得犯了比较大的错误时,很多人嘴巴里的“对

不起”反而没有了。他们也许会送你一份礼物,也许会请你吃

一顿饭,也许会独自一人默默地步行五,六个小时反省,极端

含蓄的就再也不出现了。很多人金口难开,任你晓之以理,循

循善诱,也难听到痛改前非之词。 

日本四面环海的地理位置,形成了日本人特有的个性。 在

交通还不很发达的过去,外国所发生的事一般不会对岛国日本

有很大的影响。日本人比较内向含蓄,不太善于处理和邻国的

关系。他们不太会推测外国人在想一些什么,是怎么想的,何

时喜,何时怒,何时哀,何时乐。所以,日本的外交是不太聪

明的。在日美关系中,呼风唤雨,出足风头的永远是美国人,

而默默无闻地出钱出力的却是日本人。在对中国及其它亚洲国

家的关系处理中,日本政府也表现出了相当的“含蓄”和不明

确。他们在向中国和其它亚洲国家提供巨额无偿援助的同时,

却为了靖国神社参拜,教科书等战争认识问题而与这些国家时

有摩擦。除了政府的援助外,日本还有很多民间团体也活耀在

各地。 有些地方的日中友好团体中,有很多原日本兵的家属,

他们把在日本的中国留学生接到自己家里住宿饮食,为增进日

中民间友好默默地尽着自己的一份力量。 

 无论是政府的援助还是民间的友好团体,日本人很少大肆

宣传这些事情,这也是日本式的含蓄。然而,当自以为是的日

本首相们去参拜靖国神社时,短短的十几分钟里,他们践踏了

日本国民辛勤耕耘的一片苦心。 

日本是个岛国,日本的文化是“耻”的文化。 也就是“知

耻”的文化。这就导致了日本人总是很注意自己的形象,用别

人对自己的看法来约束自己的行动。日本人很懂得礼貌,服务

特别好,就是因为这个“耻”字。在生活中,日本人总是循规

蹈矩,目不斜视,诚惶诚恐,生怕惹恼或得罪了别人。那么重

礼仪,那么恭恭敬敬的一个民族,为什么在侵略战争后,对认

错谢罪总是那么忸忸怩怩?如果说这种“忸怩”的表面原因是

因为“含蓄”,那么它的深层的原因就是这个“耻”字。在战

争开始的时候,很多日本人都是怀着把亚洲从当时欧洲的侵略

中拯救出来,建立大东亚共荣圈的“美好理想” (这也是当时

教育的结果 ),而奋不顾身地赴向战场。可是,当他们清醒过

来的时候,“拯救”变成了血腥的侵略,无数无辜的生命被无

情地残害。他们在这场战争中犯下的罪恶,已经超过了他们的

心理承受能力。一点点小错误也引以为“耻”的日本人,无法

承受自己犯了那么大罪行的压力。在心理学上,当人无法面对

自己犯的错误时,就会极力想回避现实,极端时会出现“记忆

丧失”的症状。拒不认罪的战争知情者,就是因“大耻”的恐

惧而得了类似“记忆丧失”的症状。他们无法面对自己的罪行,

坚持那场战争的“正确性”,参拜靖国神社,拒绝在教科书里

写下侵略一词,是害怕他们的后代厌恶和唾弃他们。殊不知事

与愿违,当日本的年轻人在本国外看到令人震惊的资料时,他

们祖辈的担心反而变成了事实。 

含蓄“和“知耻”是日本民族的优秀品质。 但是,在认识

战争的问题上,却成为日本与其它国家沟通的障碍,也成为日

本民族背着的一个巨大包袱。人要超越自我,才会有发展。国

家和民族也需要超越“自我”,如果日本民族能超越这个“自

我”,那么不只是战争认识的问题,现在日本面临的许多问题

也许都会迎刃而解。 

 日本还处在“战后”状态?——战争认识路漫漫 

 战前的日本是崇拜天皇的军事国家,战争以后则成为战败国,

是在美国监视下的失去主权的国家。 战前的明治时代可以说是

江户时代的延续。 在江户时代,社会是“上”和“下”的榨取

关系。 下对上是绝对服从的关系。所以在备战的明治时代,很

多反战的人被当作“赤” ——共产主义者而叮当入狱。战败后,

日本国民的意志十分消沉。 国民不再对政治很热心,而一百八

十度大转弯,都想忘却战争, 为了改善贫困的生活拼命地埋头

苦干。 在战后,日本其实在各个领域都受着美国的监控,如果

日本不脱离美国的庇护, 就很难成为一个真正独立的主权国家。

现在,国会又因为冲绳的美军普天间基地的移设问题而动摇不定。

虽然那场战争已经过了“花甲之年”,但日本还处于“战后”的

状态中。在我们亚洲国家的民众看来,作为一个国家政府,诸如

靖国神社参拜,教科书等问题,如果有诚心的话应该是不难解决

的。为什么这么暧昧和无能?其实,觉得日本政府暧昧无能的不

只是我们,日本民众对日本政治和外交的无能已经叹息了很久。

这也是自民党结束54年的统治而被民主党取代的主要原因之一。

但愿民主党政府能为日本人民带来新的希望,也能为我们亚洲国

家民众的期待带来一丝希望。 

 在这种“战后”状态的延续中,日本对战争的认识之路也是漫

漫而修远兮。但是,随着国际交流的发展,随着信息时代的发展,

更多的日本人会对那场战争有全新的认识。而作为亚洲民众的我

们呢,也会对那场战争有更全面的认识。 

 200847日,日本电视台播放了“NNN纪录片士兵们记

录的南京大屠杀”。 家住福岛县的小野贤二先生,用了二十年

的时间在他的家乡寻找原日本兵的日记。 他重点发掘了福岛,

会津,若松的“步兵65连队”的士兵日记。日记中详细记录了

断了物资后路的日本军,一路抢夺一路前进的情形。直至在南

京沦陷后,面对大量俘虏不知如何处置, 最后加以杀害的事件

经过。日记里明确记录着“枪杀了三千俘虏”,“枪杀了残余

的一万几千俘虏”等字句。在此纪录片中,还播放了原士兵在

1994年被采访时的录像。“在长江边上把一万多人围起来,用

机关枪扫射,耳边是机关枪和铺天盖地的惨叫声……”一个在

乡村种地的普通农民,突然被卷入战争,被迫当兵,被迫远征,

被迫杀害了那么多人……在战后,抱着无底的罪恶感,却无人

申诉,痛苦郁闷地度过每一天。 

 追踪日记的小野贤二先生并不是一个历史学家或者学者。他

只是一个在生产企业工作了四十年的普通日本人。他用了二十

年的时间自费收集了原士兵的日记。几乎是平均每一年才找出

一本日记的速度。这需要多么大的毅力啊。这种对真相孜孜不

倦的追求精神,不禁让人肃然起敬。 

 虽然此片在深夜播出,却是日本媒体在漫漫战争认识之路上

迈出的巨大的一步。虽然内容让人心撕肺裂,但仍让我们感到

了普通日本人的良知和勇气,感到了日本媒体敢于追求真相的

使命感和责任感。看到了日本民族超越民族“自我”的希望。 

 认识昔日战争,祈愿未来和平 

在写这篇文章时,我一直在想一个问题。为什么对战争的认

识是如此之重要?那场战争已经是过去了六十余年。 它的残酷

虽然在精神上仍然可以伤害我们,让我们觉得后怕。 可是,它

在实际上已经无法再伤害更多的生命了。 认识战争,最重要的

意义也许并不在于要彻底搞清楚战争的每一个细枝末节, 和准

确无误的受害数据,而在于用前车之鉴, 去防止未来悲剧的再

发生。 在认识战争的过程中,如果我们能抱着这个展望未来的

宗旨,也许比较容易达成共识。 

在我采访“战争的花甲之年”的作者森本正昭教授时,他说

出了他的肺腑之言:“我不支持以任何理由发动战争。 因为战

争都是残酷和可怕的。 我有一个比较实际的提议。那就是,与

其进行充满激情的爱国主义教育,倒不如提倡每个去外国工作,

留学,旅游的国民,都在那个国家交一个好朋友, 那样一定有

助于世界和平。” 

 是啊,但愿我们每个人不只是爱家人,爱故乡,爱祖国,而有

一颗更广义的爱邻人,爱他乡,爱邻国的心。因为我们生活在同

一个地球上,我们都是地球的公民。人类的文明史虽然有几千年,

但在悠远浩荡的宇宙中,却只是那么短暂的一瞬。我们能够在这

个地球上作为最高级的生物生存,相遇,相知,那是无数粒子碰

撞中的偶然的偶然,是奇迹中的奇迹。但愿我们都懂得珍惜这奇

迹般的一瞬。愿和平永驻世界! 

201048 于伦敦

 

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