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2213 中国は見る(1131) “日本人は好色”というのは実は中国人の思い違い? (上)

日本人好色”其实是中国人的误读?

2011-01-17 15:10:28   辛子IN日本 



一衣帯水の隣国・日本に、中国は多くのレッテルをつけている。 

思い付くまま挙げてみると、“色”の字があった。 だが実は

これは誤まっている。 好色は人の本性であり、国とは関係が

ない。 日本人がなぜ特別に“好色”とされたのか、それは二

つの国の文化背景が違うため、“色”に対する表現方法が違い

をもたらしたのである。 

 

例えて言うなら、中国料理と日本料理の違いのようなものであ

る。 高級な中国料理は、コックの料理の手間が多ければ多い

ほど、味をととのえる調味料も多く使うことになる。 ナスも

山海の珍味のおいしさを出さなければならない。 それでこそ、

その料理が比類なき絶品ということになる。 一方の高級日本

料理は、コックがどのくらい手間をかけ、どれだけ調味料を使

うかではなく、その料理自体がいかに新鮮であるかにある。

 

新鮮な日本料理は、手間も少なく、調味料もほとんど使わない。 

必要なのは、この料理本来の天然の味である。 この“美食”

それ自体の味に、なんら手を加えないという追求は、日本人の

美色”の追求についても同じように体現されている。 すな

わち、日本人は男女の愛は当然な事で、天然に存在するものは、

自然に受け入れ、“調味料”などで覆い隠す必要はないと思っ

ている。 だから、日本人は “色”について、表現があけすけ

で直接的なのである。


日本人の結婚の歴史を遡って見る時、“孔雀東南に飛び 五里

ひとたび徘徊す”(『古詩源』 )の劉蘭芝はなんと運が悪いこ

とだろう。 嫁ぎ先でさんざん苦労し、最後には姑から家を追

い出されてしまう。 もし同時代の日本にいたとしたら、彼女

と焦仲卿はのびのびと野生のオシドリが遊ぶアシの茂みの中で

暮らせたはずだ。 後漢の建安年間は、日本の弥生時代の終わ

り頃で、日本の最古の歌集《万葉集》の中からは、当時の日本

の若い男女達の間で流行していた“妻訪い婚”を知ることがで

きる。 “妻訪い婚”は中国雲南の少数民族・摩梭人の“通い

婚”に似ている。 女性は同時に2人以上の“通い婚”の男を

持つことが出来、男性も同時に2人以上の女性に対して“妻訪

い婚”を行うことができた。  “妻訪い婚”という日本式の

通い婚”方式は、奈良時代までずっと続いていた。 平安時

代、海を渡った遣唐使が大唐文化を持ち帰り、日本に“婿取り

婚”が現れるようになった。 中国のいわゆる“入り婿婚”で

ある。 鎌倉時代になって、日本の女性もやっと南宋の女性達

並みに追いついて、夫の家に嫁ぐ“嫁取り婚”が次第に主流に

なっていった。

 

日本人の自然崇拝と“通い婚”の歴史は、日本人のその後の倫

理観の形成に影響を与えた。 日本式倫理観では、禁欲色は極

めて薄く、人々は情欲について寛容かつ率直な態度を持ち、自

然に発生する感情やそれに伴い発生する欲望について、敢えて

排除も節制もせず、ありのまま順応した。 例えば、宇野千代

という女性は、有名な作家であり、        着物のデザイナーで、

また日本で一番早いファッション雑誌の創設者である。 宇野

千代は明治時代の1897年に生まれ、1996年、享年98

歳で大往生を遂げた。 20歳ばかりの頃、宇野千代は従兄と

結婚した。 夫婦の仲は非常に仲むつまじかった。 結婚後ほ

どなくして、若き俊才・尾崎士郎に出会い、1目ぼれし二人は

恋の闇路に迷い込んでしまう。昨日まで愛し合っていた夫との

離婚を待ちきれず、そそくさと尾崎士郎と同居してしまう。 

 

その後、宇野千代は新聞社の招きに応じ、新聞に連載小説を書

いた。 その中にガス中毒を書いている場面があった。 当時、

有名な画家だった東郷青児が、心中未遂事件を起こし、世間の

うわさとなっていた。 宇野千代は小説の中で、愛のために自

殺する人物の内心を正確に書きたいと思い、そこで東郷青児の

家を訪問した。 初めての訪問なのに、二人は互いに意気投合

し、その日の夜、宇野千代は東郷青児の家に泊まった。 二人

は、東郷青児が自殺を図った時の血痕が残っているベッドの上

で、仲むつまじくいつまでも話しあっていた。

 

 

日本人好色”其实是中国人的误读?

2011-01-17 15:10:28   辛子IN日本 

(注:此文为《时尚旅游》杂志的一篇专题约稿。)

日本人的色与戒---色”的误读


作为一衣带水的邻居,我们给日本人的诸多标签里,随便翻翻就

能发现一个“色”字。其实这是一种误读。好色是人之本性,与

国界无关。日本人之所以令人感觉特别“好色”,是因为二个国

家的文化背景不同,而造成对于“色”的表述方法不一样。这就

好比中国菜和日本菜之不同:越高档的中国菜,厨师所用工序越

多,所用调味的佐料也多,得将茄子也做出山珍海味之鲜美,这

道菜才算得上是大功告成的绝活。而高档的日本菜,不在于厨师

加工了多少道程序,使用了多少调味品,而在于这道菜本身有多

新鲜。越新鲜的日本菜,所用工序越少,甚至几乎不使用调味品,

要的就是这道菜本来的天然味道。这种对于“美食”本身味道不

加修饰的追求,也同样体现在日本人对于“美色”的追求上,日

本人认为男欢女爱是一种自然而然的事物,天然存在,自然接受,

无需多加“调味品”进行包裹与遮掩,也因此日本人对于 “色”,

表现得赤裸而直接。

再追溯一下日本人的婚姻史,你就会发现“孔雀东南飞,五里一

徘徊”的刘兰芝是多么的倒霉,嫁到夫家做牛做马最后还被婆婆

撵回家,要搁到同时代的日本,她和焦仲卿早做了欢天喜地的野

鸳鸯芦苇荡里安营扎寨去了。东汉建安年间,是日本的弥生时代

末期,从日本最古老的诗歌集《万叶集》中,可以知道当时日本

年轻男女们兴的“妻访婚”。“妻访婚”就是类似中国云南摩梭

人的“走婚”。一个女人可以同时拥有两个以上的“走婚”男人,

而一个男人也同时可以对两个以上的女子进行“妻访”。 “妻访

婚”这种日本式的“走婚”方式,一直持续到日本的奈良?平安时

代,飘洋过海的遣唐使带回大唐文化,日本本土也开始出现“婿

取婚”,也就是我们中国俗称的“上门女婿”,一直到廉仓时代,

日本女子才赶上南宋佳人们的步伐,嫁入夫家的“嫁取婚”终于

成为主流。

日本人的自然崇尚和“走婚”历史,影响到日本人日后伦理观的

形成。在日本式伦理观中,禁欲色彩十分淡薄,人们对于情欲保

持宽容而坦率的态度,对于自然发生的情感以及随之所产生的欲

望,既不刻意地排斥也不有意节制,而是顺应自然。例如日本有

位名女人叫宇野千代,既是日本有名的作家,也是一位和服设计

师,还是日本最早的时尚杂志创办者。宇野千代出生于明治时期

1897年,直到1996年享年98岁才幸福去世。二十来岁时宇野

千代与表哥结婚,夫妻之间十分恩爱,婚后不久遇到青年才俊尾

崎士郎,一见钟情双双坠入情网,等不及跟昨天还在相爱的丈夫

离婚,便匆匆与尾崎士郎同居。后来,宇野千代应邀在报纸上写

连载小说,其中有一段要描写煤气中毒的场面,当时日本著名画

家东乡青儿,正因为殉情自杀未遂而闹得满城风雨,宇野千代想

将小说里殉情自杀的人物内心描绘得更真实生动点,于是便去拜

访东乡青儿,才第一次登门拜访,二个初次见面的人就彼此情投

意合,当天晚上宇野千代便在东乡青儿家里住下了,二个人在东

乡青儿殉情时还残留着血迹的那张床上耳鬓厮磨情意绵绵。

 

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