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2225 中国は見る(1143) 日本紀行 (9): “中山道”と“馬籠宿”

日本游”在日本:日本的“中山道”与“马笼宿”

2011-06-29 08:49:03  辛子In 日本


中国各地の地区名や大通りの名前を気をつけて見ていると、大体

どこの都市にも“中山路”とか“中山区”という場所があることに気

付くはずだ。

一般的に中国人の“中山路”とか“中山区”は、どこも国父であ

る孫中山を記念して付けられたものである。 南京の“中山陵”

は言うまでもないことである。

孫中山先生の本当の名前は“孫文”という。 “中山”の2字は、

実は日本人の姓である。

百数年前、孫文先生は革命が失敗して、海外に亡命した。 

1897年8月、イギリスのロンドンから、カナダを経由して日

の東京に到着した。 そこで、日本の義士・宮崎濤天や平山周

と知り合った。 孫文先生は日本滞在中、これらの日本の友人

ら多大な支援を受けた。

ある日、孫文先生は平山周や宮崎濤天らと犬養毅を訪問し、

夜旅館に投宿した。 旅館に泊まる時は、宿泊名簿を書かね

ばならない。 孫文先生の亡命者としての身分を伏せるため、

平山周がその時、“中山”という日本の侯爵の姓を借用して、

宿泊名簿に中山”という名前を書きこんだ。 “中山”という

姓を書き終わったところで、孫文先生は平山の手から筆を奪

い取ると、“中山”の下に“樵”という名前を書いた。 “自分は

中国からきた樵”という意味です。 その後のことは、みなさん

ご存知の通りです。 “孫中山”は“孫文”より使用頻度が多く

なりました。    そのため現在、私達のところでは“中山路”は

沢山ありますが、孫文路”という言い方はあまりありません。

 

これまでお話したことは、“孫中山”の名前の由来に関するお

話です。 もちろん孫中山先生と今日これからご紹介するこの

中山道”は無関係です。 ただ“中山”という二文字があっ

たので、つい連想してしまい、書いたまでです。

 

1:ここは“中山道”の馬籠宿です。 “中山道”は江戸時代の

五街道の一つです。 五街道とは、東海道、日光街道、奥州

街道、中山道と甲州街道のことを言います。 1604年、江戸

幕府の将軍・徳川家康が中央集権を実現するため、東京(旧

名・江戸)日本橋を起点として、168年かけて五街道をすべ

て完成させました。 そのうち、この写真で紹介する“中山道”

が完成したのは1694年です。 この五街道――日本人がい

う「五街道」の終点――それぞれの街道を通行して歩いて到

着するのが、起点の東京日本橋なのです。

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2:“馬籠宿”は、江戸時代の五街道“中山道”の一宿場です。

場所は岐阜県中津川市にあります。 今なお完全に保存されてい

るため、江戸時代の特徴が色濃く残っており、観光客達から愛さ

れると共に、ウオーキングが好きな海外の観光客をも引き寄せて

います――この昔の街道がよく保存されており、ウオーキングに

適しているだけでなく、同時に日本の風情を充分に堪能できるか

らです。

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3:この昔の街道の斜面にあるのが“馬籠宿”で、東京日本橋を

起点として中山道43番目の宿場町です。

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5:敵を防ぎ、安全を守るため、この江戸時代の街道は、地形を

有効活用し、起伏と彎曲が続き、一見して中が見通せないように

作ってあります。

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8:中山道・馬籠宿の通りには、多くの店が連なっています。 

馬籠宿は岐阜県の山岳地帯にあり、山の栗が、ここの最も人気の

あるお土産となっています。

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9:私もここの店の“炒った山栗”を食べて見ました。 味は甘

くて、街中で売っている普通の栗よりおいしかったです。 それ

で我が家の娘のために600円出して買おうと思いました。 と

ころが、この店のおじさん、どうしても私のお金を受け取りませ

ん。 子供さんへのプレゼントにして下さいいう。 彼の社長

中国人だからだという。 日本は“実の兄弟でも金の貸し借り

ははっきりする”典型的な国であり、日本に来てなる

が、こんなに親切なおじさんに出会ったのは初めて、本当に

りのことでビックリした。 感謝のため、私の方から栗おじ

さん”と一緒に写真を撮るようお願いした。

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10:この栗のお菓子全国に知られているが、ただ

しか販売されない。

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11:中山道の馬宿の道沿いには、多くの住民んでいる。 

古い日本式家屋の軒先には、初夏が思い思いに咲き、

人々に季節の移ろいや自然の趣を感じさせてくれる。

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13:道の、郵便局があった。 見たところとても風情が

ある。 地元の人に聞くと、この郵便局は毎日使っているという。 

今もこんな古い郵便局をつかっているなんて、ちょっと驚いた。 

伝統なんでしょう。

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14:道の両脇はが目に付くばかりだが、道沿いにサラサラ

れる川のと、静か魚達の姿が見えた

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15:馬籠宿の山道を上へ辿っていくと、明治時代の大文豪

崎藤村が生まれた旧居に着いた。 島崎藤村は本名を春樹といい

日本近代詩の創者で、日本の自然主義文学の先駆者である。 

長編小説《破戒》を7年かけて完成させ、当時夏目漱石など

好評を博するとともに絶賛された。 島崎藤村については

百度百科”詳しい紹介があ

http://baike.baidu.com/view/299068.htm1

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17:島崎藤村が当時、著作に没頭していたた使っていた書

斎。 聞くところによると島崎家は何度も火災に見舞われた

とがあったが、この創作に使われた書斎いつも幸いにも火災

免れたという。 本当に奇跡である

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日本游”在日本:日本的“中山道”与“马笼宿”

2011-06-29 08:49:03  辛子In 日本 

只要有心留意一下中国各地的地区名、街道名,会发现大凡是

市,都会有叫“中山路”或者“中山区”的地方。

一般认为:中国人的“中山路”或者“中山区”,都是用来纪念国

父孙中山的。南京的“中山陵”就更不用说了。

孙中山先生的真正名字叫“孙文”。而“中山”二字,其实是日本

人的一个姓。

一百多年前,孙文先生革命失败,亡命海外,于18978月从英

伦敦,途经加拿大抵达日本东京,并认识了日本义士宫崎涛

天和平山周,孙文先生流亡日本时期,得到这些日本友人的鼎

力协助。

有一天,孙文先生与平山周和宫崎淘天等几位一起去拜访犬养

毅,晚间投宿旅馆,住旅馆要登记名字的,为了不暴露孙文先生

流亡者身边,平山周便借用了当时一位名叫“中山”的日本侯爵

的姓,为孙文先生在住宿登记册上写下“中山”二字。才写完“中

山”这二个字的姓,孙文先生便抢过平山周手中的笔,在“中山”

后面加了个“樵”字,意思是说:自己是一名来自中国的山樵。后

来,结果大家都知道了:“孙中山”比“孙文”的使用频率更多更高。

也因此,现在我们拥有许多“中山路”,但很少听说“孙文路”。

上面是关于“孙中山”名字的来历。当然孙中山先生与今天要介

的这个“中山道”并没有关系,只是因为都有“中山”二字,联

起来,便顺手记录下来。

1:这便是属于“中山道”的马笼宿了。“中山道”是日本江户时代

的五大官道之一。分别有东海道、日光街道、奥州街道、中山道

甲州街道。日文中将这五大官道统称为“五街道”。1604年,江

幕府的德川家康将军,为了实现中央集权,以东京(旧称江户)

日本桥为起点,耗时168年,才终于完成五大官道的全部建设。

中,下面图片中介绍的“中山道”完成于1694年。据说:从这五

官道---即日本人所称的“五街道”的五个终点,沿道一直行走,

可以走到属于起点的东京日本桥。

2:“马笼宿”只是日本江户时代五大官道“中山道”的一部分,位

于日本中部岐阜县的中津川市。因为至今保持完好,拥有浓郁

的江户时代特色,而受到游客们的喜爱,并吸引不少喜欢运动

步行的海外游客---因为这条保持完好的古代官道,不仅适合

步行运动,还能同时感受浓郁的日本风情。

3:位于这条古道斜坡上的“马笼宿”,是以东京日本桥为起点的、

中山道上第43个休息驿站。

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5:为了御敌和安全起见,这条江户时代的官道,有效地利用地势,

修筑得绵延起伏、弯弯曲曲,让人无法一见到底。

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8:在中山道马笼宿的沿途,有不少小卖店,因为马笼宿位于岐阜

的山区,因此山栗子便成为这儿最人气的土特产。

9:俺尝了一颗这家小店里的炒山栗,味道甘甜,果然比日本街头

通的炒山栗要好吃得多,便拿出600日元,打算为我家小朋友

买一包。   但结果这家炒山栗店的大叔,居然怎么也不肯收我的

钱,说一定要送给我家小朋友,并说因为他的老板也是个中国人

的缘故。日本是个典型的“亲兄弟明算账”的国家,来日本这么多

年,还第一次遇到这么热情的大叔,真是让人有些受宠若惊哈。

为了表示感谢,俺主动提出与这位“山栗大叔”一起拍张照。

10:这一家的日式山栗点心,据说是全日本闻名的,但只在秋天

时候才出售。

11:中山道的马笼宿沿途,依旧居住着不少当地居民。陈旧的日

木质房屋门前,随意悬挂着初夏盛开的花朵,令人从居家的

温馨中,感受到一丝隐约的乡村野趣。

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13:沿途中,看到这个露天式邮局,感觉很新奇,询问当地人,居

然告诉我说这个邮局他们每天都在使用的---这可真是让俺有点

儿震----现在还使用这么古朴的邮局,这个。。。也太传统了

些吧。

14:一路沿途之中,除了满目村野绿色,便是山泉沿路两边淙淙

淌的声音,和路边不断看到的安静游泳的鱼儿们。

15:顺着马笼宿的山道往上走,还顺道拜访了诞生于日本明治时

的大文豪岛崎藤村的故居。岛崎藤村原名岛崎春树,是日本近

代诗的奠基者,也是日本自然主义文学的先驱者,其历时7年才

终于完成的经典长篇《破戒》,当年曾深得夏目漱石等人的好评

和大力推荐。关于岛崎藤村,“百度百科”有详细介绍:

http://baike.baidu.com/view/299068.htm

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17岛崎藤村当年埋头著作时所使用的书斋。据说岛崎家曾经多

遭遇大火,但这座用来写作的书屋,居然每次都幸运地免遭火

灾,实在是个奇迹。

 

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