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2158 中国は見る(1099) 日本紀行 (3) 飛騨古川で日本情緒の中 「端午の節句」を祝う (上)

 

游”在日本:去飞驒古川过一个日本风情的中国端午节(组图) 

2011-06-08 10:50:59  辛子IN日本

 

しばらくブログを休んでいた。 今朝開いて見ると、メッセージ

や書き込みが沢山届いており、“端午の節句(6月6日)どうで

したか?”といっている。

取り敢えず友達には、“端午の節句楽しかった”と返事したが、

ちょっと時期が過ぎてしまった。 でも遅れてしまったけれど、

友達に楽しみを伝えなければいけない。

 

「端午の日」の頃、岐阜の下呂温泉と飛騨古川町で日本情緒の中

「端午の節句」を過ごしてきた。 

まず初めに説明しておきます。 “飛騨”という字は中国人には

「飛弾」と誤読されやすいが、実は、飛騨の「騨」は中国語では

tuo2声)と発音し,その意味は、麒麟のように毛並みが青

みがかった黒色の駿馬のことを指します。 飛騨地方は岐阜県の

北部にあり、むかしは“飛騨の国”と呼ばれました。 その後、

明治になって岐阜の一部となりました。 

1.飛騨の古川は静かな町で、真っ先に頭に浮かんだのは、中国

の江南に戻ったような感じでした。 白と黒がはっきりした家々、

小さな橋の下を水が音を立てて流れている。 唯一違うのは、小

川の水が澄んでいて底まで見え、しかもゆうゆうと鯉が泳いでい

ることだ。

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.古川町を流れているこの川は、“瀬戸川”と呼ばれている。 

400年前に新田開墾のため引かれたということです。 最初、

瀬戸川”という名前を聞いた時、でっかい川かと思ったら、

なんと目の前の小さな“小川”で、「なんだ」とおかしくなっ

た。 フフフ、日本人は大袈裟だ、こんな小さな堀みたいなも

のを、“川”と呼んでいる。 その後、当地の説明書を見たら、

この小川は、“瀬戸屋源兵衛”と言う人が、この川を作ったの

で、記念と感謝の気持ちを込め、その名前を取って“瀬戸川”

と名付けたという、なるほど!


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3.真っ青な空に白い雲、紅紫の菖蒲、白と黒で作られた塀な

ど、なんとなく夢の中の江南に帰ったような感じがする。


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4.瀬戸川は昔は、もっと水質がよく、住民は瀬戸川の水を田

んぼに使うほか、瀬戸川の水で米をといだり、野菜を洗ったり、

ご飯を炊いたりした。 しかしその後、高度成長時代に入って

以降、瀬戸川の水質は汚染され使用できなくなってしまった。 

もとのきれいな水質にするため、1968年、古川の住民達が

お金を出し合い、瀬戸川に錦鯉を放流するようになった。 錦

鯉は日本の“国魚”とされ、昔から大きな式典の際のメニュー

に載っている。 1914年、東京で行われた博覧会で、錦鯉

が全国に名を知られるようになり、錦鯉の飼育が、鑑賞産業と

して広まり、水中の愛玩魚として錦鯉を愛する人が増え、世界

各地に輸出されるようになった。 

錦鯉の出現により、住民の間から瀬戸川の環境衛生を重視する

動きが起こり、積極的に川底を清掃するようになり、毎朝川面

に浮かんでいるゴミを拾い上げるようになった。 そうして日

が経つうちに、澄んで底まで見える川になった。 瀬戸川には

現在、およそ千匹近い鯉がいる。 古川町は山間にあり、冬の

大雪の頃はとても寒く、鯉が無事に冬を送れるように、町の人

々は、冬になると、鯉を一匹一匹掬い上げ、鯉専用の越冬池に

放し、春になり暖かく花が開く頃に、鯉を一匹一匹また瀬戸川

に戻すのだという。

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5.我が家の子どもは、古河町では大通りや路地、山道や野原

を自転車で遊べると知り、大喜びで走り回っていた――子供の

前を走っているのは、自転車のガイドさん。 親切に子供と私

達を案内してくれた。 川に沿った木陰の小道はずっと桜の木

が植えられていた。 もし桜の満開の頃、自転車でこの桜並木

を通り抜けられたら、きっとすばらしいことでしょう。

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6.以前、友達が私に、“日本の農村ってどんな風なの、写真

を見せて頂戴”とメールをくれた。 この水田風景は、古川町

を自転車で回った途中で撮ったものです。 中国の江南の農村

とまったく変らないでしょう? 少なくとも私にはそう見えま

した。


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7.自転車で古川を回っている途中、“牧成舍”という牛乳ス

タンドで休憩しました。 現地の人がこの店の牛乳は、ここの

牧場で毎日低温殺菌して出来た新鮮なもので、「めちゃ美味し

い」という。 それを聞いて、早速一本もらいたいというと、

店の人が搾りたての大きな牛乳ビンを私に寄こしてくれました。 

飲む前に、この大きさにビックリしてしまいました。

牛乳を飲み終わり、今度はこの店の“アイスクリーム”を食べ

ました。 これがまた“めちゃ美味しい”ものでした。

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8.古川町で私を感動させてくれたものは、この地域は陰暦の

「端午の節句」を祝っていたことです。 私は今までずっと、

明治維新以来、日本は脱亜入欧で、中国から日本に伝わった陰

暦は忘れられてしまったと思っていました。 まさか日本の山

の中、飛騨古川で陰暦の端午の節句のこの日、町のあちこちで、

鯉のぼりが見られるとは思いませんでした。住民の人に尋ねると、

こちらでは、鯉のぼりは陽暦の5月5日から陰暦の5月5日まで、

1ヶ月間上げているとのこと。どの家も兜の飾りも同様で、陽暦

の5月5日が過ぎたら鯉のぼりとともに片付けるのだという。 

現在、日本の多くのところは、陽暦の5月5日の端午の節句を祝

っている。 古川は昔の伝統を守っており、とても感動してしま

った。


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游”在日本:去飞驒古川过一个日本风情的中国端午节(组图) 

2011-06-08 10:50:59  辛子IN日本

好几天没有更新博客了,早晨登陆一看,许多站内短讯和留言,

大家都在说“端午节快乐”。

貌似现在再回答朋友们说“端午节快乐”已经有些晚了,不过

还是要送上迟到的祝福。

端午节这几天,去了日本岐阜县的下吕温泉,并在岐阜县飞驒

市的古川町,过了一个N日本风情的中国端午节。

这儿要事先说明一下:“飞驒”很容易被我们中国人误念成“飞

弹”,而实际上,飞驒的“驒”,在中文里念“tuo2声),

原意指的是呈麟状斑纹的青黑色骏马。飞驒地区在日本岐阜县的

北部,古时候是个小小的“飞驒国”,后来在日本明治时期并属

为岐阜县的一部分。

1:走进飞驒古川安静的小街,首先脑子里的第一印象,是感觉

仿佛回到了中国的江南:黑白分明的民居,小桥流水潺潺。唯一

不同的,是小河流水清澈见底,并且水畅游着自由自在的鲤鱼们。

2:流淌在古川町中的这条小溪一般的“河”,被当地人称为“濑

户川”,据说是在400年前为了开垦新田地而引出修成的。俺第一

次听到“濑户川”这么大的名头,再看看眼前这条“小沟”,感觉

超级不可思议,心中暗笑:哇哈哈~日本人好夸张,这么一条“沟”,

居然也有胆子称呼它为“川”?后来,看了当地的说明介绍,才知

道:原来这条小小的流水,是一位名叫“濑户屋源兵卫”的人负责

修成的,所以当地人就为其取名为“濑户川”以示纪念和感谢----

那路活多!(なるほど~)

3:安静的蓝天白云,紫蓝色的菖蒲、黑白分明的围墙,令人感觉

回到了曾经梦中的江南。

4:据说濑户川在很早很早以前,水质非常好,当地的居民们不仅

使用濑户川的水浇灌农田,也用濑户川的水淘米洗菜烧饭。但后来

随着日本在战后进入经济高度成长期,濑户川的水质遭受了严重

污染,变得无法使用。为了重新恢复原有的干净水质,1968年,

在古川的当地居民们捐助下,开始在濑户川中放生锦鲤---锦鲤被

称为日本的“国鱼”,自古只有在隆重的庆典仪式上才能见到与其

有关的菜单,1914年日本东京举办过一次博览会,那次博览会,

令锦鲤在日本全国名声大振,饲养锦鲤被作为一项娱乐事业推广普

及开来,日本出口到世界各地的锦鲤,被作为水中宠物而被热爱它

的人们所“包养”。

因为锦鲤的出现,当地居民们开始注重起濑户川的环境卫生起来,

大家开始自发地清洁河床,每天早起打捞水面漂浮的脏物,如此年

复一年,终于重新曾经清澈透明的河水。濑户川现在大约有近千条

鲤鱼,因为古川町地处日本山区,冬季大雪的时候十分寒冷,为了

帮助鲤鱼们平安过冬,当地的人们每到冬季,须将鲤鱼们一条一条

地打捞上来放入专门的越冬池,一直到春暖花开的时候,再将鲤鱼

们一条一条重新放会濑户川里去。

5:俺家小朋友听说在古川町内可以骑自行车大街小巷、山郊野外

地游览,高兴得P颠颠地~~骑在小朋友前面的是自行车的导游老

师,十分和气地为小朋友和俺们指路。这条沿着河床的绿荫小道,

是一条樱花道,如果在樱花盛开的时节来此骑车出游,穿越过一树

又一树樱花的那份感觉,想必会更美更好。

6:曾经有不少朋友留言给我说:多拍些日本农村的照片来看看啊,

想知道日本农村是什么样子---下面这幅水田风景,是骑车游览古川

町的途中拍摄的,大家看看,会不会觉得其实与中国江南的农村,

其实并没有什么两样?---起码我是这么认为的。

7:自行车环绕古川游的途中,在一处名为“牧成舍”的牛奶吧稍

事休息,当地人推荐说这家店里的牛奶是当地牧场每日低温杀菌,

新鲜而成,简直就是「めちゃ美味しい」(好喝得一蹋糊涂),

俺一听,立马要了一瓶奶---结果店家拧出一巨大奶瓶递给我---奶还

没喝,俺就被这瓶巨奶给震撼得一蹋糊涂。

喝完牛奶,还吃了这家店里的“冰淇淋包”,味道的确めちゃ好吃

得很震撼耶~

8:古川町最令俺感动的,是这地方居然还在过阴历的端午节---

一直以为从明治维新开始,日本人脱亚入欧,已经完全遗忘了从

中国传入日本的阴历了,没想到来到日本山区的飞驒古川,却发

现在阴历端午节的这天,这儿的大街小巷,到处都悬挂着日本端

午节的鲤鱼旗。询问当地居民,告诉说这儿从阳历55日,一直

到阴历55日,端午节的鲤鱼旗要悬挂一个月才取下来,摆放在

各家各户的端午节甲胄装饰也是一样。现在日本绝大部分地区,都

只过阳历55日的端午节了,但古川依旧保持过过去的传统,令

人心中感动并且感叹。

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