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2159 中国は見る(1100) 日本紀行 (4) 飛騨古川で日本情緒の中 「端午の節句」を祝う (下)

 

游”在日本:去飞驒古川过一个日本风情的中国端午节(组图) 

2011-06-08 10:50:59  辛子IN日本

 

10.その日の夜、古川の料亭旅館“八ツ三館”(やつさん

かん)に泊まった。 “八ツ三館”は150年の歴史のある

老舗和風旅館で、日本の“登録有形文化財”に指定されてい

る。 国の文化保護に指定されていると同時に、“八ツ三館”

は旅館として今も各地からの旅行者を迎えている。 “八ツ

三館”は客室は全部で21部屋ある。 客室はそれぞれ特徴

があり、各部屋にはそれぞれ名前が付けられている。 客室

が限られており、それと特別な“文化保護財”に指定されて

いることから、“八ツ三館”は団体客は受け入れていないた

め、その情緒を求める個人客だけである。

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11.もとより、“八ツ三館”の名は全国に知られており、

150年の歴史背景があるだけでなく、日本文化や日本映画

に興味や関心のある人なら、きっと映画《ああ野麦峠》を知

っているはずだ。 《ああ野麦峠》という映画は、細井和喜

蔵が書いた《女工哀史》を映画化したものである。 《ああ

野麦峠》は、100年ほど前の飛騨地方の貧しい家の娘達が、

山を登り峠を越え働きに出た悲惨な運命を描いた映画である。 

《ああ野麦峠》の物語の内容については、次のアドレスの百

度百科で知ることが出来る。

http://baike.baidu.com/view/2323099.htm

もし、現代中国と近代日本の出稼ぎ女性の運命を知りたけれ

ば、《ああ野麦峠》という映画を見れば、“人の運命とはな

んと国を越えて同じようなこと”だろうと気付くはずだ。

150年の歴史のある日本旅館“八ツ三館”,こそ、日本の

女工哀史”の証人である。 明治―大正時代、飛騨の山間

に住んでいた女の子達が、何百何千と故郷を離れ、山を越え

信州の紡績工場の女工となった。 彼女達は最低の賃金で、

毎日13~14時間働かされ、病気しても休みが取れなかっ

た。 女工達の逃亡を防ぐため、会社は彼女達の宿舎に鍵を

かけ出られないようにした。 こうした女性達は食費を切り

詰め節約し金を貯め、毎年年末正月に帰省する時、100円

の賃金をもらい、家に帰って父母に渡し、借金の返済に充て、

なんとか暮らしが楽になった。

毎年2月の飛騨は寒い季節で、正月を過ごした女工達と新し

く募集され、初めて出稼ぎに行く女の子達は、この“八ツ三

館”の前に集合した。 彼女達の中には、まだ12,3歳の

女の子もいた。 

お父さん、お母さん、行って来ます”

気をつけて、病気になるんじゃないぞ”

涙を流しながら、家族と別れた後、女の子達は、“八ツ三館”

から出発し、長い列を作り山を越え、信州に向かった。

1970年代末、《女工哀史》が《ああ野麦峠》として映画

化された時、“八ツ三館”は重要な撮影場所となった。 

今も、“八ツ三館”では、毎晩8時30分から、旅館の中に

ある映写室で《ああ野麦峠》を上映している。 “八ツ三館”

は150年の歴史を有しており、100年前、多くの可愛い

女の子達が出会った過酷な運命と不幸な時代のことを、ここ

を訪れた旅人に語ってくれる。 

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12:

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13:昔の囲炉裏もあり、壁にかかっている古時計は、依然

としてチクチクと動いており、昔の音を刻んでいる。

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14:

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15夕暮れ時、旅馆の日本庭園に明かりが点る。 光の中

の木々の葉からは、自分の話を物語っているように見える。

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17お風呂に入り一日の疲れを流し、浴衣に着替えていると、

旅館の仲居さんが懐石料理を運んできてくれた。

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18日本の旅館の夕飯のメニューは豪華です。 でも、ここ

ではまずこの写真をお見せします。 ほかのは追って紹介しま

す。 というのもこの虹鱒の塩焼きの出し方を見てください。 

これが食卓に置かれたのを見て、“あっ、塩焼きの魚だ”と

知った時、あまりの美しさに、とても驚いてしまいました。

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19:日本端午の節句ではチマキを食べる習慣はないようで

すが、“八ツ三館”では仲居さんが布団を敷きにきた時、親

切にもチマキを二つ持ってきてくれました。 そこには一緒に

和紙に女将さんの手書きのメッセージが添えられていて、“お

休みの前に、わずかですが夜食としてお召し上がりください”

と書かれてあった。 チマキはほんのわずかだったが、とても

旅館の人の暖かさを感じた。


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20:。“八ツ三館”は客室が全部で21室ある。 それぞれ

部屋は特徴があり、部屋にはそれぞれ名前が付けられていた。 

私たちが泊まった部屋は“如月”(きさらぎ)という名前だっ

た。

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21:“八ツ三館”の朝食は、自家製味噌汁と当地特産の“朴

葉焼き味噌”、焼き鱼、自家製豆腐などだった。

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游”在日本:去飞驒古川过一个日本风情的中国

端午节(组图) 

2011-06-08 10:50:59  辛子IN日本


10:当天晚上居住在古川的料亭旅馆“八ツ三館”。

八ツ三館” 拥有150年历史日式旅馆,是日本政

府认定的“日本国有形文化保护财”---在作为国家的

文化保护财产被保护起来的同时,“八ツ三館”也作

为旅馆一直接待来自各地的游客们。“八ツ三館”一

共只有21间客房,分别按客房各自的个性,取有不同

的名字。因为房间数量的限制以及特殊的“文化保护

财”身份,“八ツ三館”不接待团队客人,而只接待

领略其风情的散客。

11:当然,让“八ツ三館”闻名遐迩的,还不只它150

年之久的历史背景。对日本文化或者日本电影感兴趣或

有研究的人,一定都知道上世纪日本的一部著名电影

《啊野麦岭》。《啊野麦岭》这部电影改编于日本作家

細井和喜蔵所著的《女工哀史》。《啊野麦岭》是一部

揭露现实的电影,描述了一百多年前,飞驒地区穷人家

的女儿们,翻山越岭外出打工的悲怆命运。关于《啊野

麦岭》的故事简介,下面地址的百度百科可以看到:

http://baike.baidu.com/view/2323099.htm

如果想了解现代中国和近代日本外出打工的女孩子们的

人生命运,可以看看《啊野麦岭》这部电影,会发现:

人的命运,原来也是可以超越国界地如此惊人相似!

拥有150年历史的日本旅馆“八ツ三館”,便是日本近代

女工哀史”的见证。从日本明治---大正时代,居住在飞

驒山区的日本乡下女孩子们,成百成千地离乡背井,翻

山越岭前往信州的纺织工厂做女工,她们拿最低的工资,

每天工作13-14小时,生病不能请假,为了防止女工们

逃跑,老板会在她们居住的宿舍上锁......,这些女孩子省

吃俭用,每年年底回家过年的时候,可以拿到100日元

的工资,回家交给父母,好帮助父母亲还债,让家中拮

据的日子稍微好过一点。

每年二月飞驒最为寒冷的季节,回家过年的女工们,以

及新招募的即将第一次踏上打工之路的女孩子们,都会

在“八ツ三館”旅馆的大门前集合,她们中间,年幼的甚

至只有123岁。

爸、妈,我走了”

好好的,千万别生病啊”

流着泪与家人道别之后,外出打工的女孩子们从“八ツ

三館”出发,浩浩荡荡地列队翻山越岭去往信州......

上世纪70年代末,《女工哀史》被改编为电影《啊野

麦岭》时,“八ツ三館”成为重要的摄影地之一。至今,

八ツ三館”每晚830分,都会在旅馆内的小放映厅内

上演《啊野麦岭》。“八ツ三館”内那拥有150年历史的

灯光,丝丝缕缕,仿佛都在告诉来这儿的旅人们,百多

年前,许许多多可爱的女孩子们,她们曾经所遭遇的坎

坷命运,所经历的一个时代的不幸。

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13:曾经的篝火还在,墙上的那面古老的钟,也依旧

在嘀嗒地走个不停,而生命,却已经在不断的轮回之

中了。

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15:黄昏后,旅馆的日式庭院里点亮起灯火,火光中,

仿佛每一片树叶,都在默默思索自己的故事。

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17:沐浴更衣,洗去一天的疲劳之后,旅馆的女将送来

和风怀石料理。

18:日式旅馆的晚餐菜单,都是十分丰盛。不过,这儿

先贴一张照片,其他以后再介绍。因为这二条刚刚烤熟

的虹鱒被如此别具一格地送上我们的餐桌时,俺实实在

在给狠狠地“惊艳”了一下:俺第一次知道,原来一条烤

鱼的姿态,也可以如此“被婀娜”~

19:日本的端午节貌似并没有吃粽子的习惯,但是在

八ツ三館”,女将们帮忙铺好夜床之后,还很体贴地

送上了两个粽叶包饭,旁边的和纸上,是女将手写的

一封亲笔短信,说:一份小小的夜宵,如果睡觉前想

要宵夜的话,就请您慢慢享用吧。 虽然粽叶饭每份

只是一小口,但是这一小口的温暖,却很入人心。

20:。“八ツ三館”一共只有21间客房,分别按客房

各自的个性,取有不同的名字。俺们居住的这间叫

如月”

21:“八ツ三館”的日式早餐:当地的手工味噌汤,还

有当地特产“朴叶烤味噌”、烤鱼、手工豆腐等

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