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2129 中国は見る(1083) 瀬戸内寂聴訪問記 (下)

瀬戸内寂聴訪問記:中国はとても君子の国です

拜访濑户内寂听:中国是个十分绅士的国家

2011-06-20 09:33:52   辛子IN日本

聴さんの若い頃、学者の夫が、政府から北京留学生として

派遣され、の後、北京師範大学、北京大学などの学校で教

を務めたという 主に中国の古典音楽研究、書斎の中は、

壁の下から屋根まで本がいっぱい積み重ねられていた。 

北京での2ヶ月の生活は、若い晴美(“寂”)夫の幸せで

安定した日々だった。 結婚の翌年、北京で娘・理子さんを生ん

だ。  聴さんは、随筆の中で北京でのその頃の思い出

こう書いている。

家の中で、私は模範的な主婦でした 少ない家計をやりくりし

大病の夫の面倒を見、夫の仕事のに従い、育児、夫の友達

との付き合い、料理と、れをとっても、私の成績は平均点以

した。 学生時代優等生の私は、たとえ専業主婦といえども、

同様優等生の成績をとらないとイヤだったです

、日本軍は山西・察哈尓・河北などの抗日根拠地に頻繁に

掃討作戦を行っていました。 無数中国人が、そのため路頭

に迷い、ひどい生活を送っていました。 初めとなり、母と

った晴美(寂)さん、北京の新しい家、自分なりの

ちゃんとした家庭生活”を作ろうとしていた。 聴さんは、

それからことを本の中にこう書いている。 

うして、私は北京で自分の「ちゃんとした家庭生活作り始

、とても幸せだった 家庭の外では、日本中国に対する

侵略戦争をっている時でした 私達が住んでいる場所も

占領し土地でしたが、その時の私、自分の家庭の暮らし」

が、な国際罪の上に築かれていることなどまるで考えも

しませんでした

1945年、日本は投降し、敗戦を宣言しました。 中国にいる

すべての日本人一組また一組と日本へ送還されていきま

した。 中国の古典音楽を専門に研究し、中国文化を熱愛し

ていた晴美(寂)の夫、一生中国に根を下ろしたいと思い、

自分が死んだら遺骨さえ中国土地埋葬したいと思って

ました。 しかし日本人であるからには当時の中国彼らの

身を落ち着けるありませんでした。

1946年、晴美は幼い娘を連れ、夫と共に、最後の送還船に

り、日本の郷里徳島に戻ることになりました

聴さんは、私に彼女の若い頃の中国の当時の思い出を、

感慨深げに話されました。 “当時、中国人は私達日本人を

皆殺しにできました。 私たちもその時きっと死じゃない

かと思ってました。 でも、中国の軍人はそうしませんでした。 

私達を日本へ帰してくれたのです

中国はとても君子のです---聴さんはわれた

5:初めて寂聴さんのお宅を訪問するので、子供を連れて

かった。 でも携帯の中にある子供の写真を寂

さんにお見せした。 聴さんはそれを見て、とても喜び、

「あら~とっても可愛い子ですね!」と言った。

また旦那さんの写真は?せて!」と言った。

私は「ないです。イケメンじゃないだからね」と答えた。

ほほほ~~と寂聴さんは私の答を聞くと、大笑いした。 

だって、聴さんは、ほとんどあらゆるところで公然と

言っています。 “剃髪して尼になっても、やはりハンサ

ムな男が好きでんなあ!”って。

Photo別れ時、寂聴さんは、手作りのミニ地蔵

を取り出し、自分で包んでくれ、子供にあげて、

れ寂聴から子供さんへのプレゼントと言った。 

寂聴さんは更に、“次回また寂庵に子供さんいっしょにいら

っしゃい。 歓迎しますと言われた



Photo_26:寂庵の紙、上寂聴さんの自画像

と直筆サイン”の2文字、非常に特色

があ

Photo_37寂聴さんの署名入りの新本

THE寂聴”の雑誌を頂戴した

 

8:私は寂聴さんに、“この中国へ一時帰国します。 

中国でお好きなものございますか”と尋ねた。

寂聴さんはちょっと考えてから、私の肩をポンとたたいて、

愉快そうに言った。 茶! お茶! 私は中国のお茶が

好きなの!”

Photo_4ほほ~~私は寂聴さんような性格が本当

好きだ。  彼女は他の日本人のよう

わざと遠慮して頭を振りながら、いえ、いえ、

お気遣いなく。 あなたに面倒かけることになりますから 

という。   それよりか、 茶! お茶! 私は中国の

お茶が好きなの!” という、このようなあけっぴろげな

性格の人、日本本当に少ないです。 またのことを

自慢すれば、私このような遠慮しない性格です。 

ですから、聴さんのよう率直な、本当に私の

好みにピッタリです。  大、大、大好きです。

今回の東日本大震で、寂聴さんは寂庵で慈善活動を

行い義援金500万円を集め、寂聴さん個人も1000万円

寄付することで、寂庵は東本大震域に1500万

寄付しました。 寂聴さんは、この寄付を自分の手で

岩手県戸市の小保内敏幸市長に手渡しまし。 

寂聴さんは、“の東日本大では、たくさんのかわ

いい子供達が孤児になりました。 ですからこの寄付金を

これらの子供の教育使ってください” と述べた。 

なぜかというと、寂聴さんは、“国家の前途、教育が決定

する。 子供は未来の望です。 教育が国家の命運を

決定します”と考えている。

89歳から90になろうとしている寂聴さんは、考えが

しっかりしているだけでなく、足どりも軽やかです。 

を歩くのも小走りで、飛ぶように歩きます~~まったく敬服、

敬慕の至りです。 寂聴さんがいつまでものように元気

いっぱいで、更に多く良い本を書かれますよう心から

願っています

拜访濑户内寂听:中国是个十分绅士的国家

2011-06-20 09:33:52   辛子IN日本

寂听先生年轻时的学者丈夫,是一位由日本政府公派到中国北京的留学生,后来留任在北京师范大学、北京大学等学府任教。主要从事中国古典音乐研究,书房里从墙根到屋顶全都堆满了书。在北京生活的二年零八个月,年轻时的晴美(即“寂听”),与丈夫的小日子过得平稳幸福。并于婚后第二年,在北京生下女儿理子。寂听先生曾经在随笔中回忆起在北京的那段生活,这样写道:

在家庭的里,我是家里的模范主妇。妥善安排微薄的家计、照顾大病的丈夫、顺应丈夫的工作变动、育儿、与丈夫的朋友们打交道、学料理,无论是哪一方面,我的成绩都在平均线之上。作为学生时代优等生的我,即使处于家庭主妇的位置,如果不能拿到同样优等生的成绩心里就会感到不安。”

当时侵华日军正频繁向晋察冀等各抗日根据地进行不同规模的“扫荡”,无数中国人因此流离失所,过着非人的生活。而初为人妻初为人母的晴美(寂听),却正在北京的新家里,努力经营着属于自己的“正常的家庭生活”。为此,寂听先生后来在书中这样回忆到:“就这样我在北京开始经营起自己的‘正常的家庭生活’,感觉非常幸福。家庭之外,是日本对中国的侵略战进行时。虽然就连我们所居住的地方也是占领过来的土地,可是当时的我,完全没有考虑到自己的‘家庭生活’,居然是建立在巨大的国际罪恶之上的。”

1945年,日本宣布战败投降,所有在华的日本人,都一批接一批地被遣送回国。专门研究中国古典音乐、酷爱中国文化的晴美(寂听)的丈夫,虽然很想一辈子扎根中国,甚至想在自己死后连遗骨也埋葬在中国的土地,但作为日本人,当时的中国已经没有他们的容身之地。

1946年,晴美领着年幼的女儿,跟随丈夫一起,搭乘最后一班遣送船,被遣送回日本的家乡德岛。

寂听先生对我回忆起她年轻时在中国的那段岁月,无限感概地说:当时,中国人完全可以将我们这些日本人都杀掉,我们自己也以为那时候一定都死定了~~,但是中国的军人没有这么做,而是将我们遣送回国。

中国是个非常绅士的国家---寂听先生说。

5:第一次去拜访寂听先生,没有带MII小朋友一起去。不过将手机里MII的照片拿给了寂听先生看,寂听先生看了,很高兴地说:「あら~とっても可愛い子ですね!」“啊拉!好可爱的小孩子!”。

又问:「旦那さんの写真は?見せて!」“你家先生的照片呢?也拿来看看?”

我说:「ないです。イケメンじゃないだからね」“没有啊。因为也不是什么帅哥。”

呵呵~寂听先生听完我的回答,大笑。因为寂听先生在几乎所有的公共场合,都公开说过:虽然削发为尼,但是依旧很喜欢帅哥噢!

临告别时,寂听先生拿出俩个手工的迷你土地菩萨,亲手包好,要我带给MII小朋友,说这是寂听送给MII的礼物。寂听先生还说,下次再去寂庵,欢迎带上MII小朋友一起去。

6:寂庵的纸口袋,上面是寂听先生的自画像和亲笔签名“寂听”二字,十分有特色。

7:获得寂听先生亲自签名的新书,以及寂听先生赠送的“THE寂听”杂志。

8:我对寂听先生说:夏天我会回中国,中国有什么您喜欢的东西吗?

寂听先生想了想,然后拍了拍我的肩,快活地说:“茶叶啊!茶叶!我特别喜欢中国茶!”

呵呵~我发现我真是非常非常喜欢这位寂听先生的性格阿,她不会像其他日本人一样,故作客气地摇头说:

不用不用,别客气,那样太给你添麻烦了。”

而是说“茶叶啊!茶叶!我特别喜欢中国茶!”。这样性格直爽的人,在日本真是难以遇到---另外:夸我自己一下:俺也是这种不讲客气的性格啊~所以,寂听先生的这种直爽,真是N对俺的胃口。太太太喜欢喜欢了~

这次东日本大地震,寂听先生在寂庵举办义卖活动,筹集了义卖金500万日元,再加上寂听先生个人捐款1000万日元,寂庵一共为东日本灾区捐款了1500万日元。寂听先生将这笔捐款亲手交给了东日本岩手县二户市的市长小保内敏幸。寂听先生说:这次东日本大灾,有许多可爱的孩子成为孤儿,所以她希望这笔捐款使用在这些孩子的教育上。因为寂听先生认为:一个国家的前途,由教育来决定,孩子是未来的希望,教育决定一个国家的命运。

89岁进90岁的寂听先生,不仅思路敏捷,还脚步轻盈,走起路来都是一路小跑,飞奔型的那种~~敬佩敬仰中。祝愿寂听先生总这么精神饱满,写更多好书。

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