« 2110 中国は見る(1069) 福島:「水産物や米がとれる肥沃な土地」が“原子炉の墓場”となる (上) | Main | 2112 「有縁ネット」休載のお知らせ »

2111 中国は見る(1070) 福島:「水産物や米がとれる肥沃な土地」が“原子炉の墓場”となる (下)

 

鱼米之乡成“核坟墓”

20110612 04:13 来源:广州日报 

福島の吾妻体育館避難所を訪問 の被災者の嘆き――

家なし 仕事なしで 日ごとにやる気がなくなる

避難所 三世居 10平米足らずにギュウギュウ詰め

Photo大雨の後の福島大通り非常に静かだった。 中では数置きに、忙しげに歩くを見かけた。 記者が、6日午後頃、福島市郊外にある吾妻体育館に到着した時、もう真っ暗になっていた この体育館は現在福島県の最大の被災者の臨時避難所となっている 521日午後、中国の温家宝国務院総理わざわざここまで被災者を見舞にきたことがある。

ダンボールでそれぞれ“家”を分割する

1バスケット・コートの上をダンボールでそれぞれの“家”を分割している。 どの家庭の“家”も大体6,7平米ぐらいあった 現場はとても静かだった。たまに子供達遊ぶ笑い声が聞こえなければ、ここに800あまりの人が住んでいる臨時避難所とは想像できないくらいだ 一軒ごとに場所を割り当てているため、人数多い家庭の居住条件はどうしても狭くなってしまった 三世代が居していても、10平米もない床に住んでいるという状況があちこちで見られ

50所は狭いけれども、しかし避難所は実に秩序があり、被災者達の恨み言を耳にすることはあまりなかった。 体育館内の2つのトイレ臨時浴室改造され、2つの大きいテントが、みんなの更衣室になっている。 夕、みんな並んシャワーを浴びに行った。 避難所の大広間には、全世界の慈善組織日本の企業から寄贈されたサイズバラバラな衣があり、被災者は受付で手続きすれば、服を受け取って家に持ち帰ることができ

被災者の松本さんはいつ戻れるのでしょう

4今年50歳を越した松本恵子さんはこの避難所でもう3ヶ月暮らしている。 松本さんの家は福島原発の20キロ圏内の海辺近くにっていました。 彼女と夫は、地震前、で雑貨を経営していました。 津波た時、夫婦で、ちょうど外で仕入作業をしていて災難を逃れることができました。 しかし家は津波に飲みこまれてしまいました。 今、一家4人は失業保険金生活しています

5松本さんは、今のところ、ここにいるので、1日3度の食事問題ないんですが、最大の問題は仕事の問題と子供の登校問題ですと言う。 ヶ月ずっと働いていません。 お金がどんどん減っていきます。 この避難場所は、市街まで15キロもあり、子供の通学問題が悩みです。 、娘は毎日起きて学校へ行ってますがとても大変です” でも、松本さんが一番心配しているのは自分のにいつ戻れるかということである。 “私はほとんど毎日福島原発問題が、いつ解決できるか尋ねているんですが、のところ私に答えてくれるいません。 いつまでもずっとこの失業保険金に頼って生活するわけにはいきません 松本さん家がない、仕事がないということでやる気がなくなりそうです”と気落ちしている。

心配 : 故はこのまま原子炉の廃墟となってしまうのか?

避難所に住んでいるのは、故が被災した住人以外にも、福島原発の周囲20キロ圏外の住民でも、もし不感じ自主避難を申請すれば、ここで政府の援助が受けられる 福島県南相馬市に住んでいる伊佐井真希さんは今年38歳、彼女の家は今回の津波で被害は受けなかったが、息子が歳なので、真希さんは子供を連れてこの福島最大の避難所避難し

真希さんは、避難所の生活は本当に味気ないという。 毎朝6時30分に電灯がつけられ、10時30分に消灯。 今のところ毎日やってることは床に横たわって小説を読むことだ。 の事件を通じて、彼女政府を信頼できなくなったし、東京電力という無責任企業信用していない 自分の家は今災害の中れなかったけれど、実際は巻き添えにあってしまった。 地震後彼女は家に戻って見たことはない。 放射能が心配だからだ。 もし、放射能問題ぐずぐず解決が遅れるなら、東京電力糾弾デモに参加するつもりだという

臨時避難所の秩序維持責任者の福島県都市公園緑化協会総務課長の渡辺晃氏は記者に対して、“吾妻体育館は福島県最大の被災者の避難場所です。 ここ580ほどの被災者んでいます。 そのうち津波を流されたのは6人だけ、その他はすべて福島の原発放射能ためここへ避難しています”と説明してくれた。

6渡辺氏は地震発生後の数、避難所の人々毎晩ろうそくをつけ度の食事はみなパンでした。 現在、何とかある程度改善されました。被災者達は朝と昼にパンを食べる以外、夜たまに肉と野菜が食べられるようになりました い間、野菜と肉食がなかったものですから、多くの被災者は政府提供のこれらの食に対して関心をもっていただけませんが、このようにするしかできないんです”と苦衷を語った

7話し合いの中で、多の被災者が口を揃えて言っていた最大の心配は、“いつになったら故郷に戻ることができか? 自分の郷は原子炉の廃墟になってしまうのではないだろうか?いうことだった。

渡辺氏は避難所最も不足しているのは人手です。 この避難所の業員は全部で10人ぐらいです。 毎週ボランティアが2回来るだけです” “多くの人はいろいろ不安に思っています。 避難所は一体いつまでやっているのか、誰もわかりません。 でも聞くところでは、8月に政府が建てた新しいに引っ越すことができるということですと語った。

福島の原発運動
電を追い出すまで
災者は絶対に後に引かないぞ

福島の原発騒動で、東京電力の施設・福島原発は福島県で悪名を流している。 同地の被災者の間から的に反原発運動が高まりを見せている

本紙記者福島到着当日、住民がワゴンのスピーカー街頭で、“福島県の住民は団結して福島県庁に請願しよう、東京電力を福島から追い出そう”と“呼びかけ”ていた。 “東京電力を福島から追い払う。 私達の肥沃な畑は、なんと情けなくも場となってしまった。 今後、このために故郷を失う人がどれだけ出るかわからない。 東京電力は永に福島県から出てゆくべきです。 それまで私達はこの運動をやめません 被災者達はスピーカーでこう訴えていた

多くの被災者が、また東京電力本社前で抗議を行った。 東京電力関連責任者によると原発事故の発生後、多く被災者が何回も本社で抗議デモを行ったという。 

記者東京電力本社に取材しようとしたが、東電の入り口は厳重に警備されていた

6月2日、福島県と近隣4県のJAグループで作る協議会は、福島原子力発電所事故を起こした東京電力に対し、総額100億円に達する損害賠償を請求した。 その中、群馬県JAは、21日~日の間、同野菜出荷制限で受けた経済損失の補償として、東京電力に16億円の賠償請求 栃木県JAも、福島の原発事故で栃木県の農産物が風評被害を受けたとして、東京電力に13億円賠償請求した。 福島県JAは8千万賠償請求した。 茨城県JAと千葉県JAの賠償請求額はそれぞれ65億円と3億円だった


探访福岛吾妻体育馆避难所 多数灾民感叹——

没家没工作 日子很麻木

蜗居 三世同堂挤不足10m2地板

暴雨后的福岛,街道上分外平静。在大街上每隔几分钟才能见到一名路人,也是行色匆匆。记者61日下午6时许到达位于福岛市郊区的吾妻体育馆时,天已漆黑。这所体育馆是当前福岛县最大的一个灾民临时避难所。521日下午,中国国务院总理温家宝曾专程到这里探望灾民。

纸箱分割出一个个“家”

纸箱在篮球场上分割出一个个“家”,每个家庭的“房屋”约有六七平方米左右。现场很安静,除了偶尔传来孩童们玩耍的嬉笑声,你很难想象这是一个800多人居住的临时避难所。由于是按户分配住所,一些人数较多的家庭居住条件难免局促。三世同堂居住在不到10平方米的地板上的情形随处可见。

尽管住所局促,但避难所却出奇的有序,很少听到灾民们的抱怨。体育馆内的两个卫生间如今被改造成了临时的淋浴室,两个大帐篷则成为大家的更衣室。晚饭过后,大家排着队到冲凉房冲凉。在避难所大厅,还有来自全世界的慈善组织和日本本地企业捐赠的型号不一的衣服,灾民只需要到前台登记一下,便可以将衣服领回家。

灾民松本:家园何时恢复?

今年50多岁的松本惠子一家已经在这个避难所住了3个月。松本说,他们的家原本就建在距离福岛核电站20公里以内的海边,她和丈夫之前在海边经营着一个杂货店。海啸到来时,夫妻俩刚好在外面进货,这才躲过一劫。但家中的房屋却被大海无情地吞噬。如今,一家四口只能靠领取救济金和失业保险金生活。

松本说,如今居住在这里一日三餐尚没有问题,但最大的问题是工作问题和小孩上学问题。“3个月来我一直没有工作,可以说是坐吃山空。这个避难点离市区有15公里,小孩上学很成问题。如今,女儿每天6时就要起床上学,非常辛苦。”但松本最担心的还是自己的家园何时能够恢复。“我几乎天天都要打听福岛核泄漏问题什么时候能解决,但到现在没有人能给我答案。我不能一直这样靠失业保险金生活。”松本失望地说:“我对这种没家没工作的日子已经感到麻木了。” 

忧心 家园会不会从此成核废墟?

居住在避难所的除了家园受损的住户外,福岛核电站周围20公里外的居民如果觉得不安全,也可以申请自主避难,到这里接受政府救助。家住在福岛县南相马市的伊在井真希今年38岁,她家并未在此次海啸中被毁,但由于儿子只有两岁,真希带着小孩到这个福岛县最大的避难所临时避难。

真希表示,避难所的生活实在有些乏味,每天早上630分开灯,晚上1030分熄灯。如今每天唯一可做的事情就是躺在地板上看小说。通过这次事件,已经让她对政府变得不信任,对东京电力这样不负责任的企业也更是不敢信任了。尽管自己的房子在这次事故中没被毁,但实际上已被殃及。地震后她从来没回家看过,因为担心被核辐射。如果核辐射问题迟迟得不到解决,她将加入声讨东京电力的行列中。

负责该临时避难所秩序维护的福岛县都市公园绿化协会总务课长渡边晃告诉记者,吾妻体育馆是福岛县最大的一个灾民避难点。如今这里居住着580多名灾民。其中只有6人是因为在海啸中家被冲毁,其他都是因为受福岛核辐射威胁不得不到这里避难的。

他感慨地说,地震发生后的几天,避难所的人们每天晚上要点蜡烛,一日三餐都啃面包。现在条件总算有所改善,灾民们除了早上和中午吃面包外,晚上偶尔还能吃上肉和蔬菜。由于长期缺乏蔬菜和肉食,很多灾民已对政府提供的这些食物失去兴趣,但也只能如此。

言谈中,多数灾民几乎异口同声地表示,最大担忧是:何时才能重返家园?自己的家园会不会从此成为一片核废墟?

渡边晃说,现在避难所最缺的就是人手。现在该避难所的工作人员总共只有10名左右,每周志愿者只能来两次。“很多人已经变得焦虑不安。避难所究竟能开到什么时候,谁也不知道。不过听说8月份就可以搬到政府新盖的房子了。”渡边说。

不将东电赶出

灾民誓不罢休

福岛反核浪潮:

不将东电赶出

灾民誓不罢休

经历了福岛核泄漏风波,福岛核电站的东家东京电力公司在福岛县俨然已经声名狼藉。当地灾民已自发掀起一股反核浪潮。

在本报记者到达福岛当日,便有居民开着面包车用高音喇叭在大街上“喊话”,号召福岛县居民团结起来到福岛县厅请愿,把东京电力赶出福岛。“是时候把东京电力赶出福岛了。如今我们的良田已经成了令人丧胆的坟墓,今后还不知道有多少人因此失去家园。东京电力必须永久从福岛县撤出,否则我们誓不罢休。”灾民们在高音喇叭中说。

很多灾民还亲自前往东京电力公司总部进行抗议。据东京电力公司相关负责人介绍,自从核泄漏事故发生后,已经发生多起灾民在公司门前示威抗议的事件。在记者前往东京电力公司总部采访时,东电门前也戒备森严。

62日起,福岛县以及附近另外四个县的农民和地方政府官员组成的联合委员会,向发生泄漏事故的福岛核电站运营商东京电力公司提出赔偿要求,索赔总数将高达100亿日元。其中,群马县农业合作组织称,他们将向东京电力公司索赔16亿日元,以补偿321日到48日期间该县蔬菜船运被禁造成的经济损失。栃木县农业联合委员会也表示,将向东京电力公司索赔13亿日元,称福岛核危机已经伤害了该县农产品的声誉。福岛县农业委员会也将向东电索赔4.8亿日元。茨城县和千叶县的索赔金额分别为65亿日元和3亿日元。

|

« 2110 中国は見る(1069) 福島:「水産物や米がとれる肥沃な土地」が“原子炉の墓場”となる (上) | Main | 2112 「有縁ネット」休載のお知らせ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 2110 中国は見る(1069) 福島:「水産物や米がとれる肥沃な土地」が“原子炉の墓場”となる (上) | Main | 2112 「有縁ネット」休載のお知らせ »