2094 中国の三面記事を読む(891) 80年代 中国を席巻した十人の日本人 (上)
独家盘点:80年代火遍中国的十大日本明星(图)
(2011-04-08 14:49:53) 散粉思考者 娱乐
中国の門が開かれて間もなくの1980年代改革当初、日中関係はかなりいい時期が続いた。 映画やテレビ、音楽などの方面で、中国にはひとしきり“日本ブーム”でわいた。 その当時、何人もの日本のスターが中国で話題となった。 しかし、韓国ドラマや韓国スターほどの事はなかったが、その頃の日本の映画、テレビ、音楽は当時の中国人に影響を与えた。 現在の韓風とは比べることができない。 当時の人々は、まったく違う生活様式やスターのイメージ、物質の豊かさ、女性の美しさ、愛のすばらしさ、豊かな生活を目にして、……10年もの長い“文革”の災禍から抜け出したばかりの中国社会に衝撃を与えた。 流行はまねから始まった。 日本の男女スターは、年頃の青年男女の憧れの恋人となった。 ここに、80年代、中国で人気となった十大日本スターを紹介しようと思う。 どれだけの人がそのスターたちのすばらしい思い出を呼び起こすことができるだろうか?
1.山口百恵
2.三浦友和
永遠の伝説、すばらしいゴールデン・コンビだった。 当時の中国で最も影響力を与えた日本のスターで、一番うらやましがらせたカップルだった。 この美男美女カップルが中国の人々に与えた衝撃度は言葉では形容できない。 山口百恵はその当時、日本のトップアイドルで、映画・テレビ・歌で活躍しているスターだった。 彼女のかわいい八重歯は美のシンボルになった。 彼女は私達に日本の少女の清純の美しさ、肉親への愛、愛への憧れを教えてくれた。 三浦友和は当時の日本映画の中で、中国人が見ても特別ハンサムな男だった。 今でも、現在の審美基準に基づいても、彼はハンサムであか抜けており、なん人にも換えがたいものがある。
当時の連続ドラマ「赤い疑惑」と《絶唱》は、どれだけ中国人の涙を絞りとったことか。また、若い人は登場人物の運命に、どれだけハラハラ心配し、彼らと一緒に笑い、一緒にむせび泣いたことか……
彼らは二人で映画12作品、テレビドラマ4作品、数多くの広告
に出演した。 スクリーンでの愛一筋、真心を尽くす恋人同士は、ついに実生活の夫婦となった。
74年に知り合い、80年に結婚した。 知り合ってから今年でちょうど37年になる。 愛のため、人気絶頂の山口百恵はためらうことなく引退し、トップアイドルの地位を棄て、夫を支え,子どもをしつける家庭生活に入った。 これは映画ファンにとっては大きな損失だった。 三浦友和はどの女性スターと相手役を組んでも、もうかっての輝きを再現することはできなかった。 それ以降の日本の恋人同士で、中国人の心に影響力を与えたものは、今なおあの二人をおいて他にいない。
3.高倉健
日本の映画の最初の衝撃は、“ラーヤーラー͢͢͢…ラーラーラー…͢ヤーラー͢͢”のテーマ曲で始まる、名作映画の“君よ憤怒の河を渉れ”である。 その映画で、高倉健と中野良子は、共に馬に乗り追跡の手を逃れる。 観客は中野良子が高倉健に「好きだから」というこのシーンに、きっと60年代、70年代の多くの中国人世代は、今なお記憶に蘇ってくるのではないかと思う。 この“ラーヤーラー͢͢͢”には、少しも歌詞と意味などないが、当時、中国の街中で歌われた。 この歌の知名度は、神曲《忐忑》より、ダントツに高かった。
「君よ憤怒の河を渉れ」は“文革”後、中国に入った最初の外国映画で、中国大陸で一大センセーションを巻き起こした。 高倉本人も中国大陸の人々のアイドルになった。 高倉健の冷徹さ、意志の強固さ、粘り強さと彼の背の高い体つきが、とても絶妙な組合せで、また無言の顔の表情が日本の男の剛毅さと魅力を見せていた。彼の中国に対する影響力は、外国の俳優でも匹敵できるものはい
ない。 21世紀に入って、有名な中国の張芸謀監督が、高倉健に出演を熱心に依頼し、張芸謀監督の映画“単騎、千里を走る。”が作られた。 彼の個性と外見は、その当時の多くの中国の女性を魅了した。 彼こそ本当の男、一生を託すにたる男と見られていた。高倉健は当時の女性の旦那選びの基準とされ、80年代の中国の女性達から、“男らしい男を探そう”という呼び声が盛んに上がったという。
4.中野良子
映画「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で一大センセーションを引き起こしたため、中野良子も中国で人気が出た。 映画「君よ憤怒の河を渉れ」の中の真由美のイメージを、今もって人々は忘れていない。 当時、彼女が招待に応じて中国を訪問し、飛行機から降りるや、彼女は歓迎にやって来た人々に取り囲まれた。
“人々は喜んで歌ったり躍ったり、どらをたたいたり、太鼓を鳴らしたり、まるで大統領でも歓迎しているみたいだった”という。 ホテルの従業員も“真由美”が来たと聞くや、みんな集まり、彼女のために舞踊をしたり、楽器を奏で始めた。 大通りに行くと、至る所たくさんの中国の映画ファンが、彩色旗を振り回し、大通りの両側に立って熱烈に呼びかける。 真由美! 真由美! 上海では、真由美の髪形が流行し、ひどいのになると“真由美理髪店”が出ていた。 真由美が着たサスペンダーのジャケットも、大流行、真由美シャツと呼ばれていた。 良子は日本で人気が出てきたとき、彼女はきっぱり、芸能界から姿を消し、平和大使を始める。 1998年、初めて胡錦涛に会う。 胡錦涛は一目で“真由美”とわかった。 その頃から、事業が順調だった中野はだんだん芸能界から姿を消し、日中両国の間で“平和使者”の役を演じ始める。このように20年前から文化交流に身を投じている。 特に日中文化交流の日本人として数少ないうちの一人である。
独家盘点:80年代火遍中国的十大日本明星(图)
(2011-04-08 14:49:53) 散粉思考者 娱乐
80年代改革之初,国门刚打开不久,中日关系进入了一段相当好的时期。在影视和音乐等方面,中国刮起了一阵“日风”。那时有一批日本明星火遍了中国,根本没什么韩剧和韩国明星的事儿。那时日本影视音对那一代中国人的影响,是现在韩风所无法比拟的。人们看到了完全不同的生活方式和明星形象,物质可以极大丰富,女人可以如此妖娆,爱情可以如此美妙,生活可以如此享受…震撼了当时见识还不多,刚刚从“文革”十年浩劫中走出来的国人。流行就是从模仿开始的。日本的男女明星也成了不少怀春少男少女的梦中情人。散粉思考者在这里给大家独家盘点那些80年代在中国最火的十大日本明星。这还能唤起多少人的美好回忆呢?
1.山口百惠
2.三浦友和
永远的传奇,经典的神仙眷侣。是当年日本演员在中国最有影响力,最让人羡慕的的一对儿。这对儿金童玉女给国人造成的杀伤力难以用语言形容。山口百惠那时是日本的头号玉女,影视歌三栖明星。她的小虎牙甚至成了美的标志。她给我们展现了日本少女的清醇美好、对亲情的依恋和对爱情的向往。三浦友和是当时所有日本片子中中国人见到的最英俊的日本男人。事至今日,按当今的审美标准,他英俊和潇洒也令人难以复制。
当年的电视连续剧《血疑》和《绝唱》,赚取了多少中国人眼泪。多少年轻人为剧中人物的命运牵肠挂肚,与他们一起欢笑,一起哭泣……
他们一起演了12部电影,4部电视剧,N多广告,银幕上的情深意笃,忠贞不渝的情侣终于变成生活中的夫妻。
74年相识、80年结婚,到今年整整认识37年了,为了爱情,如日中天的山口百惠毅然隐退,放弃了无人可比的偶像地位,过起了相夫教子的居家生活。这对影迷是个巨大的损失。而三浦友和无论和哪个女星搭档都无法再现当年的辉煌了。散粉思考者觉得之后的其他日本情侣搭档在中国人心中影响力至今无法超越这一对。
3.高仓健
日本电影的第一次冲击,是伴随着“啦呀啦----啦啦啦-呀啦----”的主题曲开始的,这就是赫赫有名的日本电影“追捕”。当年高仓健和中野良子,双双在马上逃脱对手的追捕,观众们听着中野良子对高仓健表露爱意的这段经典片段,想必很多60和70代的中国人都记忆犹新。这段“啦呀啦”、毫无歌词和意思,当时唱遍中国的大街小巷。散粉思考者看这歌曲的知名度比所谓神曲《忐忑》要高的不止一个数量级。
《追捕》作为“文革”后登陆中国的第一部外国电影,在中国大陆引起了巨大的轰动,高仓本人也成为中国大陆一代人的偶像。高仓健的冷峻、刚毅、顽强和他高大的身材,形成了绝佳的组合,表现中一股无法用语言描述的东方男子的刚毅和魅力。他对中国的影响力,没有任何一个外国演员可以与之媲美。到了二十一世纪,著名中国导演张艺谋,还力邀高仓健出马,和他合作了张艺谋导演的写实故事片“千里走单骑”。而他的个性和外表,迷倒了当时多少中国女人,认为他才是真正的男人,才是值得托付终身的人。高仓健成为当时女人择偶的标准,更是让80年代的中国女性们,爆发出“寻找男子汉”的呼声。
4.中野良子
也是因为电影《追捕》在中国引起巨大的轰动,中野良子火遍中国了。电影《追捕》中的真由美形象,到现在还令人念念不忘。当年她应邀来到中国访问。一下飞机,她就被前来迎接的人群所包
“人们载歌载舞、敲锣打鼓,像是在欢迎一位总统”。饭店里的工作人员一听说“真由美”要来,都凑在一起为她表演舞蹈、弹奏乐器;走到大街上,到处都有成千上万的中国影迷,他们挥舞着彩旗,站在街道两旁热烈地呼唤着:真由美!真由美!在上海,真由美发型成为时尚,甚至开出了“真由美理发店”。真由美穿的后背带松紧的夹克衫,也在中国流行,叫真由美衫。正当良子在日本当红的时候,她毅然淡出演艺圈,做起了和平大使。1998年第一次见胡锦涛,胡锦涛一眼就认出了“真由美”。从那时起,事业如日中天的中野渐渐从影视圈淡出,在中日两国间扮演起“和平使者”的角色。这样在20年前就投身文化交流,特别是中日文化交流的日本人并不多。