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櫻井良子:右翼のため旗を振り応援する

樱井良子为右翼摇旗呐喊

2010环球人物杂志

Photo_17 日本では、反中で生活している人がいる。 彼らは中国について何一つ知らないのに、反中の言論や記事を発表し、いろいろと中国のあら探しをし批判している。 櫻井良子はそのうちの一人である。 容貌抜群なため、彼女は日本で有名であり、それがため、その“毒性”も大きい。 彼女は右翼組織のメンバーではない。 しかし、反中陣営の中では、伝統的右翼分子より影響力が大きい。

尖閣諸島沖中国漁船衝突事件発生後、櫻井良子は至るところで言論、記事を発表し中国を攻撃した。 石原慎太郎が反中陣営の男性代表なら、櫻井良子は反中陣営の女性の“急先鋒”である。

悪辣な文章をまきちらす

2010年10月7日、中国漁船衝突事件発生からちょうど一ヶ月経った時、櫻井良子は自分のコラムにこう書いた。 “対日外交で鮮明に力の効力を発揮した中国は、現在、東シナ海や尖閣諸島海域で更に日本を追いつめようとしている”、“日本は国内外に向かって自国の対中原則を明確にしなければいけない。 それは日本は、中国がこのように力を使って現状を変え、事実を曲げ、日本領土・領海を奪おうとする蛮行を日本は許さないということである。 中国漁船はまた必ずやってくる。 中国はまた軍事力で資源に手を伸ばしてくる。 だから、日本は中国が尖閣諸島や東シナ海資源に手を出すのを抑えないといけない。 中国に日本の領土・領海を侵犯させないため、抑止力としてできるだけ早く尖閣諸島に軍隊を駐留させるべきだ”

2010年10月14日と16日の2日間、櫻井良子は連続して文章を発表し、“日本は中国に対し強硬政策を取るべきだ”とぶち上げた。 

これは櫻井良子が初めて発表した文章ではない。

2007年福田康夫氏が首相に就任した時、櫻井良子はすぐに有名な右翼雑誌《SAPIO》に記事を載せ、福田氏が親中派だとして、厳しい言葉で批判した。 記事の中で、福田政権の誕生は日本国の利益を損なう外交の始まりを意味すると書いた櫻井良子はまた、《異形の大国中国―彼らに心を許してはならない》という本を書いた。 彼女は前書きに、“隣り合っている国、中国の存在は、神が日本に与えた永遠の苦しみである”と書いた。 彼女は、いくつかの公開の場所で、“中国は日本との友好などまったく考えていない。 このような国と友好しようと考えることは「卑屈な行為」である”と語った。

2007年12月、櫻井良子は国基本問題研究所の初代理事長に就任した。 専用のホームページを作り、そこにコラムを載せた。 また彼女は、自分の知名度を利用して、いくつかの雑誌に中国批判記事を書いた。 櫻井良子はこれまで、《週刊新潮》に約430編のコラムを書いているが、そのほとんどが中国批判だった。

櫻井良子の反中言論はあくどいものだが、内容はからっぽで中身のないものばかりである、 日本の社会をある程度理解されている人ならわかると思うが、日本の右翼の反中言論には盲点がある。 彼らは自分の意見に固執し、中国政府の対日政策を理解しようとせず、更に中国が経済的に急速に発展していること、平和の理念が深く人々の心に浸透していることをわかろうとしないのである。 だから、櫻井良子などの右翼分子の中国批判は、すべて事実でないばかりか、根拠もなく、信頼度はきわめて低いものである。

誰もが知っている司会者

櫻井良子は、1945年10月ベトナムで生まれた。 彼女の両親はベトナムで働く日本人だった。 誕生後、間もなく、櫻井良子は両親に従い日本に戻り、大分県中津市に落ち着いた。 中学時代、櫻井良子はまた一家揃って、新潟県に引越し、長岡市立東中学校に通った。 高校卒業後、櫻井良子は有名な慶応義塾大学文学部に入った。

櫻井良子は遠い田舎から、大都会の大学に入り、そこで成績抜群だった。 しかし、予想外なことが起こった。 彼女は大学を突然退学し、米国のハワイへ留学した。 ハワイ大学マノア分校で、櫻井良子は奨学金とアルバイトの報酬で授業料と生活費を支払い、学業を無事終了した。 卒業後、彼女は米国の新聞社でアルバイトをした。 文章がうまかったので、彼女は東京支社の記者に採用された。

1980年、美貌で、筆も立つ櫻井良子は、日本テレビの看板報道番組のニュースキャスターとなった。 それから16年間、彼女はほとんど毎晩ゴールデンタイムのテレビの画面に登場し、日本の津々浦々に知れ渡る人物となった。

歪曲された歴史観

櫻井良子はテレビのニュースキャスターを担当していた間も、右翼保守的、事実をる“能”を発揮していた。 1996年、彼女が書いた文章《エイズ犯罪 血友病患者の悲劇》により、名誉毀損で医師から訴えられた。 裁判の中で、原告弁護団は櫻井良子の取材方法は捏造に近いと訴えた。 櫻井良子はそのためテレビ局を離れ、右翼作家となった。 彼女のこのような捏造方法は、中国攻撃、批判に用いられるようになった。

1996年10月3日、櫻井良子は横浜市教育委員会主催の教職員研修講演で、日本の侵略軍の犯罪を公然と否定した。 彼女は、戦争中、日本軍は女性を前線に強制連行したことはなかった。 慰安婦事件はただのビジネスだと発言した。

2007年6月14日、櫻井良子が所属していた「歴史事実委員会は米国《ワシントン・ポスト》紙に、《慰安婦の事実》(THE FACTS)と題する全面広告を掲載した。広告は5項目のいわゆる“事実”を掲げ、“歴史の資料には女性が日本軍から売春を強制された事実はない”とか、“第二次世界戦争中、日本軍がアジアの女性を「慰安婦」とした事実は存在しなかった”と繰り返し強調していた。 同年、彼女は《南京の真実》という映画のサイン会に参加した。 この映画は南京大虐殺を否定するものだった。 櫻井良子はまた、張作霖の爆死は日本軍がやったものではなく、コミンテルンの仕業だと公言していた。 小泉が政権を握っていた時、櫻井良子は小泉内閣を支持し、小泉の中国に対する円借款停止を高く評価していた。

実は、櫻井良子の反中には、彼女と中国との間にはなんの個人的な恨みはなく、ただ日本の伝統的右翼の影響を受け、歪曲した歴史観が形成されただけである。 幸い大多数の日本人は、この「美人作家」の反中言論には、なんの興味も持っていない。 彼女は、テレビ番組にも滅多に登場する機会がない。

樱井良子为右翼摇旗呐喊

2010110110:35 环球人物杂志

《环球人物》杂志驻日本特约记者 孙秀萍

在日本,有些人是靠反华为生的。他们对中国可能一无所知,但总是发表反华言论和文章,百般挑剔、指责中国。樱井良子就是其中之一。由于容貌出众,她在日本很有名气,这让她所发挥的“毒性”更大。她并不是右翼组织的成员,但在反华阵营中,她比传统右翼分子的影响力更强。

钓鱼岛撞船事件发生后,樱井良子到处发表言论和文章攻击中国。如果说石原慎太郎是反华阵营的男性代表,那么樱井良子就是反华阵营的女性“先锋”。

言辞恶毒的吹鼓手

2010107日,在撞船事件发生整一个月的时候,樱井良子在自己的专栏中写道:“在对日外交中鲜明地感受到了力量效用的中国,现在在东海以及尖阁列岛海域正进一步压迫日本。”“日本应该向国内外明确自己的对中原则,那就是日本不会容忍中国这种用力量改变现状,歪曲事实,想要夺取日本领土领海的蛮行。中国的渔船一定会再来。中国还会凭借军事力量把手伸向资源。正因为这样,日本必须抑制中国插手尖阁列岛以及东海资源。为了不让中国产生侵略日本领土领海之意,作为抑制力应该尽快在尖阁列岛上驻军。”

20101014日和16日两天,樱井良子又接连发表文章,鼓吹日本要对中国实施强硬政策。

这已经不是樱井良子第一次发表这样的言论了。

2007年,当福田康夫就任日本首相时,樱井良子立刻在日本著名的右翼杂志《SAPIO》上公开撰文,以福田康夫是亲中派为由,严词批判。文章中还称福田政权的诞生就意味着损害日本国家利益的外交开始。樱井良子还曾撰写了一本名为《异形大国:中国》的书。她在开篇就写道:“相邻之国中国的存在,就是老天赋予日本的永远艰难。”她甚至还在一些公开场合表示,中国根本没有和日本友好相处的意思,想要和这样的国家友好是“很悲屈的行为”。

200712月,樱井良子担任日本国际基本问题研究所第一届理事长,并设立了专门的网页在上面撰写专栏。她利用自己的知名度在一些杂志上撰文指责中国。迄今为止,樱井良子在《周刊新潮》上先后发表的430多篇专栏文章中,多数是指责中国的。

樱井良子的反华言论虽然比较恶毒,却十分空洞。对日本社会比较了解的人可以看出,日本右翼的反华有很多盲点:他们固执地自说自话,根本不去了解中国政府的对日政策,更不了解中国在经济快速发展的同时,和平的理念也深入人心。所以,樱井良子等右翼分子对中国的指责都是既无事实,也无根据的,可信度极低。

家喻户晓的主持人

樱井良子194510月出生在越南,她的父母是在越南工作的日本人。出生后不久,樱井良子随父母回到日本,定居在大分县中津市。中学时代,樱井良子又随全家搬到新(音同细)县,在长冈市立东中学就读。高中毕业后,樱井良子考入著名的庆应义塾大学文学部。

樱井良子从偏远的地方,闯进了大都会的高等学府,并成为其中的佼佼者。但出人意料的是,她在大学期间突然退学,直接跑到美国夏威夷留学。在夏威夷大学马诺阿分校,樱井良子完全凭着奖学金和打工的报酬支付学费和生活费,坚持完成了学业。毕业后,她曾为美国一家报社打工。由于文笔出众,她被任命为东京分部的记者。

1980年,长相漂亮、文笔犀利的樱井良子出任日本电视台一档重要新闻节目的主持人。从那时起,长达16年的时间里,她几乎每天晚上的黄金时段都会出现在电视屏幕上,成为日本家喻户晓的人物。

歪曲的历史观

樱井良子在担任电视新闻主持人期间,就表现出右倾保守的倾向和歪曲事实的“本领”。1996年,她撰写的一篇新闻报道被一名医生起诉,告她名誉损害罪。在审判中,原告的辩护团队认为樱井良子的采访方法近乎于捏造。樱井良子因此离开了电视台,成为一名右翼作家。而她的这种捏造方法,又用到了对中国的攻击和指责中。

1996103日,樱井良子在横浜市教育委员会主办的教职员研修讲演中,公然否定了日本侵略军的罪行。她说,在战争中日本军队没有强制抓捕女性到前线,慰安妇事件只是一种商业行为。

2007614日,樱井良子所在的历史事实委员会在美国《华盛顿邮报》上,刊登了题为《事实》的整版广告。广告用5个所谓的“事实”,反复强调“没有发现历史资料能明确显示女性被日军强迫卖淫”,“二战时日军强征亚洲女性成为‘慰安妇’的事实不存在”。同年,她还参加了《南京的真实》这部电影的签名活动,该影片主旨就是否定南京大屠杀。樱井良子还公开宣称,张作霖被炸身亡不是日本军方干的,而是共产国际干的。小泉纯一郎执政期间,樱井良子非常支持小泉内阁,并高度评价小泉停止对中国提供日元贷款这一行为。

其实,樱井良子反华,并不是她和中国有什么私仇,而是她深受日本传统右翼的影响,形成了歪曲的历史观。好在大多数日本人对这位“美女作家”的反华言论没什么兴趣,她在电视节目中已经很少有登场亮相的机会。

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