1728 中国は見る(833) 普天間迷走劇 (2) ニューヨーク・タイムズ:“オバマ政権の勝利 鳩山にとっては屈辱の譲歩”と伝える
普天間飛行場 原点回帰へ 鳩山首相の座 風雲急を告げる ①
普天间机场搬迁重回原点 鸠山首相宝座或不保
2010年05月30日 05:00 来源:广州日报
半年も大騒ぎした末、普天間問題は振り出しに戻ってしまった。 5月28日、日米両国が発表した共同声明は、2006年に日米が合意した現行案の内容と基本的に同じ内容だった。 これは鳩山首相が当初、意気揚々と約束していた――普天間飛行場の“国外、最低でも県外”が水泡に帰したことを意味していた。 この時、政権を握り、“対等外交”を求めていた鳩山首相は、日米同盟の基礎を動かすことができず、理想から現実に“戻らざる”を得ないことに気付いたのである。
もちろん、日米同盟維持の代価は高いものとなった。 鳩山首相は民意の支持を失い、連立政権は“致命的打撃”を受け、日本の政界は“激震”に見舞われた。 28日、鳩山首相は政府方針に断固反対の社民党党首・福島消費者担当相を罷免した。 7月、参議院の中間選挙を控えて、鳩山首相の政権の座は厳しさを増し、日本の政局は流動的な情勢になった。
特集記事/蒋林
本社ニュース28日、日米両国は米軍普天間基地移設問題について共同声明を発表。 基地を沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部周辺に移設するとした。 これで、普天間飛行場移設問題は8ヶ月余の迷走を経て、原点に戻り、“日本側の譲歩、米国勝利”で終った。
移設:紆余曲折
普天間基地移設をめぐっての論争は昔からで今に始まったことではない。 普天間基地は沖縄県宜野湾市にあり、沖縄の在日米軍の二大基地の一つである。 宜野湾市の市街地の約4分の1の土地を占有している。 街の中心にあり、周りの人口が密集しているため、“世界で最も危険な基地”、“いつ爆発が起るかわからない時限爆弾のようだ”と言われている。
隠れた安全上の問題、騒音、汚染、飛行の安全問題などで、沖縄の住民はずっと普天間基地の移設を求めていた。 1995年、3人の米軍兵士が現地の少女を拉致、暴行したことが、沖縄住民の怒りに火をつけ、大規模なデモが起った。 翌年、日米両国は普天間基地を沖縄県北部に移設することを決めた。
しかし移設計画はいろいろ問題が生じ、10年続けられた協議を経て、両国は最終的に、2014年末までに普天間基地を沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移すことを決定した。 この決定は2006年合意した、「再編の実施のための日米ロードマップ」で確認された。 しかし、この移設計画は沖縄県政府と現地の人々の反対に遭った。 彼らは普天間基地の沖縄県外への移設を強く求めた。
鳩山首相 進退きわまる
2009年9月、鳩山氏は首相となり、沖縄の人々に希望を与えた。 選挙公約実現のため、与党民主党は何度も普天間基地移設問題を持ち出し、基地を沖縄県外あるいは国外へ移すと言った。 しかし、この主張は米国の反対にあった。
あれこれ考えた末、鳩山首相は“その場しのぎ”の案を出した。 宜野湾市の米軍のヘリコプター部隊を分散し、一部を沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ地区へ、もう一部は鹿児島県徳之島へ移すことにした。 しかしこの構想は、名護市と鹿児島島民の強い抗議にあっただけでなく、米側の賛同も得られなかった。
これと同時に、社民党内部から連立政権離脱の声が上がり始めた。 社民党はこれまでずっと普天間飛行場の沖縄県外、もしくは国外移設を求めていた。 報道によれば、鳩山政権と米国が合意した後、社民党内の強硬派が鳩山首相が初志を変えたことに反対し、連立政府からの離脱も辞さないと抗議を表明したという。
“県外移設”は沖縄の民意であり、社民党の党是である。 しかし日米同盟を損なうことになる。 “県外移設しない”ことは米国の願いである。 がしかし、社民党が連立政権を離脱するかもしれない。 内外の圧力の下、鳩山首相は進退きわまり、問題をずるずると先延ばしし、去年暮から今年5月末まで引き延ばしてきた。
“鳩山退陣”要求起る
鳩山首相が自ら決めた“5月末決着”の期限が近づいた。 鳩山首相はやむなく、沖縄県や連立与党より先に、米国と共同文書を締結してしまった。 この文書は、2006年に前自民党政権が米国と合意した最初の案に限りなく近い内容で、日本国内の世論は鳩山首相の指導力に強い疑問の声を上げた。日本政府内部からも、鳩山首相は6月前に辞任するのではないかというウワサが広まっていると伝えている。
世論の多くの声は、直接鳩山内閣の支持率に影響を与えている。 《毎日新聞》の5月16日の調査によると、鳩山首相の支持率は23%で、不支持率は62%に達している。 不支持者のうち50%の人が、理由を“指導力に期待できないから”としている。 現在のところ、参議院選挙はおそらく7月11日に行われる予定である。
すんでのところで日米外交紛争となるところだったこの迷走劇で、米国が最後に笑うことが出来た。 5月24日《ニューヨーク・タイムズ》の論評によると、これは“オバマ政権の勝利で、鳩山にとっては屈辱の譲歩”と書いている。
現状
“米国が主で、日本は従” 変わらない
“親米”の代償は高い
本社電:普天間基地移設騒動は、沖縄県民と日本の国内の政治力の反対をもってしても、日米同盟の基礎をひっくり返すことができなかったということが明らかとなった。
もちろん、このような戦略同盟は昔のように“素直に従う”とは違い、両国間に溝や邪推、更には分裂に向かう動きが出てきたようだ。
普天间机场搬迁重回原点 鸠山首相宝座或不保
2010年05月30日 05:00 来源:广州日报
沸沸扬扬地闹了大半年,普天间问题居然重回原点。5月28日,美日两国发表的联合声明与2006年日美达成的搬迁方案核心内容基本一致。这也意味着,日本首相鸠山当初的豪情许诺——普天间机场“必须迁到县外、乃至国外”化为泡影。此时此刻,一上台就要求“平等外交”的鸠山才意识到,美日同盟根基难撼动,他不得不从理想“跌落”到现实中来。
当然,维护美日同盟的代价很高:鸠山失去民意支持,执政联盟遭遇“致命打击”,日本政坛再临“地震”。28日,鸠山罢免了坚决反对该方案的内阁成员、社会民主党党首福岛。7月,日本参议院将迎来中期选举,鸠山首相宝座可能岌岌可危,日本政局可能再次动荡。
专题文字/蒋林
本报讯 28日,日美两国就驻日美军普天间基地迁移问题发表联合声明,表示将把基地迁至冲绳县名护市美军施瓦布军营周边。至此,普天间机场迁址事宜历经前后8个多月的博弈,再回原点,以“日方让步、美方胜利”告终。
搬迁一波三折
围绕普天间基地搬迁的争议由来已久。普天间基地位于冲绳县宜野湾市,是驻日美军在冲绳岛上的两大基地之一,占据宜野湾市区大约四分之一土地。由于位于城市中心,四周人口密集,被称为“世界上最危险的基地”、“不知何时会爆炸的定时炸弹”。
巨大的安全隐患,加上噪音污染和飞行安全等问题,冲绳居民一直要求将普天间基地迁离。1995年,三名美军士兵绑架并强奸当地少女的丑闻,更引爆了冲绳居民的愤怒,引发大规模示威。次年,美日两国决定将普天间基地搬迁至冲绳县北部。
但搬迁计划一波三折,经过长达10年协商,两国最后决定,在2014年年底前将普天间基地迁移至冲绳县名护市施瓦布军营沿岸地区。这一决定在2006年达成的驻日美军部署调整方案中得到确认。该搬迁方案遭到冲绳县政府和当地民众的反对,他们强烈要求将普天间基地撤出冲绳县。
鸠山进退维谷
2009年9月,鸠山出任日本首相,给冲绳人民带来了希望。为了兑现选举承诺,执政党民主党重提普天间基地搬迁问题,要求将基地转移至冲绳县外或国外。但这一主张遭到美国驳斥。
经过再三权衡,鸠山提出“变通”方案:将驻日美军直升机部队从宜野湾市分散迁出,一部分迁到位于冲绳县名护市的施瓦布军营陆上地区,另一部分转移到鹿儿岛县的德之岛。但这个构想不仅遭到名护市和鹿儿岛民众的强烈抗议,也没有完全得到美方赞同。
与此同时,社民党内部出现要求退出联合政府的声音。社民党一直要求普天间机场迁出冲绳,甚至迁至日本国土外。报道说,鸠山政府与美方达成一致后,社民党内强硬派反对鸠山改变初衷,不惜以退出联合政府表示抗议。
“搬迁”是冲绳的民意和社民党的理念,但却损害了日美同盟;而“不搬迁”是美国所望,但社民党可能会因此脱离执政联盟。内外压力下,鸠山进退维谷,把问题一拖再拖,从去年年底拖到今年5月底。
“鸠山下台” 呼声起
随着鸠山自定的“5月大限”期限临近,日本首相鸠山无奈地决定,跨过地方政府和执政联盟,先和美方签订共同文件。由于该文件“无限”接近于2006年前自民党政权与美国达成一致的最初方案,日本国内舆论对鸠山领导能力的质疑越来越强烈。有日本政府内部人士甚至称,鸠山在6月前下台的传闻,已经甚嚣尘上。
舆论的广泛质疑,直接影响了鸠山内阁的支持率。《每日新闻》5月16日调查显示,鸠山支持率只有23%,不支持率高达62%。不支持者中,50%的人认为原因在于“不能期待其领导力”。目前,日本参议院选举很可能于7月11日举行。
在这场险些酿成日美外交争端的博弈中,美方笑到了最后。5月24日《纽约时报》的评论称,这是“奥巴马政权的胜利,对于鸠山而言是屈辱的让步”。
现状
“美主日从”难改变
“亲美”代价很高昂
本报讯 普天间基地搬迁风波表明,冲绳民众和日本国内政治力量的反对,不足以撼动美日同盟的基础。
当然,这种战略同盟已经与昔日的“顺从”不同,开始充满磕绊、猜疑、乃至趋于走向分裂。