« 1578 中国の三面記事を読む(667) 「曹操の墓」発見される (4) 発見に疑問の声 ③ “華南の虎”の二の舞? (下)  | Main | 1580 中国は見る(777) 日米密約問題 40年ぶりに明るみに (下) »

1579 中国は見る(776) 日米密約問題 40年ぶりに明るみに (上)

美日核密约隐40年后首度曝光

2009-12-25 07:28:25 来源: (北京) 

40年ぶりに保管文書明らかに

“核密約”の存在は厳しい現実を物語る。 重大な緊急事態が生じた際には、米国は核兵器を再び沖縄に持ち込むことが出来る。

Photo 《国際先駆導報》の記者・劉華:東京12月22日電:《読売新聞》は22日夕刊一面トップで、ニクソン米国元大統領と佐藤榮作元首相が署名した日米両国の“核密約”文書が佐藤榮作元首相の家で保管されていたことが分かった。

この決定的な証拠は、日米間に“核密約”の存在を裏付けるものにしただけでなく、更に厳しい現実を物語っていた。 重大な緊急事態が生じた際には、米国は核兵器を沖縄に再び持ち込むことができる。 形式的に日本の同意を求めるだけのものだった。 このことは日本政府が長い間主張していた“核を持たず、製造せず、持込を許さない”とする“非核三原則”に背くものだった。 

極秘とされた40年前の議事録

Photo_2 1969年11月、当時のニクソン米大統領と佐藤首相はワシントンで日米首脳会談を行った。 この時、二人は極秘の“合意議事録”を取り交わした。 文書は2通作成され、1通はホワイトハウスに保管され、1通は日本の首相官邸に保管された。 この英文の議事録は2頁で、文書の上下Photo_3 には“TOP SECRET”(極秘)の文字が押されてあった。 文書の内容は:米国大統領は、米国が日本に沖縄の施政権を返還した後は、米国政府は沖縄から核兵器を撤去すると表明している。 しかし、重大な緊急事態が生じた際には、米国は日本と事前協議の上、沖縄に核兵器を持ち込むこと、また核兵器を通過させることができることとする。 日本国首相は、米国政府が必要とすることを十分に理解すると共に、米国と日本が事前協議を行った場合、遅滞なく米側の要求に応ずると表明した。 

議事録は更に、核兵器の使用に支障ないよう、米国政府が沖縄の嘉手納、那覇、辺野古などの核兵器貯蔵施設をいつでも使うことができる状態に維持しておくことを定めた。 

この文書の重要性を知っていたからだろう、従来、両国トップが署名する時は、姓名の最初のアルファベットでサインしていたが、ニクソン大統領と佐藤首相は最後の署名の際には、二人ともフルネームで署名した。

どうした考えかわからないが、佐藤首相は退任の際、この“文書”を規定通り首相官邸に残さず、自宅に持ち帰った。 これ以降、佐藤首相は家族にもこの文書の存在を漏らさなかった。

1975年、佐藤首相が亡くなった際、遺族が書斎の机を整理していた時、引き出しの中から、この2頁の議事録を発見した。 それから、彼の家族はずっとこの文書を保管していた。 しかし公開はしなかった。 今回、佐藤榮作首相の次男、佐藤信二氏がこの文書を公開した。 佐藤信二氏は、かって参議院議員や通産大臣などを歴任したことがある。 彼が、この文書を公開した理由は、一つにはここ数年、外務省の元局長らが“核密約”の存在を確認したことがある。 もう一つは政権交代の動きもあった。 佐藤氏は、“---私の父がどう考えていたのかわからないが、ただ大事なことは、歴史の真実を残すことです”

とても風刺的なことがある。 佐藤榮作首相は、1974年「ノーベル平和賞」の受賞者である。 当時の表彰文書には、佐藤首相への授賞理由として、“非核三原則”と“アジアの平和への貢献”をしたことによると書いている。 佐藤信二氏は、父親がこの文書を発表しなかったのは、ノーベル平和賞のことを考えていたからかもしれないと認めた。

“沖縄の核密約”は、4つの密約の中の1つだった。 

日米“密約”問題は、民主党政権が登場した後、ずっと追及している問題の一つである。 ここ数年、元外務省高官やその他重要人物が相継いで、日米間の核兵器、沖縄施政権返還や朝鮮半島有事の際の作戦行動などの問題で語り出した。 4つの密約のうち、その中の二つは核兵器に関するもので、一つは、核兵器を搭載した米軍艦艇の日本への停泊を認めるもので、二つ目は、これまでウワサされ、今回明らかとなった“沖縄返還時の核密約”である。 

今回の“議事録”文書は正にズバリ“沖縄の核密約”の存在を実証した。 これは、その他の3つの密約の存在の可能性を高めるものとなった。 従って、この“議事録”の発見は、たちまち日本のメディアの関心の的となった。 《読売新聞》のスクープの後、23日の新聞各紙も一面トップで、密約問題を大きなスペースで後追い報道を行った。 自民党政権時代、この密約の存在については一切否定していた。 民主党政権登場後、岡田新外相が専門の調査プロジェクトを作り、外務省の保管書類の中に密約が存在するか調べることにした。 しかし、これまでに“沖縄の核密約”の調査結果について、“外務省にはそんな文書は保存されていない”というものだった。 これについて、《毎日新聞》の分析によると、当時、密約をめぐる外交の動きは外務省当局を通さず、国際政治学者、京都産業大学の若泉敬教授の個人交渉に任されていた。 そのため外務省に記録がないのは当たり前のことだった。 佐藤信二氏も次のように語っている。 当時、密約文書を発見した後、外務省の担当者に、この文書を外務省の外交史料館に保存するよう要請したが、この担当者は“これは公式文書ではありません。 個人の文書です”と言ったという。

密約締結当事者の一人である若泉敬教授が亡くなる前に書いた本の中で、密約の存在を明らかにしている。 当時、密約を知っていたのは4人で、ニクソン、佐藤榮作のほかは、若泉敬とニクソンの大統領補佐官(国家安全保障問題事務担当)キッシンジャーだけだった。

美日核密约隐40年后首度曝光

2009-12-25 07:28:25 来源: (北京) 

40年后首度曝光

核密的存在明了一个重的现实:在生所谓紧急事的情况下,美国随都可将核武器重新运入冲

《国驱导报者刘华发 1222日,日本《读卖晚报条刊文称,一份由美国前总统尼克松和日本前首相佐藤署的有日美两国核密的文件,一直保存在日本前首相佐藤作的旧宅。

份决定性的据不了日美之核密的存在,更明了一个重的现实:在生所谓紧急事的情况下,美国随都可将核武器重新运入冲,而只需在形式上征求日本的同意。完全背了日本期以来公宣称的有、不制造和不运核武器无核三原

一份密了40年的

196911月,任美国总统的理·尼克松与任日本首相的佐藤作在顿举行美日领导人会。在此期,两人署了一件密的,一式两份,一份保存在白,一份保存在日本首相官邸。

份英文共两纸张顶部和底部都印有“TOP SECRET”密)的字的基本内容是:美国总统表示,在美国向日本移交冲的管理后,美国政府将从冲撤走核武器。但是,在出重大急事的情况下,美国在与日本行事先商的基上,可在此向冲核武器以及核武器通。日本首相表示美国政府的做法充分理解,并承一旦美国与日本这样的事先商,将毫不疑的答美方的要求。

录还确定,了能充分发挥核武器作用,美国政府将把冲的嘉手、那霸和野古等核武器施保持在随可用的状

可能是由于知道份文件系重大,因此然原本安排双方领导人在都只姓名首字母,但尼克松和佐藤在最终签,都上了自己的全名。

不知道出于何,佐藤作在卸任,并未按照定的那,将份文件留在首相官邸,而是将文件回了自己的私宅。此后,他从来没有家人提到过这份文件的存在。

1975 年,在佐藤作去世后,其友在整理他公桌,在抽发现份两页纸组成的。此后,他的家人一直保存着份文件,但并没有公。此次是佐藤作的次子佐藤信二公份文件。佐藤信二也曾担任议员和通大臣,他公开这份文件的原因,一方面是因近年来已有多名日本外省的退休局认过核密的存在,另一方面也是受政更迭的推。他“……我不清楚父是怎思考的,但重要的是,当留下真史。

非常具有刺意味的是,佐藤作是1974诺贝尔和平得者。当年的评奖件称,授予佐藤奖项的原因,正是了表彰其提出无核三原和推行和解政策等方面的献。佐藤信二承,他之所以迟迟没有公布份文件,在一定程度上也是考到了诺贝尔和平的因素。

核密只是4个中的1

日美问题,是民主党政上台后一直在努力厘清的问题之一。近年来,不断有退休的外省高和其他重量人士称,日美之间关于核武器、移交冲管理和朝现紧急事的作问题上,存在4个密,其中2个有核武器,其一是允许载有核武器的美军舰艇在日本港口停泊,其二就是此前仅处传说而此次大白于天下的核密

此次文件直接证实核密的存在,在很大程度上也提高了其他3个密存在的可能性。因此,一出顿时日本媒体注的焦点。读卖》拔得头筹之后,23日的日本各大报纸头版,都约问题进行了大篇幅的跟踪道。 自民党上述密的存在一概予以否。民主党上台后,新外相田克也已经组织专门调查项目,在外省档案中查证是否存在密。但是,之前核密调查结果是:省没有保存份文件。此,日本《日新》的解是:当时围绕的外交行并没有通省当局,而是委托国政治学者、京都产业大学教授若泉敬个人交的。因此外省没有记录亦属正常。而佐藤信二也透露,在当年发现之后,他曾找到外省的一些官僚,希望一文件能由外省外交史料保存,但方却不是官方文件,而是个人文件。

约签订当事人之一的若泉敬在去世前著透露了密的存在,中称,当知道密的只有4个人,除尼克松、佐藤作之外,就是若泉敬与任尼克松总统国家安全事助理的基辛格。

|

« 1578 中国の三面記事を読む(667) 「曹操の墓」発見される (4) 発見に疑問の声 ③ “華南の虎”の二の舞? (下)  | Main | 1580 中国は見る(777) 日米密約問題 40年ぶりに明るみに (下) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 1578 中国の三面記事を読む(667) 「曹操の墓」発見される (4) 発見に疑問の声 ③ “華南の虎”の二の舞? (下)  | Main | 1580 中国は見る(777) 日米密約問題 40年ぶりに明るみに (下) »