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1562 中国の三面記事を読む(658) 「論語読みの論語知らず」 (上)

日本:《論語》日々使用されているが誤用も多い

日本<论语>的天天使用和天天

2009-12-07 17:31:38 来源: 中国新(北京) 

中国新聞ネット12月7日報道:中国古典は日本文化の中でざらに見られる。 ふとしたところから、中国古典が飛び出してくることがある。日本で普通にあるカレンダーは、西暦ではなく、天皇の元号になっている。 周知のとおり、天皇の年号は、近代以来、“明治”、“大正”、“昭和”、“平成”、どれも中国の古典から取られている。 “明治”は《易経》の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)より、“大正”もやはり《易経》で「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり)から、“昭和”は《尚書》の「百姓昭明、協和萬邦」(国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う)から採った。 今の“平成”の年号は、有識者による専門家会議で決められた。 出典は《尚書》の「地平天成(地平かに天成る)と史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)からで、当時の小渕恵三官房長官が発表した。 

皇太子徳仁親王の第一女子“敬宮”愛子内親王の名前は、《孟子・離婁》章句の「仁者愛人、有禮者敬人」(仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ)から採っている。 このような皇室の命名には根拠がある。 皇室の制度として、長い伝統を持ち、代々伝えられているものである。 皇室以外の官界や民間でも、古典の引用は例外でない。 日本人は久し振りに出会った時、よく相手に「别来无恙」(その後お変わりありませんか)と挨拶する。 《孔子と「論語」がわかる事典〉の作者、井上宏生氏によると、日本人の多くは、「無可無不可」と答える。 意味は“よくもなく悪くもなく、まあまあです”ということだ。 出典は《論語、微子》である。 2001年、当時政権を握っていた自民党の総裁選挙で、小泉、麻生、谷垣の3人の立候補者は自分の選挙の履歴欄の“愛読書”欄に、いずれも「中国の古典」を書いていた。 特に選挙で勝ち、その後、戦後3番目の長期政権となった小泉首相は、よく中国の古典を引用するのが好きだった。 彼は政界で効果的な“小泉語”を連発した。 基本的に短音節で“漢文調”の古典を引用するのが特徴だった。

小泉首相は、寝る前と夜中に目が覚めて眠れない時、よく枕元に置いた《論語》を読んだ。 本を読む癖で、いつも睡眠不足になっていた。 本を読んで得たものが、しばしば翌日の“小泉語”となって精彩を放った。 彼がよく引用する“無信不立”(信無くば立たず) 『論語』顔淵)、“和為貴”(和を貴しと為す)『論語』学而)、“天将降大任于斯人,必先苦其心志、其筋骨”(天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ“(《孟子告子》)、”居安思危”(安きにありて危うきを思う)(左伝襄公十一年)、“君子豹変”(易経、革卦)などは、すべて春秋戦国時代の古典である。 彼自身が創った名言の、“構造改革なくして経済の成長なし”(総裁選での演説)は、明らかに“無信不立”からひらめいたものだ。 小泉内閣の初代外相の田中真紀子氏が外務省内の泥沼のような人事紛争が起きた時、小泉首相はわざわざ彼女に《論語》を贈った。 その意味は、その中から解脱の道を探せということだった。 名門、慶応大学の“日本《論語》研究会”第13回例会(06年6月)は、当時の杉浦正健法務大臣に講演を依頼した。 かつて小泉内閣で1年半在任した杉浦氏は、間近で小泉首相を観察していた。 それで彼の講演の題目は、“小泉首相と《論語》”だった。 これは、側面から《論語》が小泉首相に対し大きな影響を与えたことを証明したものといえる。

2002年、小泉首相の側近、武部勤農林水産大臣が“狂牛病(BSE)”問題で責任を問われ、野党は一斉に辞職し謝罪するよう求めた。 連立与党の公明党さえそれに同調した。 小泉首相は断固拒否、記者から連立が崩壊する心配はないのかと訊かれ、小泉首相は、“私達と友党の間には、意見の相違はある。 しかし、協力すべきは協力する方向は変わらない”と述べた。 言葉がまだ言い尽くしていないと思ったのか、《論語、子路》を引用してこう付け加えた。 “これは「和して同ぜず」である” 連立の両党関係を説明する絶妙な言葉といえる。

日本<论语>的天天使用和天天

2009-12-07 17:31:38 来源: 中国新(北京) 

中国新127 中国古典在日本文化中可俯拾皆是,在不,信手就可以拈出一个中国古典来。日本通行的年并非公历纪元制,而是天皇的年号。众所周知,天皇的年号如近代以来的明治大正昭和平成,无一不是从中国古典而来。明治出自《易圣人南面而听天下,向明而治大正也出自《易大享以正天之道也昭和出自《尚百姓昭明,万邦。至于当今的平成年号,也是经过御前家会议拟定,出典于《尚》的地平天成和《史.五帝本》的内平外成,然后由当的官房官小渊惠三外公布。

皇太子德仁王的女儿子,也是得名于《孟子.离娄》的仁者人,有礼者敬人这种皇室言必有据的命名传统,作皇室制度,源,世代传袭

皇室之外的官和民,引据典,也无例外。日本人暌稍久相见时,常常会询问对来无恙,据《孔子和〈论语〉事典》的作者井上宏生介,很多日本人都会答以无可无不可,意思是没化,出典来自《论语.微子》。

2001年,当时执政的自民党竞选总裁,小泉、麻生和谷垣三位候人在自己的竞选爱读书里都填了中国古典。尤其是竞选成功、后来成了时间第三的小泉首相,更喜引据文古典。他在政界出名的屡不爽的神器小泉,基本上就是以短音的古典引用语为特征。

自己睡前和夜醒来不能成寐,常置于床的《论语》,读书成癖他常常睡眠不足,而读书所得的灵感也常常化作次日小泉的精彩内容。如他常常引用无信不立”(论语.渊》)为贵”(论语.学而》)天将降大任于斯人,必先苦其心志、其筋骨”(《孟子.告子》)居安思危”(《左.襄公十一年》)君子豹”(《易.革卦》),都是来自先秦的古典。他自己造的招牌标语构改革便无经济”(竞选),便明是从无信不立得到灵感。当其内首任外相田中真子受困于外省内的泥沼般的人事纠纷时,小泉特地送她一册《论语》,示意从中去求解脱的法。名门庆应大学日本《论语》研究会13次例会(066)了当的法大臣杉浦正健演。曾在首相府挂行走一年半的杉浦,有很多机会从近侧观他的老板,所以他的讲题便是小泉首相和《论语,可以从论语小泉的巨大影响。

2002年小泉的信、林水大臣武部勤因牛症问责,在野党群起逼迫其辞职谢罪,连执盟的公明党也加入其求,要求武部引下台。小泉拒,当盟是否因此有崩之虞,小泉回答然我和友党之,意有所分歧,但在合作相互合作的方向未,意犹未尽,然后引据《论语.子路》就是和而不同,可以是解释执盟两党系的神来之笔。

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