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1563 中国の三面記事を読む(659) 「論語読みの論語知らず」 (下)

日本:《論語》日々使用されているが誤用も多い

日本<论语>的天天使用和天天

2009-12-07 17:31:38 来源: 中国新(北京) 

2003年、参議院の“国家の基本政策”についての代表質問で、当時の野党民主党の菅直人氏(現民主党副総理)が長い演説で、イラク出兵と国債30兆円問題で自分の責任をはっきり認めない小泉首相を厳しく追及した。 小泉首相は反撃して言った。 “私は事実に基づき質問にお答えします。わからない事はわからないのです。 《論語》の中に、「不知不知,是知也」(知らざるを知らざるとなせ、これ知れるなり) 知ったかぶりはできない” と古典を引用して反撃した。 正に逆転勝ちの発言だった。

2001年、小泉首相は初めて中国を訪問した時、前代未聞のことをした。 盧溝橋の“抗日戦争記念館”に行き、“忠恕”の2文字を揮毫した。 その後、彼は主催側の江主席に対し、“私は真心(忠)と思いやり()の精神で、日中友好の発展に努力したい”と説明した。 《論語、里仁》の古典を通じて、自分の心を表明したものである。 小泉首相を研究している専門家の分析によると、小泉首相が在任6年の間、国内外の強い反対を顧みず、国家利益が損なわれることも取り合わず、ひたすら自分の意見を押し通し、毎年、高姿勢で靖国神社を参拝したのは、《論語》の“無信不立”の偏った信念によるものだった。 それは、彼が総裁選の時、靖国神社参拝を公約にしたからである。

小泉首相の政治の先輩、8.15“終戦記念日”参拝の先駆けをした中曽根康弘首相は、経験者として忠告したがダメだった。 メディアに談話を発表している。 “公約遵守として評価できるものだろうか? 首相としての大事な責任を果たすより、小さな約束を果たそうとしているだけだ” 言葉がまだ十分でないと思った中曽根氏は引き続き《論語、子路》の次の言葉を引用し、小泉首相を揶揄した。 “言必信、行必果,硁硁然小人哉”(言必ず信あり、行い必ず果たす。こうこう然として小人なるかな:その言葉をやり遂げる。それは立派な資質ではある。 しかし、もしそれだけなら、人間として小さい)

ところでもっと絶妙なのは小泉首相である。 2005年、靖国神社を参拝した後、中韓などの国の強い批判を浴びた時、自分の靖国神社参拝を弁解する時こう言った。 亡くなったすべての戦没将兵に対する敬意と謝意のために行ったものであって、A級戦犯として祀られている東條英機など特定の個人のために行ったものではないとし、その後すぐ話題を変えてこう言った。 “罪を憎んでその人を憎まず”は孔子の言葉だと持ち出した。 彼の引用は日本国内外で多くのメディアの論評を引き起こした。 《人民日報》は記事の中で、“自分の都合のよい部分だけ引用したもの”、彼はまだしっかり勉強する必要があると皮肉った。 日本のメディアの多くも、小泉氏は意味を取り違えていると批判した。“被害者”が寛大な言葉で言うものを、“加害者”の口から言うのはいかがなものか。 古典の意味をまったくめちゃくちゃにしてしまうものだと指摘した。 

このような古典の意味を取り違えているのは、小泉首相が張本人というわけではない。 1997年、橋本内閣でロッキード事件で受託収賄罪を言い渡された佐藤孝行氏を総務庁長官に起用した。 就任記者会見で、佐藤氏は《論語、先進》を引用し、自分の前科に触れ、“過ぎたるはなお及ばざるがごとし”、過去を忘れ、この仕事をしっかりと努めたいと述べた。 彼は多分、“過ぎたる”を“過去”のことと思い、“及ぶ”を“触れる”とし、“過去の事はもう追及しないでいいでしょう”と言いたかったらしい。 だが実際に彼が引用すべきは《論語、八》の“既往不咎”(過去のことは追及しない)だったのだ。 誤った引用でお笑いぐさとなった。 だがたとえ“既往不咎”でも、自身の口から言うべきものではない。 結果はまた記者達を失笑させ、メディアからしばらく皮肉られ、日本人の茶飲み話の話題となった。

日本で長く使われている成語として、《論語読みの論語知らず》という言葉がある。 今まで述べてきた現象に対する不満と批判の言葉である。 《論語》を読んでも何にもならない。 正確に使えなかったり、たとえ読めたとしても、それを生かして実行できないことをいう。 別の面から言うと、この言葉は《論語》が日本で日常的に使われていることを示している。 日常使っていて分からない情況になっているということだ。 《論語》が日本に入って、少なくとも1500余年にはなる。 その教えは、日本の民族文化の奥深く浸透し、日常的に使用され、それがどこからきたものか分からないくらいになっている。 誤用は避けられない副産物といえるかもしれない。  (本文出所:中国新聞網)

日本<论语>的天天使用和天天

2009-12-07 17:31:38 来源: 中国新(北京) 

2003年在一次参国家基本政策会上,当党民主党的菅直人(现为民主党内个副)篇大,炮声隆隆,谴责小泉在出兵伊拉克以及国三十万亿日元的问题上不肯明言自己的任,小泉回敬我据答疑,不知道的事情就是不知道。《论语》里不知不知,是知也。装知可不行啊!引述古典行反,大有四两千斤之概。

2001年小泉以首相身份初访中国,破天荒地跑到抗日写了忠恕两字,后来他向道主江主席解释说我要以真心()()的精神,尽全力于日中友好,通运用源于《论语.里仁》的古典,表述自己一番苦心。

据研究小泉的家分析,小泉所以在6年期,不国内外烈反,也不一再及国家利益,一意孤行,年都以高姿参拜靖国神社,也来自他论语无信不立的偏信念,因他在竞选时将参拜靖国神社立

,小泉的政治导师了在8.15“终战纪念日参拜先河的前首相中曾根康弘,以来人的身份阻不成,就对报谈话说是在信作?小事上遂了信之愿,作首相的大事尽意犹未尽的老前接着同引用《论语.子路》揶揄后辈说言必信、行必果,硁硁然小人哉,流传为

最妙的是小泉在2005年参拜靖国神社后受到中等国烈批判自己他去靖国神社参拜,是了表达全体亡将士的敬意和忱,并不是了某一被供奉的特殊个人、如A级战条英机而去的。然后话锋转说“‘憎其事不憎其人是中国孔子的。他的引据在日本国内外引致如潮的媒体评论,《人民日文批断章取刺他需要继续。日本很多媒体也批乱角色,将受害者加害者的口中出,使得所引古典面目全非。

这种错置角色的使用古典,小泉并不是始作俑者。1997本内起用曾在洛克菲德事件中被定罪污职的佐藤孝行为总务厅长官,在履新者会见时佐藤援用《论语.》,提及自己的前科时说“‘犹不及记过去,努力把在的工作做好吧。他大概以触及,想去的事情就不要提了。援引的是《论语.八佾》的既往不咎引而成笑柄。不即便是既往不咎,也不应该出自其口,果当然让记们喷饭,也媒体冷嘲热讽良久,成日本人茶余后的一段笑

日本有一句流很久也很广的成,叫做论语》而不知《论语”(论语论语),就是上述象的微和批,即了《论语》也白搭,不会准确使用;或者即便懂了,也只是光,口惠而不至(lip service)。从另一方面,句成示《论语》在日本已日常普通的话语,达到了日用而不知的境界。《论语入日本,至少已一千五百余年,其教深深嵌入日本民族文化的骨髓,日常使用,而不知其所来何自,用也正是日用不可避免的副品吧。

(本文来源:中国新)

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