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日本人の三国知識:吉川英治と《三国志》 

日本人的三国文化:吉川英治与《三国志》

2009-08-13 15:42:52 来源: 网易

《三国志通俗演義》 日本で翻訳出版されてからほぼ300年

Photo 1689年~1692年にかけて、京都天竜寺の僧侶義轍、月堂兄弟が湖南文山の筆名で《通俗三国志》を文語体に訳し刊行した。 最初は上流階級で読まれていたが、その後、民間にも伝わり読まれるようになった。 これ以降、両国文化交流の良きにつけ悪しきにつけ、日本はずっと中国のこの古典文学作品を共有してきた。 中国の歴史で、日本人が一番詳しく知っているのは三国の時代であろう。 フランス文学研究家、評論家の桑原武夫(19041988年)氏は、20数回読み返したという。これは他の本では絶対なかったことだ。

主な翻訳本は次の通り。 立間祥介訳《三国志演義》(毛宗岡本、平凡社、1972年)、小川環樹、金田純一郎訳《全訳三国志》(毛宗岡本を主に弘治本を参照、岩波書店、1982~1983年)、村上知行訳《全訳三国志》(毛宗岡本、社会思想社、1980~1981年)など。

Photo_2 ところで一般の日本人が“三国志”という時は、羅貫中の《三国志通俗演義》のことではなく、また陳寿の《三国志》のことでもない。 吉川英治の小説《三国志》のことを指しているのだ。 吉川英治は“少年時代、久保天随の「演義三国志」(正式名称は《新訳演義三国志》、至誠堂書店、1912年)を夢中になって読んだ。 1939年~1943年にかけて、彼は《通俗三国志》などの訳本を基に、Photo 現代感覚で再創作し、中国の古典の名作を日本人好みの大衆小説に書き直し、《中外商業新報》に連載、その後、講談社から単行本として出版した。 これ以降、日本人が読む“三国志”はこの本となり、“国民文学”となった。 中国文学研究家の立間祥介氏は笑い話として紹介してくれた。 彼が《三国志演義》を翻訳した時、読者から原典に忠実でないと叱責する手紙が届いた。 吉川英治の話とまったく違うというのだ。 この読者は勇猛な張飛のような方らしい。 これからも分かるとおり、吉川英治の“翻訳”は原典《三国志通俗演義》とは全く違っていた。

吉川英治は“序文”の中でこう言っている。 “私は決して抄訳だとか抜粋だとかにするつもりはない。 新聞の連載小説にピッタリの長編小説を書いてみたい。 劉玄徳、曹操、関羽、張飛などの主要な人物に、自分なりの解釈と独創性を取り入れ書きたいのです。 随所に見られる原本にはない言葉、会話などは私の創作です” では、小説の書き出しを読んで見よう:

後漢の建寧元年のころ。 今から約千七百八十年ほど前のことである。一人の旅人があった。 腰に一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頬をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じて賎しげな容子がなかった。 

これこそ劉備だった。 この後、登場してくるのが鴻芙蓉という娘、それから劉備の母親。 この“親孝行”の劉備が母の大好きなお茶を買い求めていた時、“黄巾の乱賊”に捉まる。 張飛に助けられ、先祖伝来の家宝の宝剣を与えてしまう。 劉Photo_3 備の母は茶壺を放り投げて子を諭す。 劉備に漢の正統を再興するよう教え諭したのだ。 ある文学博士はこう言っている。 “三国志の世界は男達の世界である。 しかしその裏側は女の世界でもある” 吉川英治の《三国志》の中でも女の人が舞台に登場する。 全巻は「桃園の巻、群星の巻、草莽の巻、臣道の巻、空明の巻、赤壁の巻、望蜀の巻、図南の巻、出師の巻、五丈原の巻」全十巻、最後に“扁外余録”がある。

Photo_4 吉川英治は言う。“孔明が死ぬと、執筆の興味と気力が一気になえてしまい、どうしようもありません” 彼に限らず、ほとんどの日本の“三国志”は、“星落秋風五丈原”(土井晩翠の名詩。 哀感に満ち日本人の諸葛孔明に対する感情の基調となっている)でピタッと終っている。 これについて中国文学研究家の中野美代子氏は、“中国人は張飛が好きで、日本人は孔明が好きなんです”と言っている。 彼女はこうも言っている。 “「妖怪に近い」(魯迅の言葉)孔明は、日本人のあいまいさに合い、少し神秘的な雰囲気があるところが好きなんです” 諸葛孔明は中学・高校生の「英雄人物」調査で9位にランクされているという。 長い間、諸葛孔明の業績は日本人の忠誠と孝行に対する考え方、道徳教育に大きな影響を与えてきた。 

日本人的三国文化:吉川英治与《三国志》

2009-08-13 15:42:52 来源: 网易  0 手机看新

们读到了这样篇:后建宁元年。距今一千七百八十年前。有一个旅行者。除腰佩挂一之外,褴褛不堪,但唇眉清,更双眸慧,两丰腴,时时隐含微笑,之,无猥之相。就是刘

本文摘自:《日下   作者:李  出版:上海人民出版社 

《三国志通俗演》在日本翻出版已三百余年了。

一六八九年至一六九二年,京都天寺僧人义辙、月堂兄弟以湖南文山的笔名用文言体日文成《通俗三国志》,刊行于世,先是在上社会,随后在民众也流传开来。从此,无两国文化交流是好是坏,日本一直与中国共有部古典文学作品。于中国史,大概日本人最熟知的就是三国代吧。法国文学研究家、评论家桑原武夫(一九四~一九八八年)他反复读了二十多遍,读别从未有的。流行的本主要有立祥介《三国志演》(据毛宗本,平凡社一九七二年),小川环树、金田一郎《全三国志》(以毛宗主,参照弘治本,岩波店,一九八二~一九八三年)、村上知行《全三国志》(据毛宗本,社会思想社,一九八~一九八一年)等。

,一般日本人三国志,并不是罗贯中的《三国志通俗演》,更不是寿的《三国志》,那是指吉川英治的小《三国志》。吉川英治少年久保天随的演三国志(全称是《新三国志》,至店,一九一二年),一九三九年至一九四三年他依据《通俗三国志》等本,用代感觉进行再造,把中国的古典名著改写成日本人所喜闻乐见的大众小连载于《中外商》,再由讲谈社出版行本。从此以后日本人三国志就大抵是国民文学了。中国文学研究家立祥介讲过:他翻了《三国志演》,有者来信斥他不忠于原典,因跟吉川英治的完全不一者很有点猛张飞,但由此可,吉川英治的是和原典《三国志通俗演》大不相同的。

吉川英治在我并不做略或摘抄,而要把它写成适合于笔的报纸连载。刘玄德、曹操、羽、张飞等主要人物,都加上自己的解和独来写。随的原本上所没有的句、会等也是我的点描。于是,我们读到了这样篇:

建宁元年。

距今一千七百八十年前。

有一个旅行者。

除腰佩挂一之外,褴褛不堪,但唇眉清,更双眸慧,两丰腴,时时隐含微笑,之,无猥之相。

就是刘。后面出有一个叫鸿芙蓉的姑娘,有刘老太太。孝行的刘备为买所嗜好的茶叶,遭遇黄巾乱,多亏张飞搭救,便以家,惹得刘老太太摔教子,教他立志再兴汉统。某文学博士三国志的世界是男人的世界,但背后有个女人的世界。在吉川英治《三国志》中女人都跑到前台来。全分桃园、群星、草莽、臣道、空明、赤壁、望蜀、南、出、五丈原十卷,最后有一卷篇外余

吉川英治孔明一死,呵笔的致和气力顿时都淡弱了,无可奈何。是他,几乎所有日本制三国志都是到星落秋五丈原(土井翠的名,充满伤感,构成日本人对诸葛亮的感情基)便戛然而止,可能造成了中国文学研究家中野美代子所中国人喜欢张飞而日本人喜孔明。她还说近于妖)的孔明更符合日本人避免明确性、有点喜神秘气氛的特。曾有过调查葛亮是中学生心目中的第九位英雄人物。多少年来,葛亮的事迹日本人的忠孝念、道德涵有极大影响。

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