1399 中国の三面記事を読む(596) 昔撮った天安門記念写真のリメークが評判となる (上)
変遷:我爱北京天安门(私は北京の天安門が好きです)
变迁:我爱北京天安门
2009-06-28 19:31:15 来源: 中国青年报(北京)
北京天安門の思い出
写真というものは生きていた印、歳月はどんどん過ぎてゆく。 スイカやかぼちゃの種、一粒一粒味わう味は、人それぞれ自分が知っている。 みんなが見るのは、散らかった白黒のスイカやかぼちゃの種だけど――張愛玲
馬恵雲、陳桂苓、周金華、何俊霞 1970年撮影
姚元はまだ1969年1月、自分が天安門の前で撮った記念撮影を持っている。 “あれは生産隊に入隊する数日前に撮ったものです。 私の家にはドイツのカール・ツァイス社の135カメラがあって、特務用のカメラのように、とても小型でした。 生産隊に入隊が許可された後、私は「生産隊入隊証明」に、生産隊に入隊する多くの学生と同じように青い綿入れのコートを買って、それからカメラを持って天安門に行きました”
大多数の人にとって、天安門は特殊な意味を持っていました。 この考え方“昔の写真を新たに撮る”は、決して新鮮なものとは言えませんが、天安門は今、意外に“主流”になり、建国60年を前に人々の関心を集めています。 撮影者の黒明さんは少しも臆することなく、これは自分の初志(気持)と関係ありませんと語っている。 北京で生活して20数年の外省人にとって、多かれ少なかれ自分とこの街のある種の繋がりを確認するため、これまでずっと北京を表現するものを探してきたと黒明さんは言う。 数年前、アルバムの中から年代の違う天安門前の記念写真が出てきた時、彼はある考えが閃めいた。 以前天安門前で記念写真を撮った人に、この“最も政治的意義を持つ”空間に戻って来てもらって、もう一度写真を撮ったら、時代の移り変わりが見られるのではないか。 そのため黒明さんは北京の夕刊に、かつて天安門広場で記念写真を撮った人100組を探す「お知らせ」を掲載した。
馬恵雲、陳桂苓、周金華、何俊霞 2009年撮影
46歳の劉増栄さんは新聞を見て自分から訪ねて来た。 2009年3月31日午前8時30分、約束通り劉増栄さんと黒明さんは天安門の西の華表(石柱)前で合い、彼が事前に提供した昔の写真の角度を参考に、30分くらい時間をかけて撮影し、劉増栄さんが1980年9月28日午前9時頃初めて北京に着き、天安門前で撮ったあの記念写真を、黒明さんが“再現”した。 “最初の頃、天安門広場で写真を撮る人々のほとんどは、一様に感激した気持ちで一杯でした。 その頃、北京や中国を代表することができるものは天安門しかありませんでした。 今日では、人々の認識にはっきりとした違いが現われています。 天安門を依然として神聖だと思っている人がいますが、しかし、ここは観光地で混みすぎると思っている人もいます。 この後、劉増栄さんはブログに次のように書きました。 “昔の再現です。 私はまるで29年前のあの時間に戻ったようでした! 本当に感動しました!”
黒明さんは極力外見上の“写真”にこだわりました。 同様の季節、同様のポーズ、表情、果ては太陽の光線が身体の前か後ろか、写真に写っている片隅のあるかないかの松の枝までも気にした。 アルバムや歴史の中で見る喜び悲しみ、いいこと悪いこと成功と失敗などが、歴史と同じように現れています。 これらの原本(最初の写真)はもしかすると皮の古いアルバムに挟まれていたりを落ちていた個人の私生活の歴史です。 こうして一連の工夫を凝らして“再現”したものを、一般の人々から見ると、まるで風味が変わったようで、なんともかわいく見えませんか?
王嫒香、朱栄曾 1963年撮影
王嫒香、朱栄曾は1963年天安門の前で互いに寄り添って写真を撮りました。 彼女たちは仲良し姉妹であり、良い同僚でした。 昔の写真では、格好悪い綿入れの服を身につけていますが、若さはごまかせません。 マフラーのつけかたがそれぞれ違い、2人がわざと遠くをみる表情はその当時の流行なのでしょう。 右側に立っている女の子は、かすかに髪をカールに巻いているのではと推測させます。 このようにハッとさせるようなことは確かに時空の距離と関係があります。 しかし、一番多く感じられるのは純朴さと誠実さです。 また当時、軍服を着て、手に毛沢東語録を持っていたお嬢さんが、数十年後に赤の預金通帳、赤の定年退職証明を持って、微笑んで一緒に天安門の前に集まるのを見ると、どうしても時が経ち状況が変わったことを感じないわけにはいきません。 このような最新の写真を見ていると、私達は写真の外から誰かが、“ハーイ、こっち見て、笑って”と叫んでいるのが聞こえるようです。 でもあの当時彼女たちに残されたいくつもの古傷について詳しく聞くことはできませんでした。
王嫒香、朱栄曾 2009年撮影
(本文の出所:中国青年報 )
变迁:我爱北京天安门
2009-06-28 19:31:15 来源: 中国青年报(北京) 跟贴 72 条 手机看新闻
照片这东西不过是生命的碎壳;纷纷的岁月已过去,瓜子仁一粒粒咽了下去,滋味各人自己知道,留给大家看的惟有那狼藉的黑白的瓜子壳。——张爱玲
马惠云、陈桂苓、周金华、何俊霞1970年摄
姚元还保留着1969年1月自己在天安门前的一张留影。“那是插队前几天拍的。我家有一台德国蔡司的135照相机,和特务用的相机一样,很小。批准插队后,我用‘插队证明’买了一件很多插队学生都有的蓝色棉大衣,然后就带着相机去了天安门。 ”
对大多数人而言,天安门具有特殊的意义。这组观念上并不算新鲜的“老照片新拍”,因为天安门而意外地被纳入“主流”,在建国60周年前被人关注起来。拍摄者黑明却毫不掩饰:这跟自己的初衷没有太大关系。对于一个在北京生活了二十几年的外乡人,或多或少地想要确认自己和这个城市的某种关联,黑明说他一直在寻找对北京的表达。几年前,当从相册里翻出不同时段在天安门前的留影时,他萌生了一个想法:请那些在天安门前留影的人回到这个“最具有政治意义的”空间来,重新拍照,以呈现时代的变迁。为此,黑明在北京一家晚报上刊登了启事,寻找100个(组)曾经在天安门广场留影的人。
马惠云、陈桂苓、周金华、何俊霞2009年摄
46岁的刘增荣就是看了报纸主动找上门来的。2009年3月31日上午8时30分,按照约定刘增荣和黑明在天安门西华表前见了面,根据他事前提供的老照片的角度,经过近半个小时的拍摄,黑明“复制”了刘增荣在1980年9月28日上午九时左右初到北京,在天安门前拍下的那张纪念照。“当初所有在天安门广场拍照的人们,心情几乎是一样的激动。那时惟一能够代表北京乃至中国的就是天安门。今天每个人的认识开始显现出差异。有些人仍然认为天安门是神圣的,但也有人认为这里就是旅游景点,太拥挤了。”事后在博客上,刘增荣写道:“昔日重现,此刻我仿佛回到了29年前的那一刻!真的有点激动! ”
黑明竭力做到形式上的“像”,选择同样的季节,同样的姿势、表情,甚至太阳在身前身后投下同样的影子,画面同一角落里若有若无的松枝。在相册或史册中所看到的悲欢离合、得失成败,同历史一样是被选择过的。这些原本被夹在或许掉了皮的老相册里、属于个人私生活的经历,经过一系列刻意“复制”,进入公众视野,在一些人看来好像变了味儿,有些不那么可爱了。
王嫒香、朱荣曾1963年摄
王嫒香、朱荣曾1963年在天安门前相互依偎着拍了张照,她们是好姐妹,也可能是关系要好的同事。老照片中,穿着笨拙的棉衣掩饰不住年轻的张扬,围巾的不同戴法、两人故意注视远方的神情估摸着是当时的流行。在右侧站立的姑娘微微卷起的发梢也会让人猜度一番。这样的迷人确实和时空的距离有关,但更多的是质朴与真诚。而当年那些身穿军装、手捧红宝书的小姑娘,几十年后捧着红色存折、红色退休证,微笑着齐聚天安门前时,却不得不让人感叹什么叫时过境迁。面对这样的新照片,我们好像能听到照片外有人在喊“嗨,看这里,笑一个”,却无法去端详那些时间留给她们的道道划痕。
王嫒香、朱荣曾2009年摄
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