1409 中国の三面記事を読む(605) 張愛玲が大陸から離れた理由(4)
张爱玲告别大陆之谜
2009-06-24 04:35:58 来源: 网易历史 跟贴 143 条 手机看新闻
張愛玲は手紙を受け取った後、とても感激した。 2月20日、胡適に返事を書いた。 彼女は手紙の中に、“あなたのお手紙を受け取りました。 とてもうれしく光栄に思います。 あなたが《秧歌》をこのようによく読んで下さり、感謝しております。 あなたはこちらの評論界の《秧歌》に対する反応についてお尋ねになりました。 二つの批評がありました。 いずれも反共方面から見たもので、物語の中味についてはまったく見ていないものです”
これが張、胡の最初の手紙のやりとりだった。 これ以前、二人は会ったこともなかった。 しかし、張愛玲は胡適という五四新文化運動の重要人物を早くから尊敬しており、特に胡適が評論し紹介した《紅楼夢》と《海上花列伝》は、少女時代の張愛玲が夢中になって読んだ入門作品で、これが彼女が後に書くことになる“紅楼夢――張愛玲の評語”の叙述、表現に大きな影響を与えた。 後日、張愛玲が米国に定住した時、胡適を二度訪問したことがあった。 胡適も張愛玲の住まいを訪ねたことがあった。 彼らは忘年の交わり(年齢を超越した付き合い:注:胡適は1891年生まれ、張愛玲は1920年生まれ、年の差29歳)を行った。
張愛玲の二冊の“異端”小説《秧歌》、《赤地之恋》の評判について、中国国内と海外では、はっきりと異なる2種類の基調が見られた。 中国国内で長い間、張愛玲を封じ込める状況があったのと比べ、海外の研究作業は逆に活発だった。 1961年、張愛玲と直接話し合ったことがある文学史家、米国のコロンビア大学の夏志清教授が英文著作――《中国近代小説史》を出版し、初めて張愛玲を文学史に取り上げ、しかも41頁もの紙幅を使って彼女を評価した。 小説史の中の序言で、“百
年を隔てて《秧歌》、《赤地之恋》を読むと、私は張愛玲が現 代で最も重要な作家であり、五四以来の優秀な作家であると確信する” この英語版の《中国近代小説史》は80年代初めに香港で中国語に翻訳され大陸に入り、張愛玲の名前と彼女の作品(銭鍾書、沈従文、林語堂、路翎などの作家を含む)は、“出土文物”のように歴史の地表に浮かび上り、見る間に人気が出て、大陸で最初の“張愛玲ブーム”が起こった。
同じ観点から見ているのが、劉登翰編集主幹の《香港文学史》で、この本の中では、“実際には、張愛玲の作品の中に、反共と親西洋の直接的言論は見当たらない。 が、彼女の政治に対する嫌悪感と逃避的態度が見受けられる。 もちろんこの小説の創作の初志は知るよしがないが、しかし当時の歴史状況の中で、彼女が非難を受けるのは避けられなかった。 これが、彼女がその後大陸の各種文学の中で、場所が与えられなかった理由である。 実際に今日の立場に立って見ると、《秧歌》と《赤地之恋》は、建国初期の誤りと一般庶民と知識人が傷められている描写があり、その後の大陸の作家の“伤痕文学”と比較すると、明らかにずっと温かさがあった。 ただ当時は、新中国が成立したばかりの時で、この二つの小説はあまりに刺激的だったかもしれない。 こうして見ると、この二作品を覆った深い霧は、当時の東西冷戦の結果と見ることが出来る”(《香港文学史》、人民文学出版社1999年版)
台湾の有名女流作家の龍応台氏は、《淡淡とした歌――張愛玲の《秧歌》評論》という本の中で、“この薄い頁の《秧歌》は、私達の記憶の中でもっと尊敬されるべき地位につけるべきです。 張愛玲の中で沢山の人々によく知られた作品――たとえば《半生縁》――これは、ただ人をうっとりさせるだけの恋愛小説で、深みのある作品ではありません。 しかし、淡淡とした《秧歌》は、これは絶対に「世界レベル」の芸術作品です” 龍応台氏は同時に、“《秧歌》のテーマは典型的な宣伝材料である。 しかし作者は、人間性の成熟した理解で深みを与え、作者の手法がこの作品に独立自主路線の芸術的生命を吹き込んだ。 《秧歌》は土地と共に生きた人々の挽歌であり、張愛玲は中国の農民のために伝記を書いたといえる”
これらの評論は共通して述べている。 それはすなわち、張愛玲が“紅楼夢スタイル”のように、40年代の上海の街の古い家庭の伝奇的なストーリーを語るのと比べて、《秧歌》と《赤地之恋》は明らかに“異種”に属している。 題材にしろ、言葉の使い方にしろ、大きく違っている。 もし張愛玲の以前の小説が、書きなれた作品というなら、この2作品は全く新しい土地改革の時期の農村生活を“一心に考えた”もので、前者は彼女が自由に人物の運命や行き先を書くことができたが、後者は“真実”を記録する物語を展開するだけで、その社会的方向を判定する力はなかった。 この“一心”に創作した2作品が、張愛玲の運命と創作生活を“真っ二つに断ち切る”ことになるとは思いもしなかった―――40年代と50年代の張愛玲は、はっきりと一線が画されているのがわかる。 40年代の張氏の小説は、好評を博し推賞する人が多かった。 しかし50年代以降の張愛玲は冷遇され、あまつさえ基本的に否定された。 評論されることも少なくなり、出版する時もこの2作品は除外された。 学者がこう指摘している。 “張愛玲の50年代前後の作品を分けてはいけない。 もし彼女が書いた旧時代の市民と知識女性の作品を、今日の中産階級の生活の理想的な先駆者と追認するなら、この部分の作品と新社会の農民を書いた血涙の書を切り離すことは、前者を高く持ち上げ、後者を低く評価するもので、それでは張愛玲を私達が作った狭い籠に閉じ込めることと同じだ……”(復旦大学郜元宝:《張愛玲とその他を再び論ず》)
実は、張愛玲は典型的な小市民作家で、党の作家・プロレタリア作家ではない。 そのため、彼女は丁玲、周立波のような政治的立場と思想の自覚があるはずがなく、彼女がこのような重大な題材を扱った時も、まだ党の一連の政策に対する理解と研究が不足しており、主流のイデオロギーの言葉や創作の基本についても認識がなかった。 このような基本は作家に、ただ作品の“芸術的真実だけでは不十分”で更に“本質的真実”に注意しなければならず、また上層部が社会世論と創作思想について提唱しているのが何かを理解しなければならなかった。 しかし、その当時彼女にこういうことを教える人がいなかった。 彼女はただ、自分の頭の中に従来からあった理解と方法で、彼女が知ることもなかった、しかし彼女が心を打たれたものを書いた。 張愛玲は農民のことをよく知らなかっただろう。 しかし彼女は、農民を非現実的に書くつもりはなく、彼らに同情を寄せて書いた。 彼女は40年代、あの手馴れた小市民の生き生きした生活を描いたが、今度は自分のよく知らない解放初期の農民が生きる糧とした典型的環境を的確に描いてみせた。 彼女が求めたのは自由、真実、平穏な人生だった。 これは彼女の作品の一貫した考え方だった。 しかし評論の枠組みが、正常軌道から外れた時、判断の基準に偏向が生じる。 張愛玲が“一心”に書いた土地改革の小説は、当時の主流の認識と知識の中では“異端”として際立ってしまった。
张爱玲收到信后自然非常兴奋,于2月20日给胡适写了回信,她在信中说:“收到您的信,真的高兴到极点,实在是非常的荣幸。最使我感谢的是您把《秧歌》看得那样仔细……您问起这里的批评界对《秧歌》的反应。有过两篇批评,都是由反共方面着眼,对于故事本身并不怎样注意。”
这是张、胡的第一次通信,在此以前他们并不认识。但张爱玲对胡适这位五四新文化运动的重要人物早就佩服,尤其是经胡适点评推介的《红楼梦》和《海上花列传》,成为少女时的张爱玲倾心研读的启蒙作品,这对她以后形成的“红楼梦——张爱玲句式”的叙述语言风格影响极大。后来张爱玲到美国定居曾拜访过两次胡适,胡适也到张的寓所回访过。他们成为忘年交。
对于张爱玲和她的两部“异类”小说《秧歌》、《赤地之恋》的反应,国内外形成截然不同的两种基调。与国内长期以来封锁张爱玲的状况相比,海外的研究工作却很活跃。1961年,曾与张爱玲当面交谈过的文学史家、美国哥伦比亚大学夏志清教授的英文著作——《中国现代小说史》出版,张爱玲第一次被写入文学史,而且用41页的重要篇幅来评价她。在小说史的序言中还说:“隔百年读《秧歌》、《赤地之恋》,更使我深信张爱玲是当代最重要的作家,也是五四以来最优秀的作家。”这本英文版的《中国近代小说史》80年代初在香港被翻译成中文传入大陆后,使张爱玲的名字和她的作品(包括钱钟书、沈从文、林语堂、路翎等一批作家),像“出土文物”一样浮出历史地表,并迅速走红,形成大陆第一次的“张爱玲热”。
持相同观点的是刘登翰主编的《香港文学史》,这部书中写道:“事实上,在张爱玲的文章中,很难找到反共和亲西方的直接言论,而且不难感受到她对政治的一种厌恶情绪和躲避态度。固然这两部小说的创作初衷已不得而知,但在当时的历史情境中,她还是很难躲避要受到指责。这也是她后来在大陆的诸种文学中,找不到位置的原因。实际上,站在今天的立场上看,《秧歌》和《赤地之恋》对建国初期的那些失误,以及平民和知识分子受伤的描写,和后来大陆作家的‘伤痕文学’相比较,显然还是要温和得多。只是在当时,在新中国成立之时,这两部小说就未免显得过分地刺眼了。由此看来,蒙在这两部小说之上的这层迷雾,同样只能看作是当时东西方冷战的结果。”(《香港文学史》,人民文学出版社1999年版)
台湾著名女作家龙应台也在《一支淡淡的歌——评张爱玲〈秧歌〉》这篇文章里说:“这本薄薄的《秧歌》在我们的记忆中就应该有一个尊贵的地位。张爱玲的许多脍炙人口的作品——譬如《半生缘》——只是引人入胜的言情小说而已,没有什么深度可言。但淡淡的《秧歌》,却绝对是一部‘世界级’的艺术品。”龙应台同时认为,“《秧歌》的题材是典型的宣传资料,但是作者对人性的成熟的了解给了它深度,作者的技巧赋予它独立自主的艺术生命。《秧歌》是每一个与土地共生死的人的一支挽歌,是张爱玲为中国农民立的一个小传。”
这些评论表达了一个意思。即与张爱玲以“红楼梦句式”娓娓叙述40年代的上海滩城市旧家庭的传奇故事相比,《秧歌》和《赤地之恋》显然属于“异数”。无论是题材内容、语言风格都有了很大的不同。如果说张爱玲以前的小说是驾轻就熟之作,那么后者则是对全新的土改时期的农村生活的“用心思考”;前者她能够任意铺陈,把握安排人物的命运和走向,而后者只能是“真实”地记录故事的场景,却无力评判它们的社会取向。不曾想,这“用心”创作的两部小说,却使张爱玲的命运和创作生涯发生“腰斩”——40年代与50年代的张爱玲泾渭分明。对于40年代的张氏小说好评如潮,推崇有加;而对50年代以后的张爱玲却讳莫冷落,甚至基本否定。评论很少谈及,出版时也把这两篇小说排斥在外。有学者指出:“张爱玲50年代前后的创作不可分割。如果把她写旧时代市民和知识女性的作品追认为今天中产阶级生活理想的前驱,将这部分文字与后来写新社会农民的血泪之书割裂开来,抬高前者,贬低后者,那就无异于将张爱玲关在由我们制造的狭笼里……”(复旦大学郜元宝:《重评张爱玲及其他》)
其实,张爱玲是典型的小资产阶级的作家,而不是党的作家,无产阶级的作家;因此,她不可能有丁玲、周立波那样的政治立场和思想觉悟,她在驾驭这样重大题材的时候,还缺乏对党的一系列政策的了解和研究,缺乏对主流意识形态话语及创作规律的把握。这种规律和要求告诉作家:只注意作品的“艺术真实”是不够的,还要注意“本质真实”,明白高层对于社会舆论和创作思想提倡的是什么。然而当时并没人告诉她这些。她只是按照自己固有的理解和方法写她并不熟悉、然而却触动她灵魂的东西。张爱玲也许并不熟悉农民,但她从来不准备将农民写成空洞的符号,而是在他们身上倾注了全部的同情。她写活了40年代那些熟悉的小市民的灵魂,也写活了自己并不熟悉的解放初期的农民,以及他们赖以生存的典型环境。她寻求的是自由、真实而平稳的人生。这是她创作的一贯思想。但当评论框架脱离正常轨道的时候,判断的标准便发生偏移;张爱玲和她“用心”写出的土改小说也便成为凸现在主流意识视野中的“另类”。
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