1397 中国の三面記事を読む(594) なぜ台湾人は 日本の統治に甘んじたのか? (下)
许倬云:为何台湾人甘于日本统治
2009-05-19 18:33:57 来源: 网易历史
また工商業界では、いわゆる“四大家族”(辜、林、陳、顔)といわれる一族が大きい資産を有し、いろいろと経営していたが、その外の大型企業(例えば製糖会社)は日本人がほとんど経営していた。 台湾人の事業といえば、地方の運輸、製造とサービス業くらいしかなかった。 だから前に述べたように、台湾のエリート階級というと医者と弁護士、中学、高校の教員だった。 彼らは皆、専門知識を職業とし、日本の教育を受け、日本に伝わった西洋音楽と芸術を愛していた。 この新興のエリートは、たとえ地方の官吏の後代であっても、その文化の素養と生活観はみな父祖の代とは違っていた。 こうした社会の変化は、台湾の発展に、計り知れない大きな影響を与えた。
日本の台湾統治は、帝国の戦略拡張中は南進基地の役割を果たした。 また農業生産力は日本本土(内地)の工業化を支えた。 このため日本の台湾統治政策は、秩序を確立し、人心を落ち着かせ、安定した台湾を作り、“大東亜共栄圏”の拡張を支えることだった。 20世紀初め、日本が着々と進めた建設計画の中で、最も効果を上げたのは、衛生、治安と農業生産などの面である。 台湾は亜熱帯に属し、気候は蒸し暑く、伝染病の発生がしょっちゅう起こった。 日本の植民地当局は強い公権力を使って、衛生警察を設け、一般の人々の公共衛生を監督した。 そのため10年もしないうちに、台湾ではコレラ、マラリアなどの伝染病がなくなり、ハンセン病や肺結核などもある程度抑えられるようになった。
治安面では、植民当局は警察制度を使って厳しくチェックしていた。 警察権力の厳しい法律と刑罰は、挑戦を許さなかった。 日本の裁判官は日本本土から来るので、台湾人とは個人的関係がなく、公平無私に行われた。 法律は厳しく私心がなく、清朝の統治時代とはまったく違っていた。
農業生産の潜在力を引き出すため、日本の植民当局は農作物の品種改良に力を入れ、施肥、防虫の普及や水利施設を系統的に建設した。 更に、台湾に大規模な製糖工業と果物の加工業を設立し、農業と工業の一貫作業を行い、最高の利潤を得られるようになった。 こうした政策は、全方位の農業革命に行われた。 台湾はアジアで最初に“緑色革命”が行われた地域と言うことができる。 日本の植民地当局は台湾で普遍的な国民教育を行った。 一般児童はすべて6年間の義務教育を受けることができた。 この教育の普及は、全面的に台湾人の知識レベルを向上させた。 もちろん、前に述べたいくつかの施設には、必ず基本的教育を受けた人が必要で、そうでなければうまく運営できないからだ。
日本の植民地政策は以上のいくつかの施設で、台湾の人々の生活水準と社会秩序を向上させた。 清末には、劉銘伝が若干の建設に着手したことがあったが、台湾はまだ開拓社会の段階で、公権力は有効に人民を保護することはできなかった。 日本統治時代、10数年の内に台湾は大きな変化を見せた。 台湾人はせいぜい日本の二等国民だったけれど、一般庶民は新しい生活に満足し、“皇民”となった。 少数の人は完全に日本に同化し、植民者から“賜った”現代化に感謝している。
この歴史的現実を大陸の中国人はまったく知らない。 1945年、台湾が中国に戻り、1949年、国民党が台湾に移った時、大多数の中国内地からやって来た人は、台湾人が日本の統治に甘んじた心理状態が理解できなかった。 その結果、2つの民族の間の長い誤解が今なお解けないのである。
《歴史の大きい脈絡》から抜粋: 許倬雲/著 広西師範大学出版社
原題:“皇民化”――日本の植民統治下の台湾 (本文出所:網易歴史 作者:許倬雲)
许倬云:为何台湾人甘于日本统治
2009-05-19 18:33:57 来源: 网易历史 跟贴 432 条 手机看新闻
甚至在工商业界,除了所谓“四大家族”(辜、林、陈、颜)拥有巨产,经营多方之外,大型企业(例如几家制糖株式会社)均由日本人经营。台湾人的事业,不外地方性的运输、制造与服务行业。于是,已如前述,台湾的精英层是各地的医生、律师与中学教员。他们均以知识专业为生,接受了日本教育,喜爱日本转输的西方音乐与艺术。这批新兴的精英,即使有人是过去地方缙绅的后代,其文化内涵与生活价值均与其父祖等不同。凡此社会的改变,对于台湾的发展都有深远的影响。
日本统治台湾,是在帝国扩张战略中作为南进的基地,也以其农业生产力支持日本本土(内地)的工业化。为此,日本治台政策是建立秩序,安抚人心,俾能有一个稳定的台湾,支持其“大东亚共荣圈”的扩张。从20世纪初,日本逐步推行建设计划,其中最有成效者,则为卫生、治安、农业生产几个方面。台湾地处亚热带,气候湿热,常有传染病发生。日本殖民当局用不可抗拒的公权力,设置卫生警察,督责百姓注意公共卫生。于是为时不过十年,台湾已能排除霍乱、疟疾等大众传染病,也在相当程度上控制了麻风病与肺结核。
治安方面,殖民当局也以警察制度严密控制小区。警察权力严刑峻法,不容挑战。日本法官来自日本本土,与台湾人并无个人关系的瓜葛,是以公正无私。法律严峻而能无私,不是清朝统治可以同日而语。
为了发挥农业生产的潜力,日本殖民当局致力于改良农作物品种,推广施肥、防虫,也有系统地建设水利设施。更在台湾设立大规模制糖工业及水果加工业,使农业与工业经过一贯作业,获得最高利润。凡此政策,不啻进行了全方位的农业革命。台湾竟可说是亚洲第一个进行“绿色革命”的地区。日本殖民当局也在台湾推行普遍的国民教育,一般儿童都须接受六年义务教育。这一普及教育,全面提升了台湾百姓的知识水平。当然,前面叙述的几项设施,也必须有受过基本教育的人口,方能真正生效。
日本的殖民政策经过上述几项设施,使台湾百姓的生活水平及社会秩序,都有所提高。清末期虽有刘铭传着手进行若干建设,但台湾还是在开拓社会的阶段,公权力不能有效地保护人民。日治时代,于十余年内台湾经历了巨大变化。虽然台湾人至多只是日本的二等国民,一般百姓也已安于新生活,至于“晋升”为“皇民”的少数人,则完全认同于日本,感激殖民者“赐予”的“现代化”。这一历史现实,大陆的中国人并不知悉;在1945年台湾回归中国,以及1949年国民党迁台时,大多数来自内地的人,也无法理解不少台湾人甘于日本统治的心态,以致两个族群间长期的误解至今不能融合无间。
摘自:《历史大脉络》 许倬云/著 广西师范大学出版社
原题:“皇民化”——日本殖民统治下的台湾 (本文来源:网易历史 作者:许倬云)










































